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「大切な人。でも恋愛対象じゃない」と言われた僕は、彼女を諦めることにした  作者: 幻影


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第11話 味方ではなく

拓海が選んだのは、駅から少し離れたファミリーレストランだった。午後3時を過ぎていた。


昼食の時間は終わり、店内には空席が多い。美月は窓際の席に座った。


拓海は向かいだった。


「何飲む?」


「いらない」


「何か飲め」


「じゃあ……紅茶」


「温かいやつ?」


「うん」


拓海はドリンクバーを二人分注文した。席を立つ。


美月はその背中を見ていた。拓海が戻ってくる。


美月の前に紅茶を置く。


「熱いから気をつけろよ」


「ありがとう」


拓海は自分のコーヒーを一口飲んだ。何も聞かない。


美月はカップを両手で持った。


「聞かないの?」


「何を?」


「何があったか」


「話したくなったら話せば」


美月は俯いた。その言葉だけで、また泣きそうになった。


拓海が紙ナプキンを差し出す。


「店で泣くなよ」


「誰のせい」


「俺?」


「違うけど」


「じゃあ俺のせいにすんな」


美月は少し笑った。それで、ようやく話せた。


麻衣という女性のこと。頻繁にLINEしていたこと。


何度も一緒に食事へ行っていたこと。蓮の部屋にピアスがあったこと。


友人が二人で手をつないでいたのを見たらしいこと。今日、蓮が大学へ行かないと嘘をついたこと。


そして。


『私は彼女でしょ?』


と聞いたこと。


「そしたら」


美月の声が小さくなった。


「その話あとでしよ、って」


拓海は黙って聞いていた。


「普通さ」


美月が言う。


「彼女だったら、そんな返事しないよね」


拓海はすぐには答えなかった。


「分からない」


美月が顔を上げる。


「何で?」


「俺、蓮って奴知らないから」


「でも」


「美月から聞いた話しか知らない」


「それで十分じゃない?」


「十分じゃないよ」


美月は少し不満そうな顔をした。


「拓海さんは私の味方じゃないの?」


拓海は美月を見た。


「味方だよ」


「だったら」


「味方だから、何でも美月が正しいって言うわけじゃない」


美月は黙った。拓海は続けた。


「俺が今ここで、そいつ最低だな、絶対浮気してる、別れろって言ったら楽?」


美月は答えなかった。


「たぶん今は楽になると思う」


拓海はコーヒーを置いた。


「でも、それを決めるのは俺じゃないだろ」


「……うん」


「美月が本人と話さないと分からない」


美月は紅茶を見る。


「怖い」


「うん」


「もし本当に麻衣さんと何かあったら?」


「それも聞くしかない」


「聞いて、別れようって言われたら?」


拓海は少し黙った。


「それが一番怖い?」


美月は頷いた。涙が一粒落ちた。


「私、蓮くんのこと好きなの」


「うん」


「本当に好き」


「知ってる」


「別れたくない」


拓海は何も言わなかった。美月が泣きながら笑った。


「拓海さん、嫌じゃない?」


「何が」


「私がこんなに蓮くん好きなの」


拓海は視線を少し落とした。


「嫌だよ」


美月が止まった。拓海は苦笑した。


「俺、美月のこと好きなんだから」


「……うん」


「好きな女が別の男のこと好きで泣いてんの見て、何とも思わないわけないだろ」


美月は何も言えなかった。拓海がこういう言い方をするのは珍しかった。


いつもなら隠す。笑ってごまかす。


「でも」


拓海は続けた。


「だからって、別れろとは言わない」


「なんで?」


「美月が決めることだから」


美月は俯いた。


「俺がそいつの悪口言って、美月が俺のところ来ても意味ないだろ」


その言葉に、美月が顔を上げた。拓海は笑っていなかった。


「そんなふうに思ってないよ」


「分かってる」


「私、拓海さんをそういう……」


「分かってんって」


拓海が遮った。声は優しかった。


「だから、ちゃんと蓮と話せ」


「うん」


「それで美月が決めろ」


「うん」


「俺は聞くくらいしかできない」


美月はしばらく黙っていた。


「それだけ?」


「それだけ」


「迎えにも来てくれたのに?」


「今日はな」


「これからは?」


拓海は少し眉を寄せた。


「何が?」


「またこういうことあったら」


質問したあとで、美月自身が気づいた。自分は何を確認しているのだろう。


また来てくれる?また助けてくれる?


また私が泣いたら、全部置いて来てくれる?拓海は少し考えてから言った。


「毎回は無理だよ」


美月の胸が沈んだ。当たり前だった。


それなのに。


「仕事もあるし」


「うん」


「俺にも予定あるし」


「うん」


「手に」


拓海は少し間を置いた。


「彼氏とのことは、基本的には二人で解決したほうがいい」


美月はカップを握った。


「分かってる」


「うん」


「分かってんけど」


言葉が続かなかった。拓海はそれ以上言わなかった。


しばらく二人とも黙っていた。やがて美月が聞いた。


「仕事、本当に大丈夫?」


「大丈夫じゃない」


美月が驚く。


「え?」


「途中で抜けてきたから」


「駄目じゃん」


「だから大丈夫とは言ってない」


「戻らないと」


「戻るよ」


拓海は時計を見る。


「あと30分くらいしたら」


美月は申し訳なくなった。


「ごめん」


「だから今はいいって」


「でも」


「その代わり」


拓海が美月を見る。


「帰れる?」


「うん」


「ほんと?」


美月は少し考えた。


「帰れる」


「じゃあよし」


そのとき、美月のスマートフォンが震えた。二人とも画面を見た。


蓮。美月の手が止まる。


「出れば?」


拓海が言った。美月は電話に出た。


「もしもし」


『今どこ?』


蓮の声だった。


「駅の近く」


『誰といるの?』


美月は拓海を見る。


「……友達」


拓海は何も言わない。


『男?』


美月は黙った。


『拓海って人?』


「うん」


電話の向こうが静かになった。


『何してんの?』


蓮の声が低くなった。


「話聞いてもらってる」


『俺とのことを?』


「うん」


『美月さ』


蓮が息を吐く。


『俺、その人と二人で会うの嫌だって言ったよね』


美月の胸に怒りが湧いた。


「じゃあ電話出てよ」


拓海が少し美月を見る。


『何?』


「私、何回も電話したよ」


『友達といたんだよ』


「だから何?」


『だから出られなかった』


「私は彼女なの?」


電話の向こうが静かになる。美月の手が震えた。


「それだけ答えて」


『だから今その話する?』


「今して」


『美月、落ち着けって』


「落ち着いてる」


声は震えていた。


「私、蓮くんの彼女なの?」


長い沈黙。拓海は窓の外を見ていた。


聞かないようにしているのが分かった。やがて蓮が言った。


『彼女だよ』


美月の目から涙が落ちた。


「ほんと?」


『そう言ってるじゃん』


「じゃあ麻衣さんは?」


『友達』


「手つないだ?」


沈黙。美月の胸が締めつけられた。


「つないだの?」


『酔ってただけ』


美月は息を止めた。拓海の表情がわずかに変わった。


「どういうこと?」


『向こうがふざけてきたから』


「蓮くんもつないだんでしょ?」


『一瞬だよ』


「一瞬ならいいの?」


『だから何もないって』


美月は泣きながら首を振った。


「ピアスは?」


『知らない』


「麻衣さん、部屋に来た?」


また沈黙。


「来たの?」


『みんなで来たことはある』


「二人では?」


『ない』


「ほんと?」


『ほんと』


美月は信じようとした。麻衣とは付き合っていない。


手をつないだのは酔っていたから。部屋にはみんなで来ただけ。


ピアスは誰のものか分からない。全部、説明はつく。


「じゃあ」


美月が言う。


「何で今日、大学行ってないって嘘ついたの?」


電話の向こうが静かになった。


『面倒だったから』


美月の胸が冷たくなった。


「何が?」


『美月に色々聞かれるのが』


「……」


『麻衣もいたし、言ったらまた疑うだろ』


「麻衣さんといたんだ」


『友達もいたよ』


「何人?」


『そこ重要?』


「何人?」


蓮が苛立った声で答えた。


『3人』


「男の人も?」


沈黙。美月は目を閉じた。


「蓮くんと、麻衣さんと、あと誰?」


『女友達』


男はいなかった。美月は何も言えなかった。


『美月』


「何?」


『別に浮気してないから』


「でも嘘ついた」


『それは美月が面倒だからだろ』


拓海の手が止まった。美月の顔から表情が消えた。


「私が悪いの?」


『悪いとかじゃなくて』


「私が面倒だから、嘘ついていいの?」


『そういう言い方すんなよ』


「じゃあどういう言い方したらいいの?」


蓮も黙った。美月は涙を拭いた。


「今日もういい」


『美月』


「切るね」


『ちょっと待って』


美月は電話を切った。すぐにまた着信。


蓮。美月は出なかった。


もう一度。出なかった。


3回目。スマートフォンを伏せた。


店内の音が戻ってきた。食器の音。


遠くで子供が笑う声。店員の声。


美月は両手で顔を覆った。


「私が面倒だからだって」


拓海は黙っていた。


「私が聞くから、嘘ついたんだって」


「うん」


「私が悪いのかな」


拓海は少し間を置いた。


「そこは違うと思う」


美月が顔を上げた。拓海ははっきり言った。


「美月が面倒だったとしても、嘘ついていい理由にはならない」


美月の唇が震えた。


「俺ならそう思う」


拓海は続けた。


「美月が聞きすぎて嫌なら、嫌だって言えばいい。距離置きたいならそう言えばいい」


「うん」


「でも嘘つくのは別」


美月はまた泣いた。


「拓海さん」


「うん」


「蓮くん、浮気してると思う?」


拓海は少し考えた。


「分からない」


美月は俯いた。


「でも」


拓海は続けた。


「浮気してるかどうかだけが問題じゃないと思う」


美月が顔を上げる。


「美月、最近ずっと苦しそうじゃん」


その言葉に、美月は何も言えなくなった。


「そいつが浮気してないなら全部解決する?」


拓海が聞いた。美月は考えた。


麻衣と何もない。それが分かれば。


安心する。たぶん。


でも。返信を待つ時間。


予定を曖昧にされること。機嫌を読むこと。


聞きたいことを飲み込むこと。面倒だと言われないように言葉を選ぶこと。


それは残る。美月は小さく首を振った。


「……分かんない」


「じゃあ、そこも考えたほうがいい」


拓海はそれだけ言った。別れろとは言わなかった。


蓮を最低だとも言わなかった。美月はそれが少し不満だった。


こんなときくらい。全部、蓮が悪いと言ってほしかった。


でも同時に。だから拓海に話せるのだとも思った。


午後4時半。拓海は会社へ戻ることになった。


店を出る。


「本当に一人で帰れる?」


「帰れる」


「千紘って子に連絡したら?」


「なんで千紘知ってるの?」


「前に聞いた」


「覚えてたんだ」


「それくらい覚えるだろ」


駅の入口まで歩く。美月が言った。


「拓海さん」


「ん?」


「ありがとう」


「うん」


「仕事抜けてまで来てくれて」


「今日はな」


また、その言葉。今日は。


美月は少し寂しくなった。


「次は来ない?」


拓海が困った顔をした。


「美月」


「冗談」


美月は笑った。でも本当は、半分冗談ではなかった。


拓海は少し考えてから言った。


「来られるときなら来るよ」


美月の顔が少し明るくなる。


「でも」


拓海は続けた。


「俺が来る前提にはするなよ」


美月の笑顔が少し消えた。


「うん」


「千紘とか家族とか、ほかにも頼れる人いるだろ」


「うん」


「俺だけじゃない」


美月は小さく頷いた。拓海は手を上げた。


「じゃあ」


「仕事頑張って」


「誰のせいで残業だよ」


「ごめん」


「冗談」


拓海が笑う。美月も笑った。


拓海が背を向ける。歩いていく。


美月はその背中を見送った。以前なら。


拓海は自分が見えなくなるまで、何度か振り返った。今日は一度も振り返らなかった。


美月はしばらくその場に立っていた。スマートフォンが震える。


蓮からだった。


『さっきはごめん』


続けて。


『ちゃんと話したい』


美月は画面を見る。少し前までなら、すぐ返した。


今は返せなかった。拓海に言われた言葉が残っていた。


――浮気してないなら全部解決する?美月は初めて考えた。


自分が知りたいのは、蓮が浮気しているかどうかだけではないのかもしれない。自分は蓮と一緒にいて、幸せなのか。


その問いを。美月は付き合ってから初めて、自分自身に向けた。


翌日。拓海は会社で上司に頭を下げていた。


「昨日はすみませんでした」


「まあ、急用なら仕方ないけど」


「はい」


「仕事は今日中な」


「分かりました」


席へ戻る。机には昨日残した仕事が積まれていた。


後輩の女性社員が小声で聞く。


「大丈夫だったんですか?」


「何が?」


「昨日。すごい勢いで出ていったから」


「ああ」


拓海はパソコンを起動した。


「大丈夫」


「家族ですか?」


「違うよ」


「彼女?」


拓海は少し止まった。


「違う」


「じゃあ好きな人?」


拓海は笑った。


「仕事しろ」


「図星だ」


「違うって」


「顔が違います」


「はいはい」


女性社員は笑って自分の席へ戻った。拓海は画面を見た。


仕事を始める。10分ほどして、スマートフォンが震えた。


美月。


『昨日ありがとう』


拓海は見る。少しして返した。


『もう大丈夫?』


美月から。


『まだ分かんない』


『そっか』


『今日、蓮くんと話す』


拓海は少し長く画面を見た。そして。


『ちゃんと自分で決めろよ』


送った。すぐ既読になった。


『うん』


増れで終わった。拓海はスマートフォンを伏せた。


胸は痛かった。もし蓮が謝って。


美月が許して。二人がまた付き合い続けるなら。


自分はまた、美月が別の男のところへ戻っていくのを見送ることになる。それでも。


拓海は初めて思っていた。美月が誰を選ぶかより。


美月が自分で選ぶことのほうが大事だ。そして同時に。


自分もそろそろ。美月を好きでいることと、美月のためなら何でもすることを、分けなければならない。


それは美月から離れるためではなかった。自分自身を、ちゃんと自分の人生へ戻すためだった。

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