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「大切な人。でも恋愛対象じゃない」と言われた僕は、彼女を諦めることにした  作者: 幻影


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第2話 好きになる人

「水瀬ってさ、彼氏いないの?」


講義が終わり、教室を出たところでそう聞かれた。美月は隣を歩いていた友人の千紘を見る。


「なんで急に?」


「私じゃないよ」


千紘は笑いながら、少し後ろを顎で示した。振り返ると、数人の男子学生が教室から出てくるところだった。


その中の一人と目が合った。背が高い。


黒いパーカーに細身のパンツ。髪は少し長めで、無造作に見えるように整えてある。


美月も顔は知っていた。同じ学部の佐伯蓮。


何度か同じ講義を受けたことがある。ただ、まともに話したことはない。


蓮は目が合うと、軽く手を上げた。美月も小さく会釈して前を向いた。


「何?」


「佐伯くん、美月のこと気になってるらしいよ」


「へえ」


「へえ、だけ?」


「だって話したことないし」


「またそれ」


千紘が呆れたように言った。


「何が?」


「美月って男の扱い雑だよね」


「雑にしてないよ」


「自覚ないのが一番ひどい」


「どうすればいいの。知らない人に気になってるって言われて、私もですって言えばいい?」


「それは怖い」


二人で笑った。階段を下りながら、美月はもう一度だけ後ろを見た。


蓮は友人と話していて、こちらを見ていなかった。格好いいとは思う。


たぶん、女子からも人気がある。それだけだった。


大学を出て駅へ向かう途中、美月はスマートフォンを開いた。昨夜、拓海と1時間以上電話していた。


きっかけは本当にくだらないことだった。ゼミで発表した内容を教授にかなり厳しく指摘された。


それだけならまだよかった。一緒に発表した学生から、


「水瀬さんがもう少しちゃんとまとめてくれてたらな」


と冗談のように言われた。美月にも反省するところはあった。


だから言い返さなかった。笑って、


「ごめんね」


と答えた。けれど家に帰ってから腹が立った。


自分だってちゃんと準備した。むしろ相手が作るはずだった資料まで最後に手伝った。


それなのに。そう思った瞬間、拓海に電話した。


拓海は途中で遮らなかった。全部聞いたあと、


『美月にも悪かったところはあったの?』


と聞いた。


『あるよ』


『じゃあそこは次直せばいいじゃん』


『うん』


『でも手伝ってもらった側が全部お前のせいみたいに言うのは違うと思う』


その一言で、妙に楽になった。全部自分は悪くないと言ってほしかったわけではない。


相手を一緒に悪く言ってほしかったわけでもない。ただ、


「そこは腹を立ててもいい」


と言ってほしかったのかもしれない。駅前の信号で止まり、美月はメッセージ画面を開いた。


『昨日ありがとう』


打ってから、少し考える。


『昨日ありがとう。話したらスッキリした』


送信。1分もしないうちに既読がついた。


『それならよかった』


それだけ。美月は画面を見ながら笑った。


もう少し何か言えばいいのに、と思う。でも拓海はいつもそうだった。


拓海と知り合って2年近くになる。最初から、今のような関係だったわけではない。


最初はただ、年上の知り合いだった。話しやすい人。


優しい人。その程度だった。


それがいつからか、何かあると拓海に話すようになった。嬉しいことも。


腹が立ったことも。家族には言いにくいことも。


友達には格好悪くて話せないことも。拓海なら聞いてくれる。


気づけば、そう思うようになっていた。駅に着く直前、後ろから名前を呼ばれた。


「水瀬」


振り返る。佐伯蓮だった。


「あ、佐伯くん」


「駅?」


「うん」


「俺も」


自然に隣へ並んだ。美月は少し意外だった。


もっと軽い感じの人だと思っていたが、話し方は普通だった。


「今日の経済政策、眠くなかった?」


「途中ちょっと危なかった」


「やっぱり。水瀬、めっちゃ瞬きしてたもん」


「見てたの?」


「見える位置だったから」


蓮が笑った。


「寝ればよかったのに」


「一番前から3列目で?」


「教授もたぶん気にしないって」


「佐伯くんは後ろだから言えるんだよ」


「俺、今日ちゃんと起きてたよ」


「今日だけ?」


「今日は」


話しやすかった。少なくとも、無理に会話を作らなければならない感じがない。


駅までの10分ほどは、思ったより早かった。改札の前で蓮が言った。


「水瀬、LINE教えて」


あまりにも普通に言われ、美月は一瞬返事が遅れた。


「LINE?」


「嫌ならいいけど」


「あ、別にいいよ」


スマートフォンを出した。QRコードを読み取る。


すぐに蓮の名前が表示された。


「ありがと」


「うん」


「じゃあまた明日」


蓮はそれだけ言って、別の改札へ向かった。美月は少しだけその背中を見ていた。


もっと何か言われると思っていた。食事に行こうとか。


彼氏いるのとか。千紘から話を聞いたせいで身構えていたのかもしれない。


何もなかったことが、逆に少し気になった。電車に乗ってからメッセージが来た。


『今日はありがと』


続けて、


『明日の2限、寝るなよ笑』


美月は笑った。


『佐伯くんこそ』


すぐ既読がつく。


『じゃあ起こして』


『なんで私が』


『近く座るから』


美月は少し迷ってから、


『勝手にどうぞ笑』


と返した。翌日、本当に蓮は近くに座った。


美月の隣ではない。一つ空けた席。


「おはよ」


「本当に来た」


「約束したじゃん」


「約束はしてない」


「冷たいなあ」


そう言いながら笑う。講義中はほとんど話さなかった。


終わったあとも、少し話しただけ。ただ、その日の夜にもLINEが来た。


翌日も来た。毎日ではない。


返事が早い日もあれば、数時間来ない日もある。そのくらいがちょうどよかった。


「佐伯くんと最近よく喋ってるよね」


学食で千紘に言われたのは、それから1週間ほど経ったころだった。


「そう?」


「そうだよ」


「LINEはするけど」


「ほら」


「何が、ほらなの」


「気になってるんじゃん」


「まだ分かんない」


美月は本当にそう思っていた。嫌ではない。


むしろ楽しい。でも、それが好きなのかと言われれば分からない。


「じゃあさ」


千紘が唐揚げを箸でつまみながら聞いた。


「美月って、どういう人が好きなの?」


「急だね」


「だって聞いたことないもん」


美月は少し考えた。


「一緒にいて楽しい人?」


「普通」


「じゃあ格好いい人」


「正直でよろしい」


二人で笑う。


「でも美月、男の人に困ってなさそう」


「何それ」


「選べるじゃん」


美月は箸を止めた。


「そんなことないよ」


「またまた」


「本当に」


好かれることと、好きになることは違う。それくらい美月にも分かっている。


その日の夕方、蓮からメッセージが来た。


『今日空いてる?』


『夕方なら』


『飯行かない?』


美月は画面を見た。少しだけ心臓が速くなる。


なぜだろうと思った。拓海から、


『飯行く?』


と来ても、こんな感じにはならない。行くか、行かないか。


それだけだ。服装を気にしたこともない。


化粧を直そうと思ったこともない。でも今は、大学のトイレで一度鏡を見たいと思った。


『いいよ』


送った。すぐ返事が来る。


『じゃあ18時に駅前で』


そのあと店の名前が送られてきた。美月は検索した。


少しおしゃれなイタリアンだった。


「……デートじゃん」


自分で言って、少し恥ずかしくなった。18時少し前。


美月が駅前へ行くと、蓮はすでに待っていた。大学で見るときとは服が違う。


黒いシャツに薄手のジャケット。


「あ、ごめん。待った?」


「全然。俺が早かっただけ」


蓮が美月を見る。一瞬、目が止まった。


「何?」


「いや」


「何?」


「大学でも可愛いけど、今日なんかいつもより可愛いなと思って」


美月は言葉に詰まった。こういうことを言われた経験がないわけではない。


むしろ多いほうだと思う。でも蓮に言われると、少し違った。


「そういうの慣れてそう」


「何が?」


「女の子褒めるの」


「水瀬にしか言ってないけど」


まただ。こういう言葉を、拓海は絶対に言わない。


いや。拓海が言ったところで、


「何言ってるの」


と笑って終わる気がする。なのに蓮に言われると、顔が熱くなる。


美月はそれを悟られたくなくて、


「お腹すいた」


と言った。


「はいはい」


蓮が笑った。食事は楽しかった。


大学の話。友人の話。


アルバイトの話。蓮は話がうまかった。


自分ばかり喋るわけではない。美月にも質問する。


美月が話せば、ちゃんと反応する。そして、ときどき目を見て笑う。


そのたびに少しだけ緊張した。食事が終わっても、すぐには帰らなかった。


近くのカフェへ移った。時計を見ると、もう9時を過ぎている。


「明日大学?」


蓮が聞いた。


「午後から」


「じゃあまだ大丈夫?」


「うん」


美月は答えた。帰ろうと思えば帰れた。


でも帰りたくなかった。10時過ぎに店を出た。


駅まで並んで歩く。昼間とは違い、少し肌寒い。


美月が腕をさすると、蓮が気づいた。


「寒い?」


「ちょっと」


「これ着る?」


「大丈夫」


「遠慮すんなって」


「本当に大丈夫」


「じゃあ駅まで急ぐか」


蓮が少し歩く速度を上げる。美月もついていった。


駅の入口で立ち止まった。


「今日ありがと」


美月が言う。


「俺が誘ったんだけど」


「じゃあ、ごちそうさま」


「それはどういたしまして」


蓮は笑った。そして少し間を置いた。


「また誘っていい?」


美月の胸が小さく跳ねた。


「うん」


「よかった」


蓮が笑う。その顔を見て、美月も笑った。


「じゃあまた」


「気をつけて」


改札を抜ける。ホームへ降りる途中、美月はスマートフォンを取り出した。


誰かに話したかった。楽しかった。


ちょっと格好よかった。また会いたいと言われた。


そんなことを。無意識にメッセージ一覧を開く。


一番上には、昼間にやり取りした千紘。その下に蓮。


少し下に拓海がいる。指が止まった。


拓海に話そうと思った。いつものように。


けれど今日は、なぜか開けなかった。拓海が自分を好きだと知っているからだ。


美月はしばらく画面を見たあと、スマートフォンを閉じた。帰宅して風呂から上がったころ、蓮からメッセージが来た。


『着いた?』


『着いたよ』


『よかった』


少しして、


『今日ほんと楽しかった』


美月はベッドに座った。


『私も』


送る。


『次いつ空いてる?』


美月は思わず笑った。そのとき、別の通知が入った。


拓海だった。


『昨日の件、その後大丈夫だった?』


ゼミの話だ。美月は画面を見た。


昨日、自分が1時間以上愚痴を聞いてもらったことを思い出す。


『大丈夫!今日は普通だった』


すぐに返事が来た。


『ならよかった』


またそれだけ。美月は少し考えてから、


『今日ね』


と打った。その先が止まる。


『今日ね、佐伯くんって人とご飯行った』


そこまで打って、全部消した。代わりに、


『今度なんか奢るね』


と送った。拓海から返ってきた。


『急にどうした』


『昨日のお礼』


『いらん』


『じゃあ奢らない』


『おう』


美月は笑った。やっぱり拓海と話すと楽だった。


何も考えなくていい。言葉を選ばなくてもいい。


化粧をしてなくても会える。寝起きの声でも電話できる。


泣いていても恥ずかしくない。それは美月にとって、とても大切なことだった。


けれど。蓮から新しいメッセージが届く。


『来週の金曜は?』


その文字を見ただけで、また少し胸が高鳴った。拓海とは違う。


美月はまだ、その違いを深く考えなかった。安心することと。


恋をすること。21歳の美月にとって、それはまだ、まったく別のものだった。

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