第5話 地獄の業火
——カチリ。
再び世界の歯車が噛み合い、止まっていた時間が動き出す。
「ひゃははは…………は!??」
突然目の前に現れたユノに、アデスの目が驚愕に見開かれる。
と、同時にユノがシルフィに命じる。
「シルフィ! 力を貸せ」
『はーい♪』
快活な声が響くと、ユノの指先から猛り狂う暴風が解き放たれる。
空間そのものを引き裂くほどの荒々しい竜巻が起こり、アデスの絶大なる闇の刃を、跡形もなく粉々に打ち砕いた。
「なっ……何が起きた!?」
呆然とするアデスを余所に、ユノは間髪容れずに次の名を呼ぶ。
「ウンディーネ! リゼを守れ」
『畏まりました、我が主』
澄み渡る水の魔力が地面に倒れるリゼの身体を優しく包み込む。清らかな水の結界が彼女の周囲に展開され、あらゆる外部の攻撃を遮断した。
「《 リザレクション 》」
ウンディーネの慈愛に満ちた詠唱が響くと、リゼの身体の痛みが嘘のように引いていく。
闇魔法によって裂かれた傷が瞬時に塞がり、リゼに掛かった悪しき効果はすべてかき消された。
「な、なんだこのデタラメな魔力は……!」
「ひぃっ! 連携を、立て直せ……っ!」
あり得ない光景を前に、黒の教団の手下たちが恐れ戦き、その完璧だった連携が目に見えて乱れ始める。
背を向けて逃げ出そうとする者さえいた。
「テラリア! 逃すな」
『……任せて』
テラリアの気だるげな声が響いた瞬間、大地が生き物のように咆哮を上げた。
ゴゴゴゴゴと地響きを立てて地面が急激に変形し、逃げ道を塞ぐように巨大な岩の壁が教団の手下たちをぐるりと囲い込む。完全なる脱出不能の檻。
「クソがぁっ! 調子に乗るなよ!! そんな子供の姿で、この俺に勝てると思うなァ!!」
完全に頭に血が上ったアデスが、全魔力を込めて最大級の《 アビス・スネーク 》をユノに向けて放った。
何十匹もの大蛇のような闇が空を覆い、小さなユノの身体を丸呑みにせんと襲いかかる。
ユノは呆れたように、小さくため息を吐く。
「……遅い」
次の瞬間、その身体は虚空へと消えていた。
闇の大蛇は虚しく地面を抉るだけ。
「なっ、消え——」
「こっちだ、マヌケ」
不意に背後からかけられた冷徹な声に、アデスは総毛立った。
瞬間移動。
それもまた、ユノが得意とする《 時の魔法 》であった。
「化け物めがぁぁぁっ!!」
アデスは半狂乱になりながら、振り返りざまに《 アビス・スネーク 》を連発する。黒い閃光が幾重にも交差するが、ユノはこともなげに瞬間移動ですべてをひらりと、完璧にかわす。
そして、アデスの背後に回り込んだユノが、小さな手で時の魔法陣を描き出す。
「しまっ——」
「《 ストップ 》」
展開された魔法陣が光を放った瞬間、アデスの身体が完全に硬化した。指一本動かせない。
そして、最後の精霊の名が叫ばれる。
「イグニス! 《 地獄の門 》を開け」
『あいよ! 大陸ごと吹っ飛ばすなよ?』
言葉とは裏腹に、イグニスは楽しそうに笑っていた。
次の瞬間、昼間だったはずの空が暗転し、虚空が裂ける。
ユノが静かに、しかし、冷酷に詠唱を始める。強大な魔力が渦を巻き、異常な出力に大気がビリビリと音を立てて震える。
「——出でよ。《 地獄の業火 》」
ユノは終焉を告げるように、最大火力の魔法を唱える。
そして、踵を返し、敵の群れに背を向けて歩き出した。
勝負は既に決していた。
すると、虚空の裂け目からバリバリと音を立てながら、見たこともないような巨大な炎の球体がゆっくりと姿を現した。その大きさは20…いや、30メートルはある。
その業火は、まるで地上に出現した恒星。
超高密度の質量をもったその禍々しい光球は、無慈悲に地表へと落ちていく。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
それは超新星爆発を髣髴とさせる、破滅的な光景。
轟音とともに凄まじい光が世界を白く染め上げ、大気が、大地が、文字通り熱線によって蒸発していく。
ユノは残光を背に受けながら、バタバタとローブをはためかせていた。
やがて光が収まった時——そこには、巨大なクレーターだけが残されていた。
アデスも、檻に閉じ込められていた手下たちも、影一つ残さず完全に消滅していた。
戦いは終わった。
虚空の裂け目は完全に消え去り、何事もなかったかのように、再び穏やかな木漏れ日が街道に差し込んでくる。
水の結界が解けたリゼの方へとユノがゆっくりと歩いてきた。しかし、その足取りは、どこか危うい。
「せ……ん、せい……?」
リゼは立ち上がり、その姿を見つめる。
ユノはリゼの目の前まで来ると、いつもの少し意地悪そうで、けれど、優しい笑みを浮かべた。
「よく頑張ったな、リゼ」
ユノがくしゃくしゃっとリゼの頭を撫でる。
リゼの心臓がドクンと大きく跳ね上がった。
しかし、そこまでだった。
「あ……」
子供の姿で魔力を消費しすぎたユノは、そのまま力なくふらりと前に倒れ込んだ。
「先生!?」
リゼは慌ててその小さな身体を両腕で抱きとめる。
腕の中に収まったユノは、すっかりいつもの8歳の甘えん坊の寝顔に戻って、すやすやと寝息を立てていた。
静寂が戻った街道で、リゼはユノをぎゅっと抱きしめたまま、自分の早鐘を打つ心臓の音を聴いていた。
(……ずるいです。本当に、ずるすぎます、先生……)
窮地を救ってくれた師への憧憬。
それと同時に、自分に向けて言ってくれた「よく頑張ったな」という言葉が、頭の中で何度も何度もリフレインして離れない。
先生に助けてもらえて嬉しいはずなのに、どうしてこんなにも、胸の奥が切ない痛みを上げるのだろう。
同じ子供の姿でも無邪気で甘えん坊な先生にドキドキさせられて、圧倒的に強くて、優しい言葉を掛けて、頭を撫でてくれた先生に心を奪われて。
私は、もう完全にこの人に振り回されっぱなしだ。
(でも……)
今はまだ、先生の足元にも及ばない未熟な私だけど、この小さな背中だけは、私が絶対に守り抜いてみせます。
腕の中の愛しい温もりをもう一度強く抱きしめ、リゼは決意を新たにするのだった。




