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「大切な人。でも恋愛対象じゃない」と言われた僕は、彼女を諦めることにした  作者: 幻影


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第6話 知らないふり

「昨日、美月に連絡した?」


昼休み。蓮は大学の中庭にあるベンチで、隣に座った男に聞いた。


同じバイト先の友人、圭介だった。


「してないけど」


「違う。お前じゃなくて麻衣」


「ああ」


圭介はペットボトルの蓋を開けながら答えた。


「昨日なんか送ってたんじゃね?」


蓮の眉が少し動いた。


「何を?」


「知らん。シフトのことじゃねえの」


「ふうん」


それ以上は聞かなかった。圭介も気にしていない。


蓮はスマートフォンを取り出した。麻衣とのトーク画面を開く。


昨日のメッセージ。


『昨日はありがとう。また行こうね』


その上には、数日前から続いているやり取りがあった。特別な内容ではない。


少なくとも、そう言おうと思えば言える。バイトの愚痴。


店長の悪口。好きな音楽。


夜中のくだらない話。蓮は画面を閉じた。


「佐伯」


圭介が言った。


「ん?」


「お前、水瀬と付き合ってるんだよな?」


「そうだけど」


「麻衣は?」


「何が?」


「いや、いいならいいけど」


圭介はそれ以上言わなかった。蓮も聞かなかった。


その日の午後。美月は講義中、何度もスマートフォンを確認していた。


朝、蓮に、


『今日会える?』


と送った。返事は、


『たぶん』


だった。付き合い始めたころなら、


『会う』


と返ってきた。あるいは、


『何時終わる?』


と聞かれた。たったそれだけの違い。


気にするほどではない。そう思っているのに気になる。


講義が終わる。千紘が隣で荷物を片づけながら言った。


「今日どうする?」


「蓮くんと会うかも」


「かも?」


「まだ分かんない」


「連絡来てないの?」


「うん」


千紘が美月を見る。


「最近どうなの?」


「何が?」


「佐伯くんと」


「普通だよ」


「ならいいけど」


美月は少し引っかかった。


「何?」


「何でもない」


「それ一番気になるやつ」


千紘は迷ってから言った。


「美月が最近、佐伯くんの話するとき楽しそうじゃないから」


「そんなことないよ」


「ならいい」


千紘はそれ以上言わなかった。美月は笑った。


「大丈夫だって」


その言葉は千紘に言ったのか、自分に言ったのか分からなかった。午後5時を過ぎても蓮から連絡はなかった。


美月は大学を出た。駅へ向かう途中でスマートフォンが震えた。


蓮。すぐ開く。


『ごめん今日無理』


美月は立ち止まった。理由は書いていない。


『バイト?』


送る。5分。


10分。返事が来ない。


美月は駅へ向かって歩き始めた。電車に乗ってから返事が来た。


『友達と飯』


画面を見つめた。少し腹が立った。


朝から自分は待っていた。会えるのか分からないまま。


それなのに蓮は友達と食事へ行く。友達と食事へ行くことが悪いわけではない。


だったら最初から言えばいい。


『そっか』


それだけ返した。すぐに既読がついた。


返事はなかった。家に帰る。


母親に、


「ご飯食べる?」


と聞かれた。


「あとで」


と答えて部屋へ入った。バッグを置く。


ベッドへ座る。スマートフォンを見る。


何も来ていない。美月はため息をついた。


拓海に話そうかと思った。でもやめた。


この前も話した。麻衣のこと。


蓮から連絡が来ないこと。最近、自分は蓮のことばかり拓海に話している。


さすがに嫌だろうと思った。スマートフォンを置く。


少ししてまた手に取る。蓮のSNSを開いた。


更新はない。美月は閉じた。


今度は拓海のトーク画面を開く。閉じる。


「何してるんだろ」


自分で呟いた。そのころ、拓海は会社の同僚たちと居酒屋にいた。


珍しく仕事関係の飲み会だった。


「相沢さんって彼女いないんですか?」


後輩の女性社員に聞かれた。


「いないよ」


「意外」


「何が意外なの」


「絶対いると思ってました」


隣にいた男性社員が笑う。


「相沢はモテないぞ」


「おい」


「いい人止まりだもんな」


「本人の前で言う?」


笑いが起きた。拓海も笑った。


慣れている。昔からそうだった。


女性社員が言う。


「でも相沢さんみたいな人と結婚したら幸せそう」


「出た」


拓海が笑う。


「何ですか?」


「それ言われる男はモテないんだよ」


「そんなことないですよ」


「じゃあ付き合う?」


冗談で言った。女性社員は笑った。


「それはちょっと考えます」


また笑いが起きた。


「ほら」


拓海も笑った。そのとき、スマートフォンが震えた。


画面を見る。美月ではなかった。


仕事のグループチャット。拓海は画面を閉じた。


「誰か待ってるんですか?」


女性社員に聞かれた。


「何を?」


「今ちょっと期待した顔したから」


「してないよ」


「しましたよ」


拓海はビールを飲んだ。


「気のせい」


飲み会が終わったのは午後10時過ぎだった。店を出る。


駅へ向かって歩いていると、スマートフォンが震えた。今度は美月だった。


『何してる?』


拓海は少し笑った。


『今飲み会終わった』


すぐ既読。


『電話できる?』


拓海は立ち止まった。奈緒の言葉が頭をよぎった。


――彼氏と会えなくなったから拓海。――寂しくなったから拓海。


少し考える。


『家着いてからなら』


送った。


『分かった』


拓海はスマートフォンをポケットへ入れた。30分後。


自宅へ着き、着替える。美月へ、


『着いた』


と送る。すぐ電話がかかってきた。


「もしもし」


『おかえり』


「ただいま」


その言葉が妙に自然だった。


『飲み会だったの?』


「会社の」


『女の人いた?』


拓海は少し驚いた。


「いたけど」


『何人?』


「なんで?」


『別に』


「5、6人」


『へえ』


「何だよ」


『なんでもない』


拓海はネクタイを外しながら笑った。


「お前、今日変だぞ」


電話の向こうが少し静かになった。


『蓮くんと会う予定だったの』


やっぱり。拓海はベッドへ腰を下ろした。


「うん」


『朝、今日会えるって聞いたら、たぶんって言われて』


「うん」


『ずっと待ってたんだけど、夕方になって今日無理って』


「バイト?」


『友達とご飯』


美月の声に少し苛立ちが混じった。


『別に友達とご飯行くのはいいんだよ』


「うん」


『でもだったら最初から言えばいいじゃん』


「そうだな」


『私、今日ずっと予定入れないで待ってたんだよ』


「うん」


『それなのに、ごめん今日無理、だけ』


拓海は黙って聞いた。


『私が細かい?』


「いや」


『重いかな』


「重くないだろ」


『でも蓮くんからしたら、友達とご飯くらい自由に行きたいじゃん』


「それと約束曖昧にするのは別じゃない?」


美月が黙った。拓海は続けた。


「美月が怒ってんの、友達と飯行ったことじゃないだろ」


『……うん』


「待たされたことだろ」


『うん』


「じゃあそう言えばいいじゃん」


『言えない』


「なんで」


『面倒くさいって思われたくない』


拓海は眉を寄せた。


「それくらいで?」


『男の人ってそういうの嫌でしょ』


「男でまとめるなよ」


美月が少し笑った。


『拓海さんなら?』


「何が」


『彼女に、ちゃんと連絡してって言われたら』


「するよ」


『面倒じゃない?』


「できないときはできないって言う」


『怒らない?』


「内容による」


『私みたいなのは?』


拓海は少し考えた。


「怒らない」


『ほんと?』


「うん」


『なんで?』


「普通のこと言ってるだけだから」


電話の向こうで、美月が息を吐いた。安心したのが分かった。


『拓海さんっていいよね』


「何が」


『そういうところ』


「そういうところって?」


『ちゃんと話聞いてくれるし』


「うん」


『怒らないし』


「怒るときは怒るぞ」


『私にはあんまり怒らないじゃん』


拓海は黙った。


『あと』


美月が続ける。


『何言っても嫌いにならなそう』


その言葉に、拓海の胸が少し痛んだ。


「そんなことないよ」


『え?』


「俺だって嫌なことされたら嫌いになる」


『私のことも?』


美月の声が変わった。ほんの少し。


冗談ではなかった。拓海は答えに詰まった。


「そりゃ……内容によるだろ」


『そっか』


「なんで残念そうなんだよ」


『残念じゃない』


「嘘つけ」


『だって』


美月は少し笑った。


『拓海さんだけは、何しても私のこと嫌いにならない気がしてた』


拓海は返事をしなかった。それは美月にとって、たぶん信頼だった。


でも奈緒が聞いたら、きっと怒る。拓海自身も少しだけ引っかかった。


「美月」


『ん?』


「それは駄目だろ」


『何が?』


「俺なら何してもいい、にはならないから」


電話の向こうが静かになった。


『……怒った?』


「怒ってない」


『でも声違う』


「怒ってないって」


少し間を置いた。


「ただ、俺も人間だから」


『うん』


「嫌なことは嫌だし、傷つくこともあるよ」


美月は黙った。こんなことを拓海から言われたのは初めてだった。


『ごめん』


「なんで謝るの」


『分かんない』


「じゃあ謝るな」


『うん』


少し気まずい沈黙が流れた。拓海が話題を変えた。


「で、蓮には言うの?」


『何を?』


「今日のこと」


『分かんない』


「言いたいなら言えば」


『うん』


「我慢して後から爆発するほうが面倒だぞ」


『それはそうかも』


「だろ」


少しずつ、いつもの空気に戻った。電話を切ったのは11時半ごろだった。


美月はベッドに横になったまま、しばらく天井を見ていた。――俺も人間だから。


当たり前のことだった。でも、美月はなぜかその言葉が頭から離れなかった。


拓海なら大丈夫。拓海なら怒らない。


拓海なら聞いてくれる。拓海なら離れない。


いつからそう思うようになったのだろう。翌日。


美月は大学で蓮を見つけた。友人たちと話している。


美月に気づくと手を上げた。


「おはよ」


「おはよう」


いつも通りだった。講義が終わったあと、蓮が近づいてきた。


「今日暇?」


美月は一瞬答えなかった。


「どうした?」


「昨日のことなんだけど」


蓮の顔が少し変わった。


「昨日?」


「会えるかもって言ってたじゃん」


「ああ」


「私、待ってたんだよ」


蓮は少し困った顔をした。


「ごめんって言ったじゃん」


「うん。でも」


「急に誘われたんだよ」


「だったら一言言ってくれたらよかった」


蓮が息を吐いた。


「美月さ」


「何?」


「そういうの結構気にするタイプ?」


胸がざわついた。


「そういうのって?」


「連絡とか」


「……普通じゃない?」


「俺、あんまり細かく連絡するタイプじゃないんだよね」


付き合う前は毎日のように連絡していた。その言葉が喉まで出た。


でも言えなかった。


「そっか」


美月はそれだけ答えた。蓮が笑った。


「怒ってる?」


「怒ってないよ」


「ならいいじゃん」


蓮が美月の頭を軽く撫でた。


「今日飯行こうよ」


美月は少し迷った。それでも、


「うん」


と答えた。夕方には、二人はいつものように笑っていた。


蓮は優しかった。美月の好きな店へ連れていった。


食事代も出してくれた。帰りには手をつないだ。


「昨日ごめんな」


そう言ってくれた。美月は、


「もういいよ」


と答えた。本当に、もういいと思った。


だから、その夜。蓮のSNSに上がった写真を見ても、最初は何とも思わなかった。


昨日の食事。男友達が投稿したものだった。


4人でテーブルを囲んでいる。蓮。


男友達が二人。そして女性が一人。


麻衣だった。美月は写真を拡大した。


麻衣の顔を初めて見た。可愛い人だった。


美月とはタイプが違う。明るそうで、よく笑いそうな女性。


写真の中で、麻衣は蓮の隣に座っていた。ただそれだけ。


何もおかしくない。4人で食事をした。


蓮も嘘はついていない。


「友達と飯」


そう言った。実際、その通りだった。


美月は画面を閉じた。数秒後、また開いた。


もう一度写真を見る。昨日、蓮は自分との予定を曖昧にした。


そして友達と食事へ行った。その中に麻衣がいた。


ただそれだけ。美月は蓮へメッセージを打った。


『昨日、麻衣さんもいたんだね』


送信ボタンの上で指が止まった。――そういうの結構気にするタイプ?


蓮の声が蘇った。美月は文章を消した。


スマートフォンを伏せた。しばらくして、拓海からメッセージが来た。


『ちゃんと話した?』


昨日のことだった。美月は画面を見る。


『話したよ』


『どうだった?』


少し迷う。


『大丈夫だった』


送った。


『そっか』


それだけだった。美月はスマートフォンを胸の上に置いた。


拓海には麻衣のことを言わなかった。言えばきっと聞いてくれる。


自分が不安になる理由も分かってくれる。でも。


――俺も人間だから。その言葉が残っていた。


美月は初めて、拓海に話す前に考えた。これは拓海に話していいことなのか。


自分は拓海に何を求めているのか。答えは出なかった。


数日後。拓海は奈緒と亮介、それから数人の友人たちと飲んでいた。


美月はいなかった。亮介が聞く。


「今日は美月ちゃん来ないの?」


「誘ってない」


拓海が答えた。奈緒が一瞬だけ拓海を見る。


「珍しいな」


亮介が言う。


「毎回来るわけじゃないだろ」


「最近よくいたじゃん」


「彼氏いるんだから忙しいだろ」


拓海は普通に答えた。そのとき、スマートフォンが震えた。


美月だった。


『今日みんなで飲んでる?』


拓海は画面を見た。どうして知ったのかと思ったが、おそらく奈緒か誰かのSNSだろう。


『飲んでるよ』


『私も行っていい?』


拓海は返事を打とうとした。そのとき亮介が、


「誰?」


と覗き込もうとする。


「見るなよ」


拓海はスマートフォンを伏せた。奈緒が何も言わずこちらを見ている。


拓海はもう一度画面を開いた。


『来れば』


そう打った。送信する直前。


指が止まった。奈緒の言葉を思い出す。


――優しいのと、自分を雑に扱うのは違うよ。拓海は文章を消した。


代わりに打った。


『今日は会社とか昔からの友達もいるから、また今度な』


送信。しばらく既読にならなかった。


やがて既読。


『そっか』


それだけだった。拓海はスマートフォンを置いた。


奈緒が聞いた。


「美月ちゃん?」


「うん」


「来るの?」


「今日は断った」


奈緒の顔が少し変わった。


「へえ」


「何だよ」


「別に」


「その顔やめろ」


奈緒が笑った。


「少し成長したなと思って」


「子供扱いすんな」


拓海も笑った。ただ。


美月は自分の部屋で、その短いメッセージを何度も見ていた。


『また今度な』


断られた。それだけだった。


普通のこと。拓海にだって付き合いがある。


自分が行けない飲み会くらいいくらでもある。なのに。


なぜか少し寂しかった。美月はスマートフォンを閉じた。


しばらくして、また開く。拓海との画面を見る。


何も送らない。その夜、美月は初めてほんの少しだけ知った。


いつでも開くと思っていた扉が閉まっていると、人は思っていた以上に、その扉のことが気になる。

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