★第33話★ ルール
★第33話★ 「ルール」
俺様が初めて「他者を幸せにすること」に意味を見出したのは、小学6年生の冬だった。
——登校直後の朝の時間帯。
教室の窓から冷たい風が吹き込んでいた。
俺様は窓際の席に座り、ため息を吐く。
・・・机の中には、昨日も今日も入れられたゴミが詰まっている。
ティッシュのゴミ、消しゴムのカス、チラシの切れ端、誰かが吐き捨てたガムの包み紙。
毎朝、机を開けるたびに、胸の奥がざわついた。
「おい、今在。」
背後から、いつもの声がした。
——Aだ。
クラスで幅を利かせている男。
横には、いつも一緒に行動しているB、C、D、E、Fの姿もあった。
「今日も机の中は汚ねえな!ちゃんと掃除しろよ!」
俺様は黙ってうつむいた。
反論すれば、もっと酷くなることを知っていた。
Aは俺様の頭を掴むと、無理やり顔を上げさせた。
指の力が強く、痛い。
「返事くらいしろよ。聞いてんのか?」
「・・・はい。」
「はい、じゃねえよ!『すみませんでした』だろ!!」
俺様は言われるがまま復唱した。
Bが笑いながら、俺様からランドセルを取り上げると、
中に入っていた教科書類を床に叩き落とした。
——もちろん、教室にいる生徒の誰もそれを拾わない。
ちょうど、教室の前の扉から、
プリント類を抱えた30代前半の女性の担任教師が入ってきた。
教師の視線はまっすぐ俺様たちに向けられていた。
次の瞬間、確実に俺様と目が合ったが、教師はすぐにその視線を逸らした。
——生徒同士の「いじめ」問題なんて、教師にとっては関わるだけ面倒。
担任の監督責任問題になるだけで、教師にメリットは皆無なので、
気付かないふりをしている。
そう思わざるを得ない惨状だ。
——Aたちによる「いじめ」は昼休みには更にエスカレートする。
その日、Aたちは俺様を体育館裏に連れ出した。
「よーし!!今日も盛り上がっていくぞ!!」
Aはそう言って、俺様の腕を掴むと、無理やり地面に押し倒した。
体が大きいAの体重が、背中にのしかかる。息が詰まる。
「オイ、動けよ!さすがに何もしないのはザコ過ぎだろ!!」
Aは俺様の頭を押さえつけると、拳を振り上げた。
一度目が、頬に当たる。
乾いた音がして、視界が白く弾けた。
二度目は腹に。三度目は再び顔に。
「もっと声出せよ!!観客もいるんだからな!!」
Aは俺様を引き起こすと、今度は後ろから羽交い締めにした。
そのまま、勢いよく地面に叩きつけた。
背中に衝撃が走り、息が完全に止まる。
咳き込んでも、Aは構わずに膝を俺様の腹に押し当てた。
「プロレスなんだから、そんな簡単に倒れたらつまらねぇだろ!
もっと粘れよ!」
Bが笑いながら、足元に落ちていた小石を俺様の顔に向けて投げた。
石は額に当たり、熱いものが流れてくる。血だ。
Aは満足そうに息を整えながら、俺様の後頭部を掴み、
顔面から地面へと叩きつける。
そのまま、片足で俺様の頭部を踏み付ける。
「ハイ!1!2!3!」
——数分後、Aは取り巻きを連れて、笑いながら去っていった。
俺様はしばらく、冷たい地面に顔をつけたまま、動かなかった。
胸の奥で、何かが静かに、しかし確実に、積み重なっていくのを感じていた。
あと数ヶ月で小学校は卒業する。
しかし、Aたちはそのまま持ち上がりで中学校でも一緒になる。
終わりの見えない日々がこの先も続いていく絶望に包まれ、
俺様は完全に気力を失っていた。
——「その日」は突然訪れた。
朝の会が始まろうとしていた教室に、
担任教師がいつになく深刻な顔で入ってきた。
先生は教卓の前で立ち止まり、プリントを持ったまま、しばらく黙っていた。
教室の空気が、自然と静まる。
「今日は・・・悲しいお知らせがあります。」
先生の声は、普段より低かった。
「Aさんが、今朝、交通事故で亡くなりました。」
・・・一瞬、何も聞こえなくなった。
耳鳴りのようなものがして、次の瞬間、
教室の空気が完全に凍りついたのが分かった。
誰かが小さく息を飲む音がした。
Bの顔から、見る見る血の気が引いていく。
CやD、E、Fも、信じられないという表情で先生を見つめていた。
——Aが死んだ。
もう机の中にゴミを入れられない。
もう体育館裏に連れて行かれない。
もう暴行を受けない。
気付けば、俺様の腹の底から、制御できない声が溢れ出していた。
「よっしゃあああああああああぁぁぁ!!!」
俺様は完全なる無意識のままに、いつの間にか起立し、
盛大なガッツポーズを取っていた。
教室中の視線が、一斉に俺様に集まる。
刹那、先生が驚愕と哀れみと怒りが入り混じった様子で目を見開く。
「今在君!?何を言ってるんですか!?」
先生の怒声が飛んだ。
——俺様の胸の奥では、熱いものが広がっていくのを感じていた。
「今在君、ちょっと来なさい!」
先生に腕を掴まれ、俺様は廊下に引きずり出された。
後ろで、教室がざわめく声が聞こえた。
——カウンセリングルームでの説教は、30分ほど続いた。
もちろん、先生から何を言われたのかは、ほとんど何も覚えていない。
自身の内から湧き上がる喜びを抑え込むのに必死だった。
カウンセリングルームから出ると、既に休み時間になっていた。
俺様が教室まで移動し、中に入ろうとすると、声をかけられた。
「・・・今在君。」
振り返ると、2人の男子生徒が立っていた。
何度かマンガの話をした程度の仲である、
翔太と悠希だった。
2人とも、どこか晴れ晴れとした表情をしていた。
「あの・・・さっきの件、僕たちも正直、
今在君と同じ気持ちだったんだ。」
翔太が先に言った。
声は小さかったが、はっきりしていた。
「Aがいなくなって、正直、安心した。もう叩かれなくていいって。」
悠希も続けた。
——Aたちのいじめの標的は俺様1人ではない、ということは知っていた。
クラス内外問わず、弱そうな生徒をいじめのターゲットにしており、
この2人も何度かAの集団から暴行を受けているのを見かけたことがある。
「今在君がさっき叫んだ時、僕、心臓が跳ねた。
『あ、自分だけじゃなかったんだ』って。
・・・嬉しかった。
Aが死んで・・・本当に良かった。」
翔太は嬉し泣きで涙を流し始めた。
俺様は、2人の顔を交互に見た。
——2人は幸せそうだった。
それも、テストで100点が取れたというような次元には収まらない、
まるで悟りを開いたかのような、清々しい笑顔。
その目に焼き付いた2人の幸せそうな表情が、俺様の胸の奥にまで深く沈んだ。
——「悪者」が死ねば、こんなにも人は幸せになれる。
苦しんでいた人が、楽になる。
悲しんでいた人が、喜ぶ。
——その日の放課後。
俺様が校門を出たところを、Aの仲間であるBが呼び止めた。
「おい、今在。ちょっと来い!」
俺様は足を止めた。
Bの後ろにはCもいた。
そのまま2人は、俺様を校舎裏の池の方へ連れて行く。
夕方の光が、水面に落ちていた。
「お前、フザけんなよ!!」
Bが俺様に平手打ちをする。
「Aが亡くなって喜ぶなんて・・・許せねぇ!
人間として最低だ!!」
Bが俺様の胸を突いた。俺様は後ろに下がる。
足下が、池の縁に近づいていく。
「この場でAに謝れ!Aを想って土下座しろ!!」
「・・・土下座なんかしたくない・・・!」
俺様は、初めてはっきりと拒んだ。
Bの顔がみるみる内に赤くなる。
「フザけんなよ!お前みたいなのが生きてるのが気に入らねえ!
Aじゃなくて、お前が死ねば良かったんだよ!!」
Bが俺様の襟を掴んで揺さぶった瞬間、俺様は体を捻った。
Bの体勢が崩れ、池の方へ大きくのけ反る。
俺様は、その勢いに乗せるように、Bの胸を強く押し込んだ。
・・・水音がした。
Bが池に落ちる。
水深は思ったよりあり、Bは足がつかないことに気付き、
顔を水面から出して必死にもがく。
「テメェ!!何すんだ!」
一緒にいたCは激昂し、俺様に向かって飛び掛かってくる。
俺様は咄嗟に、足元にあった全長30cmほどの大型の石を拾い上げ、
Cの頭部目掛けて両手で思いきりそれを振り抜く。
・・・Cはそのままの勢いで池に落下。
意識を失ったのか、顔を水面に付けたまま上げてこないばかりか、
何の身動きも取らずに硬直している。
「た、助けてくれ・・・!今在!」
Cの様子を横目で見て恐ろしくなったのか、もがくBから必死の声が上がる。
Bが手を必死に伸ばしてくる。
俺様は、その手を見下ろした。
——俺様の脳裏には、今日見た
翔太と悠希の幸せそうな笑顔が浮かぶ。
あの笑顔を・・・もう一度見たい・・・!
俺様は今、他人を幸せにするチャンスを掴んでいるんだ。
「お前が死んだら・・・」
俺様はそう口に出しながら、
手に持っていた石を両手で振り上げる。
水面のBは絶望の表情を浮かべる。
「みんなハッピー!!!!!」
俺様は、Bの頭部目掛け、石を思い切り投げ付けた。
・・・水面がジワジワと赤く濁っていき、Bは、C同様、
もう頭を上げることはなかった。
——胸の奥で、昼間と同じ熱いものが広がっていく。
それは静かな興奮だった。
「これで、また誰かが幸せになる」という確信。
他では得られない満足感、そして、達成感を味わいながら、
俺様は池を背に、帰路についた。
——俺様は、その後、すぐに補導され、少年院送致が決まった。
少年院での生活は、厳しかった。
規則が細かく、朝から夜まで時間で区切られている。
指導員は何度も、繰り返し言った。
「お前の”利他の精神”は正しい。」
「だが”ルール”は守らなければならない。
ルールを無視して自分の正義を通す人間が増えれば、社会は壊れる。
誰もが自分自身から見た『悪者』を消すようになれば、幸せな社会は作れない。」
「お前は自分の感情だけで、”ルール”を破った。」
「”利他の精神”を実現する方法を、ルールの中で探せ。
そうしなければ、お前の想いは、ただの暴力になる。」
指導員たちは、執拗だった。
毎日のように、同じことを繰り返した。
「”ルール”を守れ。感情だけで自分の正しさを主張するな。」
出所する最後の日まで、指導員はそう言った。
——高校に編入し、俺様は、普通の生徒として生活を始めた。
誰にも本当の過去は話さなかった。
殴り合いの喧嘩もしない。
感情を表に出しすぎないよう、自分を律した。
——「”ルール”を守る」
それが再出発の条件であると胸に誓い、死守することを決めた。
——そして、大学に進学して2年以上経過したある日。
「摘人政策」が始まった。
——「社会貢献度の低い人間は、合法的に殺害できる。」
ニュースを見た瞬間、俺様は椅子から立ち上がりそうになった。
胸の奥で、長い間眠っていた熱が、一気に目を覚ます。
”ルール”が変わったんだ。
「価値の低い人間を排除して良い」という”ルール”が、明文で定められた。
俺様は、窓の外を見た。登った夕日が、街を赤く染めていた。
少年院で叩き込まれた言葉が、頭の中で反復される。
——「”ルール”は守れ」
——「人を喜ばせたいという”利他の精神”は大事」
その”ルール”は「人間を殺害」することを許容している。
ならば、俺様は他者を”かつてのやり方”で幸せにできる。
胸が踊った。
——何度でも蘇る、あのAが亡くなった後の、
いじめられっ子だった翔太と悠希の幸せそうな笑顔。
2人のように、幸せになる人間を一人でも増やしたい。
俺様は・・・「悪者」を倒して、なるべく多くの人を幸せにするんだ。
この先もずっと「ワクワクとドキドキ」をプレゼントしていくんだ。
★第33話★ 「ルール」 完結




