第55話 ☆リゼとイグニス
——どこか懐かしい、薪の爆ぜる匂いがした。
「……んっ……」
リゼはゆっくりと重い瞼を持ち上げた。視界に飛び込んできたのは、見慣れぬ木造りの天井。
体を起こして周囲を見回すと、そこは素朴ながらも温かみのある見知らぬ部屋のベッドの上だった。
そして、そのベッドの傍らには、腕を組んで不機嫌そうに佇む赤髪の美女がいた。ユノの契約精霊、イグニスだ。
「やっとお目覚めね、リゼ」
「イグニス……さん?」
「ここは大陸の最南端にある、名もなき辺境の村さ」
勝気なお姉さん然とした佇まいのイグニスは、窓の外を顎でしゃくった。
「リゼ。あんた、あの転移魔法陣に飛ばされて、気を失って半日ほど丸々眠りこけてたんだよ。
まぁ、あの満身創痍の状態から強制転移に耐えたんだ、生きてるだけ儲けものね」
イグニスの説明を聞くうちに、リゼの脳裏にあの『流星の谷』での黒水の魔女との死闘の記憶が鮮明に蘇ってきた。
圧倒的な絶望。限界を超えた防衛戦。そして、18歳の姿になったユノが腕を伸ばす。
しかし、最後に魔法陣が起動して、それから……。
(先生は……フィオナさんは、今どこに……っ?)
ユノを探す手がかりが何も無いという過酷な事実に、リゼが混乱と思考に沈みかけたその時、部屋の扉がバタンと元気よく開き、一人の少女が盆を持って入ってきた。
年齢は12歳前後、手織りの異国情緒ある衣服を元気よく着こなしている。
「あ、気がついたんだ! よかったー、心配したんだよ!」
少女はリゼが起き上がっているのを見て、人懐っこくパッと顔を輝かせた。
「アタシはターニャ! この地で『炎の巫女』をやってるんだ。村外れの荒野で倒れてたお姉ちゃんを見つけてさ、ここまで運んで手当てしたんだよ!」
「あなたが私を……。ありがとうございます、ターニャさん。私はリゼといいます」
リゼが深く頭を下げると、ターニャは快活に「いーえっ!」と笑い、それからふと部屋の何も無いはずの空間——イグニスが立っている場所へと視線を向けた。
「ターニャさん……?」
「あ、いや……。アタシの目には何も見えないんだけどさ。……その場所に、めちゃくちゃ暖かくて強烈な『火の精霊様』の気配がすっごく伝わってくるんだよね。気のせいじゃないなら、お姉ちゃんはその精霊様と一緒に旅してるの?」
少女の言葉に、リゼとイグニスは驚きに目を瞬かせた。
精霊の姿は見えずとも、その神聖な気配を感じ取れるほどの高い素質が、この快活な『炎の巫女』の少女にはあるようだった。
◇
その日の夜。ターニャが用意してくれた滋養のあるスープを飲み終えた後、部屋にはリゼとイグニスの二人だけが残されていた。
窓の外には、南国特有の満天の星が広がっている。
「——で、これからあんたはどうするつもり?」
それまで黙っていたイグニスが、真剣な声音でリゼに問いかけた。
リゼはスープの器を見つめたまま、悔しさに拳をきゅっと握りしめる。
「先生を探します。……でも、ここは最南端の村で、先生がどこに飛ばされたのかも、手がかりが何一つなくて……」
「ハッ、あんた、それ本気で言ってるの?」
イグニスは鼻で笑い、冷徹な眼でリゼを正面から見据えた。
「あんたのその健気な根性だけは認めてやるよ。けどな、現実を見ろ。
あの戦いで、あんたが張った防壁なんて、ババアの一撃でガラスみたいに木っ端微塵だったろ」
「それは……っ」
「はっきり言ってやるよ。今のままのあんたじゃ、手がかりを見つけてユノのところに辿り着けたとしても、聖戦の舞台に立つどころか、ユノの足を引っ張るだけの『足手纏い』だ。
下手すりゃ真っ先に人質にとられて、ユノと共倒れになるのがオチだよ」
痛いところを突かれ、リゼは言葉を詰まらせた。
イグニスの言う通りだった。自分はただ守られるだけで、先生を助けるどころか、最後に手を繋ぐことすらできなかったのだ。
「このままユノを追いかけたいってんなら、相応の覚悟と力を示しな」
イグニスは両拳を軽く打ち鳴らし、激しい火花を散らせた。
「火の精霊——すなわち、このあたしと正式に契約できるくらいの力がなきゃ、この先は命がいくつあっても足りない。ユノに頼り切る甘えはここで捨てな」
「イグニスさんと、契約……?」
イグニスが頷く。
「この村からさらに南東へ下った荒野の奥に、『炎の祭壇』がある。そこで私が直接、試練を与えてやるよ。
あたしの炎を捻じ伏せてみせな。それができなきゃ、ユノを探す資格なんてないよ。ここでお留守番だ」
火の精霊のお姉さんからの、直々の挑戦状。
これまでの旅は、常にユノという絶対的な存在がいた。だが、今はいない。
自分が強くならなければ、手がかりすら掴めず、もう二度と先生の隣に立つことはできないのだ。
リゼはゆっくりとベッドから足を踏み出し、床へ着いた。
そして、じっとイグニスを見つめた。
「ふふ……いい目になってきたね」
リゼの瞳を見て、イグニスは不敵に、獰猛にニィと笑う。
「あたしは『炎の祭壇』で待つ。覚悟が決まったらいつでも来な!」
そう言い残すとイグニスは炎と共に姿を消した。
ユノの背中を再び追いかけるため、大賢者の弟子、リゼの戦いが南端の地で静かに始まろうとしていた。




