第52話 大番狂わせ
戦いは、神話の領域たる最終局面へと突入していた。
現実世界に顕現した風の精霊シルフィ、火の精霊イグニス、水の精霊ウンディーネ。
その連携はまさに三位一体の極み。嵐が荒れ狂い、爆炎が舞い、激流が穿つ完璧なコンビネーションで魔女の肉体を肉薄し、叩き潰していく。
世界の元素……いや、世界そのものを司る神秘の存在。
かつて人間が神として畏怖した精霊たちの戦いは、絶望的な状況の中であっても、思わず見惚れてしまうほどに強く、そして圧倒的に美しかった。
その前衛の猛攻に守られながら、リゼとフィオナは、防壁をすり抜けてくる黒水の触手からユノの身を必死に護り続けていた。
しかし、空間そのものを支配する魔女の底力は常軌を逸していた。無限に湧き出す黒水が精霊たちの聖なる魔力をじわじわと侵食し、形勢は再び傾き始める。
「こいつの魔力……マジでヤバいんだけど!」
「チッ、底なしかよ! どんだけ溜め込んでやがる!」
「さすがに一筋縄ではいきませんね」
かつて大賢者ユノと精霊たちの力によって封印された魔女は、精霊の強さを誰よりも熟知していた。
それ故に、彼女の顔からは先ほどまでの不敵な笑みは消え失せ、冷酷な本気の眼差しへと変わる。
「目障りな精霊どもが……消え失せなさい!」
魔女の魔力出力が、さらに一段階跳ね上がった。
ドゴゴゴゴ……!と大気が激しく震え、隔離結界の内側全体が悲鳴を上げて振動する。
とうとう形勢は決定的に魔女へと傾き、三精霊の防陣が力任せに圧倒され、押し潰されそうになった。
もう、後がない——全員の脳裏に死の文字が過った、その瞬間だった。
——パキィィィィィィン!!!
洞窟全体に、ガラスが派手に割れるような高い音が響き渡った。
同時に、世界を侵食していた黒い結界の法が、反転。純白の光へと上書きされていく。
ユノの分解術式。5941行のすべての分解コードが完成し、発動したのだ。
「バカな!? 私の結界が……書き換えられたというの!?」
魔女が驚愕に目を見開く。
「みんな、よくやった! あとは脱出するだけだ!」
ユノが叫ぶ。しかし、魔女の怒りはすでに頂点に達していた。
「忌々しい……忌々しいわぁぁぁ!!! ユノ、あなただけは絶対に逃がさない!!」
魔女が残されたすべての魔力を暴走させ、指先に超高密度の暗黒物質を形成していく。すべてを消滅させる絶望の魔力。
——あと3秒。
脱出経路の構築。すなわち、転移魔法陣を発動させれば、この悪夢から解放される。
その魔法陣を描き切るまで、最低でも3秒を要する。
だが、それよりも早く、数瞬のうちに魔女の魔法が放たれる——
魔女の方が一手早い。
ここまで来て、最後の最後で破滅の光に呑まれるのか——
——しかし、そのとき、誰も予想だにしなかった事態が発生する。
「ふおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっっっ!!!!!」
緊迫した神聖な洞窟内に、およそ世界観にそぐわない地獄の底から響き渡るような『変態の咆哮』がこだました。
ズバァァァァァァァァン!!!
乱入してきたのは、予測不可能な男。
なぜか『上半身裸』になり、目をこれ以上ないほどバッキバキに輝かせたルカ・ウェインだった。
「……え?」と、フィオナが呆気に取られた声を漏らす。
「ルカくん!?」と、リゼが目を丸くする。
「バッキバキ!?」と、イグニスが叫び。
「変態!?」と、シルフィが指を差し。
「……なんで裸?」と、ウンディーネが真顔で引き。
「誰?」と、18歳のユノが本気で困惑した。
あまりにも予測不能かつ凄まじい絵面の変態の襲来に、さしもの黒水の魔女も「は?」と動きを完全に止め、呆気にとられてしまった。
その一瞬の隙を見逃さず、ルカは「とああっ!」と叫びながら、上半身裸のまま魔女に向かって全力の肉弾体当たりを敢行した。
「きゃあっ!? 何なのよこの男ぉ!?」
史上最悪の魔女が、ただの不審者に襲われた少女のように本気でびっくりして悲鳴を上げる。
「ユノ大先生! 今です!」
魔女にハグをしながら、ルカがバッキバキの目で叫ぶ。そして、魔女の耳朶に「ふっ」と優しく息を吹きかける。
「いやぁ……!」
魔力を一切消費しない謎の攻撃で、魔女が涙目になっている。
理由はまったく分からないが、これ以上ない絶好のチャンスだった。
「——全霊転移《 プロンプト・ゲート 》!!」
ユノは大杖を叩きつけ、足元に巨大な転移魔法陣を光速で描き出した。
「みんな! 乗れ!!」
眩い光が爆発する。フィオナ、ウンディーネ、シルフィ、イグニス、そして役目を終えて魔女に吹き飛ばされたルカが次々と魔法陣へと飛び込み、次元の彼方へと転送されていく。
だが、ユノにしてあまりに緊急の魔術行使だったため、座標を指定する精密な制御の時間はなかった。
ユノが手を伸ばす。
「先生!!」
その手を掴まなければ、二人は別々の場所へ飛ばされてしまう。
光の奔流の中、リゼもまた涙を浮かべてその手を伸ばした。
しかし——あと数センチというところで、二人の指先は、わずかに届かなかった。
無情にも魔法陣の光が極大に達し、次の瞬間、爆発的な収束と共に消滅した。
静寂が戻った洞窟の最奥。
残された黒水の魔女は、煤けたドレスを揺らしながら、ユノたちが消え去った空間を忌々しげに見つめていた。
その瞳には、狂気的な執着の炎が未だに激しく燃え盛っている。
「……地の果てまで追いかけて、必ず手に入れるわ。私の、可愛いユノ」
魔女の冷酷な呟きが、不気味に響き渡る。
こうして、世界の命運を懸けた激闘は、幕を閉じたのだった。




