第58話 ☆炎の巫女
翌朝、南国特有の眩しい太陽の光が部屋に差し込む頃には、ターニャの手当の甲斐もあり、リゼの体力はすっかり回復していた。
「ターニャさん、昨日は本当にありがとうございました。何か、私にお礼をさせていただけませんか?」
身支度を整えたリゼが、朝食の片付けをしていたターニャにそう申し出ると、彼女は「えーっ!」と人懐っこく目を丸くした。
「そんなのいいのにー! アタシは行き倒れてる人を放っておけなかっただけだし!」
「いえ、そういうわけにはいきません。私の気が済まないのです」
凛とした態度で譲らないリゼに、ターニャは困ったように笑い、それから人差し指を顎に当てて「じゃあさ……」と切り出した。
「もしよかったら、アタシの『火山の祠』へのお参りについてきてほしいな。一人だとちょっと危なくなってきてて」
「火山の祠、ですか?」
「うん。アタシ、毎朝そこで祈りを捧げるのが日課なんだ。でもね、最近あの火山の周りに魔物が増えてきているみたいで……」
ふと、ターニャは周囲の空間をキョロキョロと見回した。
「あれ? そういえば、昨日感じたあの凄く暖かくて強い精霊様の気配、今は近くにいないみたいだね」
「ええ……。イグニスさんなら、今は別の場所にいます」
リゼは胸の奥がキュッと引き締まるのを感じた。『炎の祭壇』で待つと言い残して消えた火の精霊。今の自分には、彼女と同行する資格すらないのだ。
◇
——ガサガサッ!
祠へと続く、赤茶けた岩肌の山道を登っていた時のことだった。
突如、背の高い茂みから、炎を纏った狂暴な魔獣「フレイムウルフ」が数匹、牙を剥いて飛び出してきた。
「ひゃあッ!?」
悲鳴を上げて身をすくめるターニャの前に、リゼは瞬時に割り込んだ。その動きには一切の迷いもない。腰のホルダーから素早く杖を抜き放ち、鋭く一閃する。
「《 アクア・カノン 》」
リゼの放った高位の水属性魔法が、凄まじい質量と速度の濁流となってウルフたちを直撃した。
属性攻撃。魔獣たちにとってもひとたまりもない魔法だ。
ジュウウ、と激しい水蒸気を上げながら、魔獣たちは一撃で消し飛ばされ、逃げ去っていく。
「す、すごーーい! お姉ちゃん、やっぱりめちゃくちゃ強い魔法使いなんだね!」
目を輝かせるターニャに、リゼはホッと胸をなでおろしながらも、小さく微笑んだ。
「これくらい、大したことはありません。……さあ、先を急ぎましょう」
やがて二人は、火山の中腹にある古びた石造りの祠へと到着した。
ターニャは静かに祭壇の前に跪き、胸の前で手を組んで、とても熱心に祈りを捧げ始めた。
その横顔は、いつもの天真爛漫な少女のものとは思えないほど、どこか悲痛で、切実なものだった。
祈りを終えたターニャに、リゼはそっと問いかけた。
「ターニャさん。どうしてそんなに熱心に、毎日お祈りをしているのですか?」
ターニャは自嘲気味に、ぽつりと苦笑いを浮かべた。
「……あのね、リゼお姉ちゃん。『炎の巫女』なんてカッコいい名前で呼ばれてるけど、この辺境の村じゃ、本当は『忌むべき存在』なんだよ」
「え……?」
「アタシね、生まれつき火の魔力が強すぎるみたいで、自分の力の制御がうまくできないんだ。
……悲しいこととか、怒ったこととかがあって感情が昂ぶると、アタシの意志とは関係なく、周りのものを焼き尽くすくらい炎が暴走しちゃうんだ」
寂しそうに自分の小さな手を見つめるターニャ。
「でもね、この祠で毎日欠かさず祈りを捧げると、火の精霊様が優しく加護をくれるの。そのおかげで、アタシの魔力の暴走が抑えられてるんだ。
だから、アタシにとってここは、村のみんなを傷つけないために、どうしても必要な場所なの」
その言葉は、リゼの胸に深く突き刺さった。
この小さな少女が一人でどれほどの恐怖と孤独を抱え、精霊の力にすがってきたのかを知り、リゼは彼女の手をそっと握りしめた。
「——ようやく見つけたぞ。『炎の巫女』のガキ」
突如、祠の入り口から不気味な声が響いた。
現れたのは、禍々しい漆黒の法衣を纏った数人の魔術師たち。その胸元に刻まれた不吉な紋章を、リゼは見落とさなかった。
「黒の教団……!?」
「お前に用はない、異端の魔術師め。我らの目的はその娘だ。その身に宿る莫大な炎の魔力、黒水の魔女様のための生贄として捧げてもらう!」
黒の教団の魔導師たちが、一斉に禍々しい闇の魔法を放とうと杖を構える。
「ターニャさん、私の後ろへ!」
リゼの瞳に、激しい怒りの炎が宿った。
先生の命を狙う元凶の配下たちが、今また目の前の健気な少女を奪おうとしている。
(もう、誰も奪わせない……!)
リゼは瞬時に魔力を限界まで練り上げ、最高位の防壁を展開しつつ、間髪入れずに反撃の呪文を紡ぐ。
「《 トール・ハンマー 》!」
バリバリと空間を震わせる轟音と共に、激しい紫電の束が教団の魔術師たちを直撃した。複数を相手にしているとは思えないほどの圧倒的な威力と精密さ。
高位魔法の直撃を受けた教団の男たちは、悲鳴を上げる暇もなく消沈し、退避魔法を使い撤退していった。
「リゼお姉ちゃん……。本当に、すごかった……」
リゼの背中にしがみつき、ガタガタと震えていたターニャが、畏敬の念を込めて呟く。
「大丈夫ですよ、ターニャさん。私があなたを守ります」
リゼは優しく彼女を抱きしめ、二人は警戒を怠らないようにしながら急ぎ、辺境の村へと戻った。
ターニャの家に帰り着き、ようやく一息ついた頃。ターニャは不思議そうにリゼを見上げた。
「ねえ、リゼお姉ちゃん。お姉ちゃんは、あの凄く強い火の精霊様と一緒に旅をしてるんだよね? 火の精霊様と契約してるの?」
その純粋な問いに、リゼは少しだけ寂しそうに首を振った。
「いいえ……。私はまだ、未熟ですから。イグニスさんとは、契約を結べていないのです。
今の私は……隣に立つ資格すらありません」
「そんなことないよ!」
ターニャがリゼの両手を強く握り返した。
「アタシ、わかるよ。お姉ちゃんの魔法はとっても優しくて、でも凄く強かった!
アタシを助けてくれた時のお姉ちゃんの強さなら、火の精霊様だって絶対に認めてくれるよ!」
自分よりも小さな少女からの、真っ直ぐな励まし。
その言葉が、リゼの心の奥底に燻っていた迷いを完全に吹き飛ばした。
(そうね……。ここで立ち止まっている暇なんてない。私が強くならなければ、先生を迎えにいくこともできない)
リゼは深く息を吸い込み、決意を新たに瞳を開いた。
「ありがとう、ターニャさん。……覚悟が決まりました。私は明日、イグニスさんの待つ『炎の祭壇』へ向かいます」
そして、リゼは真剣な眼差しでターニャを見つめた。
「ターニャさん。私を『炎の祭壇』まで、案内していただけませんか?」
「うん! もちろん喜んで! ターニャにお任せあれ!」
ターニャは元気よく胸を叩き、満面の笑みで答えた。
ユノの背中へと再び繋がる、試練の地への扉。
リゼは迫る決戦の明日を見据え、その手にしっかりと杖を握り直した。




