第十八話 嘘の行き先(後)
私は、ホームの先を見た。
遠くから、列車が入ってくる。
反対の線路にも、すでに最終列車が停車していた。
私たちは、はぐれないように、手をつないで列車を待った。
そのとき、なつが突然私の手を引っ張る。
「……怜」
「ん?」
「……あれ」
指差す先。
ホームの向こう側に、肩で息をする一人の男が立っていた。
――なつの父親か?
顔は知らない。
それでも、なぜか分かった。
その顔は、おそろしく整っていたが、険しい表情で、周囲を注意深く見回している。
向こうはまだこちらに気付いていないようだった。
「……なつ!」
声が、ホームに響き渡ると、なつの身体が強張った。私は、なつの手を強く握る。
列車のドアが開く。
「乗って!」
なつを連れて、車内へ飛び込む。
デッキへ二人で向かっていると、スマホが鳴った。
私たちは顔を見合わせた。
「おい、なつを返せ!」
いきなりの怒鳴り声。
ホームに立つ男もスマホを手にしていた。
眉を寄せ、苛立っているように見えた。
なつは、私の手からスマホを取り、しばらく画面を見つめていたが、小さく息を吐いて電話に出た。
「……もしもし。お父さん?」
「なつ、迎えに来たよ」
電話の向こうの声は、驚くほど穏やかだった。
なつはホームの男に目線を移していた。
「お父さんは、少しも怒ってないよ」
なつの父親は、向こう側のホームで列車の中を見回し、必死で探していた。
なつはその姿をじっと見つめている。
「……警察には通報したの?」
「ああ。したよ。息子が誘拐された、とね」
「……そっか」
なつは、私にスマホを差し出し、それと同時に父親に背を向けた。
「……怜」
私はスマホを受け取ると、「もしもし」と静かに話しはじめた。
「……あの」
自分でも不思議なくらい、声は落ち着いている。
「……やっぱり、思うんです」
「は?」
「……実の息子に、あんなことをするのは、おかしいです」
「だから、それは……「なつのせい、ですか?」
電話の向こうが黙った。
ホームの男は、苛立ちからか、壁を一度だけ蹴った。
発車のベルが鳴っている。
「百歩譲って、そうだとしましょう」
私は、ホームの先を見た。夜の闇が広がっている。
列車は少しずつ速度を上げる。
「それでも、あなたは応じるべきではなかった」
「……」
「あなたが寂しかったとしても、なつには関係ないでしょう」
声が震えそうになるが、言葉を止めなかった。
「子供は間違えます。だから大人が、世の中の道理を教え、間違ったことをしないように、導く。それがあなたの責任だったんじゃないですか?」
「……分かったような口を……」
「そうです!」
自分でも驚くほど、強い声が出た。
「何も知りませんよ!」
列車が加速し、ホームを離れていく。
「あなたみたいな腐った人間のことも――こんな哀しみを背負った子供がいることも!」
「おい、お前!」
「私だって正直、なつじゃなかったら、助けなかったと思います。こんな子供一人に、ここまで振り回されるなんて……私だって、まともな人間だとは思っていませんよ!」
私は、なつを見た。
「でも!」
なつは黙って私を見つめている。
「なつに出会って、知った」
私は、初めてはっきりと思った。
知らなかった。
何も知らなかった。
けれど――知ってしまった。
「知ったからには、放っておけるわけがないだろ!」
電話の向こうで、男が何か言った。
けれど、もう聞かなかった。
「あなたは、なつのことが、大切じゃないんですか?」
「……」
「なつが大切なら、あなたは、ちゃんと大切に扱うべきだった」
「知ったふうなことを、ごちゃごちゃと……」
窓の外で、父親の背中がどんどん小さくなっていく。
なつが反対の列車に乗っていると思っているのだ。
「……だから」
私は、最後にもう一度だけ、その男を見た。
「俺、もらいます」
「……何を言っている……」
私は、なつの手を握った。
「なつのこと」
電話の向こうが、静かになる。
「……お父さん」
列車は、もうホームを完全に離れていた。
「さようなら」
なつは、電話を切った。
そして何も言わなかった。
ただ、握られた手を――今度は自分から、強く握り返した。
これから先、どこへ行くのか。
何が待っているのか。
まだ、何も分からない。
ただ、列車だけが、
私たちの知らない場所へ向かって走っていた。
ハルヤマ……♡




