第71話 ★脱獄(前編)
——サラサラと、夜風が砂を払う音が響く。
「ユウ、急ぎましょう!」
月明かりに照らされた夜の砂漠を、颯爽と駆け抜ける影があった。
——勇者パーティの魔法戦士、メリッサである。腰には一振りの細身のレイピアをさしている。
そして、その後ろを必死についていくのが大賢者の杖《 メイスオブゼウス 》を担いだユノだった。
結局のところ、メリッサの凄まじい熱意と勢いに押し切られる形で、ユノはあの快適な地下独房を引き払って脱獄する羽目になってしまった。
ちなみに、二人が装備しているレイピアや杖は、あの『砂漠の牢獄』の保管庫から、テラリアが脱出前にあらかじめ見つけ出して届けてくれたものである。
本当に、うちの地の精霊は有能が過ぎる。
「やれやれ……」
ユノは走りながら、思わず息を吐いた。
せっかく監獄内で、誰にも邪魔されない悠々自適な余暇的な生活を送ろうと思っていたというのに。
もっとも、あのまま残っても取り調べが面倒極まりないし、釈放までの数ヶ月を黙って無為に過ごすつもりもなかったから、いずれは脱獄するつもりではあったのだが——
「それにしても……」
ユノは前方を風のように走るメリッサの背中を見た。
「強引なお姉さんだ……」
砂漠をようやく抜け、ゴツゴツとした岩場に差し掛かったあたりで、東の地平線からゆっくりと朝日が昇ってきた。オレンジ色の光が、乾いた大地を照らし出す。
「……お姉さん、少し休まない?」
ユノは自身の身体にいくつかの補助魔法(肉体負荷軽減・速度上昇等)を駆使し、体力を温存して脚へのダメージを最小限に抑えていた。
それにもかかわらず、ユノの肉体はもうへとへとだった。
一方のメリッサは、呼吸一つ乱さず、まだまだ余裕で走れそうな気配を漂わせている。
信じられないスタミナと脚力だ。
「お姉さんの方こそ人間? 前世は馬だったの?」
ユノが真顔で尋ねると、メリッサは足を止め、ふふっと鈴が転がるように笑った。
「メリッサって呼んで、ユウ」
メリッサ、22歳。若くしてその才能を認められ、弱冠20歳にして剣を極めた一級の達人である。
彼女は周囲の岩陰を警戒しながら、眉をひそめた。
「……それにしても、追っ手は来ないのかしら? あのデザートプリズンから脱獄して、これだけ時間が経っているのに静かすぎるわ」
「大丈夫。デザプリに怪しい動きは今のところないよ」
「えっ? そんなことまで分かるの?」
メリッサが驚いて目を丸くする。
これは、ユノの脳内で常に発動しているテラリアの能力『索敵』のおかげだった。
テラリアは大地に直接触れているものを索敵することができる。彼女がその気になれば、大陸を丸ごと読み込むことだってできる。
砂漠全域の砂の動きや人間の足音を把握することなど、彼女にとってはなんでもない。
「まあね」
(僕には有能な相棒がいるからね)
心の中で付け足すユノ。
だが、ここで「実は精霊と契約してまして」などと言えば話がひどくややこしくなる。
そのため、テラリアの存在は黙っておくことに決めていた。
と、その時。ユノの足元の地面が微かに淡く発光した。
テラリアが気を利かせて、岩陰の奥に即席の『温泉』を掘り当ててくれたのだ。
テラリア、本当に有能すぎる。
「メリッサ、ちょうどいい岩陰に温泉が湧いてる。少し休んでいこう」
「えっ、温泉!? 嘘、信じられない……!」
地下牢獄の劣悪な環境で、まともに風呂にも入れていなかったメリッサは大喜びで岩陰へと向かった。
「……っ、こっち見ないでね!」
服を脱ぐ衣擦れの音と共に、メリッサの少し照れたような声が響く。
ユノはメリッサに背を向け、衣服の裾をまくって温泉の端に足を浸す「足湯スタイル」で寛いだ。
温かいお湯が、走って疲れた脚に心地よく染み渡る。
「ねぇユウ。……あなた、大賢者ユノって知ってる?」
湯船に浸かったメリッサが、お湯をパチャパチャと跳ねさせながら問いかけてきた。
「……あー、まあ、名前くらいは」
ユノは適当な受け答えをした。
当然、「それ、僕です」とは言わない。面倒だから。
「たった一人で魔女を封印した、伝説の賢者なんですって。でも、今は行方不明。
……大賢者がいなければ、私たちがいくら束になってかかっても、復活した魔女には敵わないかもしれないわね」
「んー……でも、メリッサもかなり強いと思うよ」
それは、ユノが彼女の身のこなしや魔力の流れを見て感じた、偽りのない正直な感想だった。
「……ありがと」
岩陰の向こうで、メリッサは少し嬉しそうに声を綻ばせた。




