第67話 ◇狂気(前編)
5回の勝負を経て、成金男バロンの圧勝。
客観的な状況を見れば、フィオナが圧倒的不利であることは誰の目にも明らかだった。
周囲のギャラリーも「あの美女、バロンのコレクション行きか」「バロンの勝ちで間違いないだろう」と口々に囁き、結果を予想している。
しかし、こと勝負においては、経過の優劣など何の意味も持たない。
その本質を理解していない者が大多数であり、バロンもそんな凡夫の一人だった。
「ハッハッハ! お嬢さん、もう後がないじゃないか。だが、心配しなくてもいい。これから私がたっぷり、たーっぷり可愛がってあげよう!」
バロンは下品にベロりと舌を出し、勝利を確信して笑う。
当然、フィオナはその程度の安い挑発には乗らない。
静観。冷静に状況を分析していた。
ギャンブルにおいて、最も重要なのは『運』でも、ましてや『小細工』でもない。
何が起きても揺るがない『冷静な思考』である。
(この5回の勝負……この男はドローフェーズで確実に有利なカードを引き入れている。そこがこの男の狡猾なところね……)
最初から高い手役が配られる状況は、周囲に明らかなイカサマを印象付けてしまう。ギャラリーもそれに気づき、騒ぎ出すだろう。
したがって、最初にそれぞれに配られるカードはあえて「ブタ(役なし)」。その後のドローで、確実に勝てる役を成立させる。
このドローカードというゲームには、様々なイカサマが存在する。
バロンのイカサマは、『スイッチング』と呼ばれるすり替え行為。
(……おそらく、あの葉巻ね)
バロンが葉巻を咥える、灰を落とす、指でタップする——そういった一連の所作でディーラーにサインを送り、指定したカードを引き入れているのだろう。
巧妙な手口であり、不正の立証は難しい。
ふっとフィオナは艶やかに微笑み、仕掛けに出た。
「——バロン。そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私はフィオナ。
『星詠みのフィオナ』って呼ばれてるわ。よろしくね、バロン?」
「っ……!?」
その瞬間、バロンの脂ぎった表情がガクリと曇った。
——聞いたことがある。未来視と言われるほどの狂気的な精度を誇る、最高位の星詠みの使い手。星の賢者、フィオナ。
カードを配ろうとしていたディーラーも、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
もし彼女が本物の星の賢者だとするならば、魔法や魔導具の類は一切使えない。
彼女がその気になれば、どんな微弱な魔力でも、一瞬で見破られるだろう。
(た、確かに星詠みは脅威……! だが、勝負の『勝ち』や『負け』を予知するにすぎないのならば、恐るるに足らず! すり替えは完璧だ、自分の勝ちは揺るがない……!)
バロンは心臓の鼓動を早めながら、必死に自分に言い聞かせる。
「……見えたわ」
フィオナがさらにプレッシャーをかける。
「あなたが床に頭を擦り付けて、私に跪ひざまずく運命がね」
そして、フィオナは妖艶に笑う。
その一言が、一瞬にして場の空気を支配する。
フィオナの言葉にはそれほどの凄みがあった。
「く、くだらない! はったりだ! さっさとカードを配ってくれ!」
恐怖をかき消すようにバロンが叫ぶ。
ディーラーの手から、運命の6回戦目のカードが配られた。バロンは即座に手元を確認する。最初のカードはやはり安い。
だが、3枚の交換を行えば最高役にも届く手札だ。
「ベット!!」
バロンが叫び、ふと対面のフィオナを見た。そして、その目を見開く。
「!?」
フィオナは、配られた5枚のカードに手を触れてすらいない。卓上に放置したままだった。
「な、何をしている! 早くカードを確認しろ!」
「ふふふ、もう見る必要もないの」
フィオナはチップの束を中央へと押し出した。
「レイズよ。倍プッシュ」
「な、なんだと……!? 怯むか、わ、私もレイズだ……!」
バロンが声を荒げる。しかし、フィオナはニヤリと妖しく笑った。
「レイズ。さらに倍プッシュよ」
バロンの巨体がガタガタと震えだす。
(まさか、手をつけていないあの5枚のカードを、すべてすり替えたとでも言うのか……!?
ありえない、いくら星詠みといえど、そんな真似ができるはずが……!)
——だが、一度生まれた疑念は、容易に拭い去ることはできない。暗い泥のように脳内に広がっていく。思考を麻痺させていく。
底知れぬ狂気を放つフィオナ。
自分はすでに術中に嵌っているのか……
本当に自分が跪く未来でも見たというのか……
バロンの思考は底なしの泥沼に飲まれていくのであった。




