第70話 ★デザートプリズン
「……悪くない」
重い鉄扉の奥で、ユノは深くベッドに腰掛け、満足そうに呟いた。
ここ『砂漠の牢獄』は、大陸中から集められた極悪人たちが収容される、名実ともに大陸最悪の刑務所である。
国家転覆を目論む政治犯、重罪とされる麻薬密売、違法魔導機の密造・所持、魔導石の違法採掘、はたまた闇の儀式や悪魔召喚に至るまで、国家反逆レベルの凶悪犯たちがひしめき合っている。
そんな監獄の、さらに最下層にある地下独房。
通常であれば生き地獄であるはずのその空間で、ユノは信じられないほど快適な住環境を整えていた。
そこにあったのは、冷たく滑らかな手触りの大理石のテーブルに、座り心地の良いチェア。広々としたベッド。
さらには地下水を魔力で汲み上げたミネラルウォーター確保システムに、シャワーまで完備されている。
さらに、天井には等間隔で設置された、柔らかな光を放つムーディーな発光鉱石がある。
これらはすべて、地の精霊テラリアの能力『建築』及び『編集』によってクリエイトされた設備であった。
地の最高位精霊であるテラリアは、大地に接している環境下であれば、あらゆるものを石や砂、土から創造することができる。
家具一式はもちろんのこと、地下水の調達、さらには地熱の操作によって、空間や水の温度のコントロールも自由自在。
結果としてユノは、この大陸最悪の監獄の中に、家具充実、バストイレ別、エアコン完備、フルセキュリティ(誰も侵入できない)の最強のワンルームメゾンを作り上げていた。
王都の借家の家賃相場からするならば、月12万ゴールドはくだらない設備である。
「ここに『エテルノス全書』※でもあれば、もう言うことはないな。……いっそ、ずっとここにいてもいい」
ユノにとって、誰にも邪魔されない静かな空間は何よりも最高の環境。
ユノが最も愛するもの、それは心の平穏——スローライフだった。
「ユノが喜んでくれて、テラリアもすごく嬉しい……♪」
脳内でテラリアも、ユノと二人っきりのプライベート空間を満喫して幸せそうに声を弾ませている。
現実問題として、ここから正規の手順で出るには最短でも数ヶ月は要するだろう。
今の18歳の姿では、自分が伝説の大賢者ユノ・クロウであると証明することは困難だし、これまでの経緯を説明するのも死ぬほど面倒だ。
おそらく、じっくり取り調べを受けた後、証拠不十分で不起訴となって釈放、という流れになる。
あのレーヴェンとかいう特別執行官が、証拠を捏造でもしない限りは。
もっとも、テラリアの力を使えば脱獄など至極簡単だった。
足元に隧道を掘るだけ。
いつでもできる。
(さて、どうするか。あのレーヴェンという男に一泡吹かせてやるか。しばらくここに留まってバカンスを決め込むか。それとも脱獄するか……。どうせ長い旅だ、結論を急ぐ必要はない)
ユノは贅沢な大理石のベッドに寝転びながら、他の仲間たちに思いを馳せた。
(フィオナはおそらく、僕の最終目的地が『時の塔』であることに気づいて動いているはずだ。リゼは少し心配だが、三精霊のいずれかと一緒であれば大丈夫だろう。
彼女なら、王立天文台で僕の手がかりを見つけて、自力で『時の塔』に辿り着けるはずだ)
そこまで考えて、ふと、もう一人の顔が浮かんだ。
(……あの上半身裸の男は、一体なんだったんだろう。大地の記憶からも、よくわからなかった。——まあ、いてもいなくても旅の支障はないだろう)
完全にルカをノイズ扱いするユノ。
最悪の場合、三精霊はいつでもユノの元へ召喚可能だ。
しかし、逆に精霊たちは今、仲間たちの命運を握っている可能性がある。
ここで下手に呼び出すのは得策ではないだろう。
ユノがそんなことを考えながら、テラリアが作ってくれた炭酸水(石灰石を分解して二酸化炭素を生成し、それを水に溶かしたもの)を飲んで寛いでいると——突如、壁を隔てた隣の独房から、凛とした若い女性の声が聞こえてきた。
「ねぇ、隣のあなた……一体何者なの? さっきから魔力量が並外れているというか……今まで感じたことがないほどの『厚み』を感じるわ。とても、人間じゃないみたい」
ユノはベッドから上体を起こし、壁の向こうへ声を返した。
「人間だよ。僕はユウ。ただの魔法使い。……君は?」
念のため、咄嗟に偽名を使うユノ。
「私はメリッサ。魔法戦士よ。……本当なら、勇者と共に世界を救う旅をしていたはずなんだけど。ある男に卑劣な方法で嵌められてね」
聞けば、世間を騒がせている「魔女復活」の報を受け、急遽『勇者パーティ』が結成されたのだという。
メリッサたちは黒水の魔物や黒の教団と最前線で戦いながら、黒水の魔女を追っていた。
しかしその途上、国家転覆を狙う反逆者の一味であるという身に覚えのない濡れ衣を着せられ、ここに捕らえられてしまったらしい。
「魔導省『特別執行官』のレーヴェン……あいつに嵌められたのよ。私の帰りを仲間が待っている。一刻も早く、彼らの元に戻らなければならないの。
……ねぇ、ユウ。あなたほどの魔力があれば、この監獄から出られるでしょ? 私と一緒に、ここを脱獄しない?」
壁の向こうからの必死な提案に、ユノは天を仰いだ。
(カンベンしてほしい……)
せっかくテラリアのおかげで、フルリフォーム済みの超快適な引きこもりライフを手に入れられたというのに。
今度は『勇者パーティ』である。
ユノはかつて王命で職業勇者と旅をしていたことがあった。しかし、はっきり言っていい思い出はひとつもない。
ユノにとって、勇者は遠くに行ってほしいリストの筆頭。
心底うんざりした様子で、長いため息を深く吐き出すユノであった。
※エテルノス全書
古代賢者エテルノス(生年約三千年前。没年不詳)が記したとされる魔導書。全12巻。魔法を科学・哲学・工学として論じた先駆的な書物であり、ユノが最も感銘を受けた魔導書である。
なお、余談であるが、ユノはエテルノス全書のオリジナル版がどうしても欲しくなり、30歳のときに自宅の屋敷を抵当に入れて権利者から購入した経緯がある。
その後ほどなくして、無慈悲に発動される抵当。ユノは家を失った。そのときのユノの反応は次の通り。
「あー……ま、いっか」
安定の危機感のなさである。
かくして住所不定となったユノは、王都中央魔法学校や王立天文台の研究室に住みこむようになった。現在は王立天文台のユノの研究室内にエテルノス全書は保管されている。
本好きも度が過ぎると狂気。




