第51話 The Extreme
時間にして、およそ2分弱。
人智を絶する速度で、ユノは魔女の結界を構成する5941行の階層ソースコードを完全に解読した。
大賢者の頭脳は、その膨大な文字列を1文字の誤りもなく正確に記憶している。
だが、ここからが本当の折り返しだった。
今度はそのコードを1行目からすべて、世界の法を捻じ曲げる『分解式』へと書き換えていく、さらなる地獄の演算、《記述》が待っている。
「……頭が焼きつきそうだ」
ユノは端麗な額に歪な青筋を浮かべ、低く呻いた。
幾千もの並列思考を限界を超えて回し続けた対価として、脳が物理的な熱を帯びている。
さすがのユノも、その疲労はすでに極限に達していた。
しかし、それ以上にリゼとフィオナのダメージは深刻だった。ユノが冷徹な双眸で周囲を見回し、瞬時に戦況を分析する。
——残された時間はあと3分。二人の肉体はすでに限界を迎えている。このままの布陣で、あと3分もつか?
答えは『否』。不可能だ。分解式を完成させる前に、二人が肉塊に変わる未来がはっきりと見えた。
「うふふ、あははは! あなたの大切な仲間が死んじゃうわよ?」
宙に浮かぶ黒水の魔女が、血の滴るような唇を吊り上げて不敵に嗤う。
「ねぇ、ユノ。これ以上無駄な抵抗はやめて、私と一つになりましょう? そうすれば、その哀れな雌猫たちの命くらいは助けてあげてもいいわよ?」
「……やれやれ」
ユノは忌々しげに吐き捨てた。
この執着の化け物にそんな慈悲などあるはずがない。
吸収が完了した瞬間に、全員まとめて黒水の肥やしにする気なのは分かりきっている。
「——奥の手を使う」
ユノは《 メイスオブゼウス 》を地面に深々と突き立て、体内の全魔力を強引に絞り出した。その背後に、空間を割って三つの巨大な魔力の奔流が噴出する。
「顕現せよ——シルフィ! イグニス! ウンディーネ!」
まばゆい光と共に、ユノが契約する三精霊が同時に現実世界へと召喚された。
神話の具現たる圧倒的な威容が洞窟を満たす。
「ハッキング完了まであと3分だ。それまで魔女を抑え込んでくれ。僕が死んだら君たちも消える。……頼んだ!」
ユノの命令に、緑の髪をなびかせた風の精霊が、いつも通りの不敵な笑みを浮かべた。
「なーに言ってんのよ。ユノと一緒だったら、消えてあげてもいーよ?」
「シルフィ、冗談を言っている場合ですか。主の命です、確実に3分守り抜きます」
水の精霊ウンディーネが、冷徹な魔力の刃を構えて眼鏡を押し上げる。
「いくぜ! セクハラ糞ババア!!」
炎の精霊イグニスが両拳を打ち鳴らし、大爆発を起こしながら叫んだ。
三精霊の参戦により、絶望の空間に一筋の烈光が走る。
魔女は不愉快そうに目を細め、その美貌を怒りに歪ませた。
「まだ抗う気なのね……! 楽には死なせないわよ!」
「——始めるぞ!」
ユノは再び目を閉じ、結界コードの強制書き換えに取り掛かった。
脳が融解するような激痛に耐えながら、死力を尽くして分解式を記述していく。
「私たちも、まだ動けます……! 先生には、指一本触れさせない!」
「星の賢者の意地を見せてあげるわ……!」
リゼとフィオナも血を拭い、最期の気力を振り絞って立ち上がった。前線を張る三精霊と足並みを揃え、魔女の猛攻を迎え撃つ。
「吹き飛べぇ!!」
シルフィが両腕を振るうと、洞窟内に全てを切り裂く巨大な真空の竜巻が巻き起こった。
「オラオラァッ!!」
イグニスが肉薄し、両拳に纏った烈火の爆炎連撃が魔女の身体を何度も爆砕する。
「《 メイルシュトローム 》!!」
ウンディーネが放つ巨大な水の渦潮が、周囲から押し寄せる黒水の触手を強引に巻き込み、その動きを完全に封じ込めていく。
「面白い……! ならば全員、まとめて私の血肉にしてくれる!!」
魔女の魔力がさらに膨れ上がり、狂気の咆哮と共にドス黒い魔力の嵐が吹き荒れた。
神話の戦いをも超越する、史上類を見ない激烈な総力戦が展開される。
しかし、純粋な魔力の総量においては、やはり300年分の魔力を蓄えた魔女が上回っていた。
三精霊と、満身創痍のリゼ、フィオナが合力を尽くしてなお、戦況は徐々に魔女の優勢へと傾いていく。
黒水が、精霊たちの聖なる魔力をじわじわと侵食していく。
(耐えてくれ……みんな、あと少しだ……!)
彼の脳内では確実に、魔女の結界の法が1行ずつ、大賢者の数式へと書き換えられていく。
限界と破滅の境界線上で、戦いはついに、すべてが決する最終局面へと突入した。




