第81話 ★史上最強の騎士 エレオノーラ・ヴァレンティア
古代ダンジョン『試練』の攻略も、いよいよ大詰めを迎えていた。
二人は難攻不落の第29階層をクリアし、残すは最後の最深部、第30階層のみとなった。
ここまで来るのに費やした期間は、ちょうど7日。
ユノの血のにじむような努力、すなわち、必死な話題作りやあえて罠をゆっくり解くといった執念の時間稼ぎのおかげで、なんとかここまで日数を引き延ばすことに成功していた。
熟練の4人パーティでも最短10日は要すると言われる難関ダンジョン。それを2人で、しかも意図的にブレーキを踏みながらの7日間。
ユノの胸中は謎のやり切った感に満ちあふれていた。
(よくやった。……本当に自分を褒めてあげたい……!)
実際のところ、この7日間でユノは人(男)として大きく成長していたといえる。
——人は試練を通して成長する。
そして、男は女を知って成長する。……そういうものである。
「いよいよ30階層ね。ギルドのお姉さんは生還者がいないから29階層で引き返せって言っていたけれど、どうする? ユウ」
メリッサが足を止め、薄暗い最深部へと続く大扉を見つめながら問いかける。
「行こう。君となら、僕はどこへだって行けるさ」
ユノの彼氏モードは、もはや演技をする必要すらなくなっていた。
長い時間を共に戦い、機嫌を取り続けてきた結果、思考を介さず自然と甘い言葉が口をついて出るほどに、ユノは調教されていたのだった。
生死を共にした二人の間には、7日間で確かな絆が芽生えていた。
いわゆる吊り橋効果やゲレンデ効果というやつではあるが、当初のデタラメな『駆け落ちの恋人』という設定通り、本当に愛を育むためにこの高難度クエストを攻略してきたかのような、そんな錯覚さえ覚えるほどの距離感だった。
重々しい大扉を押し開け、二人はついに第30階層へと足を踏み入れた。
そこは、これまでの狭い通路とは打って変わり、見上げるほど高い天井を持つ広大な空間だった。
そしてその中央には、不気味に明滅する巨大な古代の魔法陣が刻まれている。
——ユノは、空間を満たす魔力の異変に即座に気がついた。
(……ッ!? これは、強力な精神干渉術式……!)
「メリッサ! 待っ——」
ユノが言いかけたその瞬間、中央の魔法陣が眩まばゆい光を放ちながら急速に回転を始める。
光が視界を白く染め上げ、次の瞬間、周囲の景色がガラリと変貌する。
現れたのは、見渡す限りの石造りの観客席と、剥き出しの土。それはかつて剣闘士たちが命を賭して戦ったとされる『古代の闘技場』そのものだった。
「一体何が起きているの……!?」
警戒してレイピアを引き抜くメリッサ。
ユノはすぐさま、空間に展開された術式のソースコードを解析する。
(こ、これは……!)
解読した文字列に、ユノは目を見開いた。
古代語で刻まれたその術式の構築理論には、こう記されていた。
——『己が最も強いと認めるものを超える試練』。
(未踏破と言われる所以は……これか)
ぎりりと奥歯を噛み締めるユノ。
これはまずいことになる——
その者がイメージする絶対的な存在。
霊獣、聖獣、超獣……ひょっとするとドラゴンや空想上の百幻獣の王『ライオン』すらも召喚される可能性がある。
人間に勝てるわけがない。
「趣味悪……」ユノが呟く。
発動した術式を止める術はない。
闘技場の中央、立ち上る光の粒子が集束し、一人の女性のシルエットを形作っていく。
「……ぁ……あ……」
その姿が明確になった瞬間、メリッサの口から掠れた声が漏れ、その瞳が驚愕に大きく見開かれた。
光の中から現れたのは、白銀の甲冑を身に纏い、凛とした美しさを放つ女性。
かつて大陸中を震撼させた史上最強の騎士——エレオノーラ・ヴァレンティアであった。
「せ……先生……っ!」
メリッサの声が、小刻みに震える。
現れたエレオノーラは何も言わず、ただ静かに自身のレイピアを身体の前で垂直に構え、美しい所作で一礼をしてみせた。
「……!」
この完璧な所作。
間違いない、本物の先生だ。
メリッサは確信した。
騎士の礼《 Le Salut 》。
それは騎士道において、何よりも重要とされる礼節、礼儀の精神。
一点の曇りもない、我が歩む道への礼。
恥じることのない、己の剣技への礼。
自身の半身とも言える愛剣への礼。
そして、これから命を懸けて死闘を演じる、目の前の対戦相手への礼。
騎士道の完成は、決して自分一人だけでは成し得ない。
気高き師は生前、この精神を何よりも大切にしていた。
「メリッサ、構えなさい」
エレオノーラが、静かに、しかし凛とした声で命じる。
メリッサの手は震えていた。
4年前に亡くなったはずの、恋焦がれ、尊敬してやまない師が目の前にいる。
その圧倒的な存在感。
その道を極めた者だけが放つ、対峙しているだけで身体がすくみ上がるような凄まじい『剣圧』に、本能が恐怖していた。
しかし、メリッサは深く、深く息を吸い込み、震える右手でぎゅっとレイピアの柄を握りしめた。
そして、一瞬だけ後ろのユノへと目配せをする。
(——これは、私の戦い。手出しは、無用よ)
「……了解」
ユノは彼女の瞳にある揺るぎない覚悟を察し、短く応じた。
(君の戦いを最後まで見届ける。それが、今の僕の戦いだ)
メリッサがゆっくりとレイピアを構える。
その瞬間、闘技場の空気が一変する。
大陸屈指の剣の達人となったメリッサと、その超えるべき絶対的な壁である師との戦い。
しかも、眼前に立つエレオノーラは、彼女の全盛期——『19歳』の姿。
『試練』のダンジョン、その最後にして最大の戦いが、今まさに幕を開けようとしていた。




