第8話 危険な研究室
「うわぁ! 本がいっぱい!」
校舎の最上階にある一室の鍵を開けると、ユノが歓声を上げて中へと駆け込んだ。
そこは、かつて大賢者ユノ・クロウが使っていた個人研究室。
リゼにとっては、17歳の頃に毎日のように通い詰めた、とても懐かしい場所だった。
「全然変わっていませんね(この荒れ具合は……)」
不衛生ではない。ただ、床から机の上まで、ありとあらゆる古代の魔導書や研究資料が堆く積み上げられ、散乱しているのだ。
リゼが魔導書の一冊を手に取る。禁忌書分類のラベルが貼られている。図書館から拝借してきた本だ。返却期限は1年以上前——
当時の先生はいつも気だるげで、部屋の中央にある古びた革張りのソファに横たわり、魔導書を顔の上に広げたまま、よく居眠りをしていたものだ。
そんな懐かしい思い出に浸りながら部屋の奥へ進むと、鈍い輝きを放つ一本の杖が専用の台座に鎮座していた。
至極の魔導神器——大賢者の杖『メイスオブゼウス』。
この世に二本と存在しない最高位の逸品であり、並の術者であれば触れただけで魔力が暴走し、精神を破壊されかねないほどの代物だ。
(……もし、先生が《 ヘルファイア 》をこの杖で放っていたら……クレーターどころか、本当に大陸ごと消し飛んでいたかもしれない)
ユノの規格外な恐ろしさを再確認し、リゼが小さく身震いした、その時だった。
「……ん?」
ふと、ある事実に気づいてリゼの思考がフリーズする。
いくら先生が子供の姿になっているとはいえ、ここは元々大人の男性の部屋。そこに仮眠用のベッドが一つ。
つまり——今夜から、この密室で先生と二人きりで過ごすということだ。
(ま、待って! よく考えたら、宿屋よりずっと狭いし密室感があるじゃない!? え、お風呂とかどうするの!? 私、ここで先生と……っ!)
「リゼ? 顔真っ赤だよ? お熱あるの?」
「な、なんでもありません! ほら、部屋がこんなに散らかってますから、まずは片付けを始めましょう!」
可愛く動揺したリゼは、自分のバクバク鳴る心臓の音をごまかすように、慌てて机の上の書類をまとめ始めた。
すると視界の端に、綺麗なピンク色の封筒がいくつか重ねられているのが目に入る。すべて封が開けられていない。
(……これって、女子生徒からのラブレター!? 先生、読まずに放置してたのね。相変わらずモテるんだから……もう……!)
先生のモテっぷりを思い出し、リゼはむうっと小さく嫉妬する。
「ぼ、ボクも手伝う!」
何かを察したユノが、リゼのご機嫌を取ろうと、自分の背丈ほどもある魔導書の山を一生懸命に抱え上げた。
「あ、先生、それは無理をしないで——」
「うわわっ!? ト、トトト……!」
ドサドサドサッ!!
案の定、積み上がった重たい魔導書がバランスを崩して大雪崩を起こした。
そして「ひゃっ!」と声を上げたユノの小さな身体が、前にいたリゼに思い切り突っ込んだ。
「きゃっ!?」
リゼは足がもつれ、そのままふかふかのソファへと押し倒される形になった。
ユノの小さな身体が、リゼの上に重なる。
「……あ」
すぐ目の前に、ユノの顔がある。
8歳の子供の姿。しかし、その整った顔立ちや、リゼをじっと見つめる切れ長の瞳は、かつての大人だった頃の先生の面影を強く残していた。
互いの吐息が触れ合うほどの至近距離。
リゼの顔が、耳の裏まで一気に赤くなっていく。
(近い……っ! 近すぎます……!)
ユノは、押し倒したリゼの胸元に手を突いたまま、じっとリゼの唇を見つめていた。リゼは動くことができない。ユノも魅入られたように動けない。
魔法とはまったく違う意味で、二人の時間が完全に停止していた。
リゼは息を呑む。
(せ、先生……男の人の目になってませんか……?)
と、その時。
——コンコン。
「ひゃいぃっっ!?」
「うわぁっ!?」
突然響いた鋭いノックの音に、二人は飛び起きるようにして離れた。ユノは床に転がり、リゼは髪を振り乱しながらソファの上で直立不動になる。
「リゼ・アンブレスト様、いらっしゃいますか?」
ガチャリと扉が開き、入ってきたのは眼鏡をかけた厳格そうな学長秘書だった。
彼女は散乱した本と、顔を真っ赤にして息を荒くしているリゼたちを見て、不審そうに眉をひそめた。
「……何をしておいでですか? 学長がお呼びです。すぐに学長室へお越しください」
「は、はい! ただいま参りますっ!!」
リゼは爆発しそうな顔を両手で隠しながら、裏返った声で返事をするのが精一杯だった。




