第49話 演算開始
5分——300秒。
それが、18歳のユノが極限の状況下で弾き出した、生還への制限時間。
それは、黒水の魔女が張った空間そのものを隔離する強固な結界を解くには、あまりにも短すぎる時間。
そして、その魔女の猛攻を正面から受け止めなければならないリゼとフィオナにとっては、永遠に思われるほどの絶望的な時間。
生還できる可能性は限りなく低い。
だが、やるしかないのだ。
——魔女を討つには、強力な術者の頭数を用意すれば足りるか。
否。歴史上、数多の名だたる高位術者たちが、その浅はかな思考の果てに命を落としてきた。
魔女の固有魔法である『黒水』は、触れた術者の精神を汚染し、肉体を己の傀儡へと変える。
強力な術者であればあるほど、魔女の強力な配下へと堕ち、かつての味方を容赦なく攻撃する牙となるのだ。
すなわち、戦力戦術における『数の有利』は、この魔女の前では基本的に意味を成さず、むしろ悪手とすらなり得る。
——では、この歴史のバグたる魔女を討つ手立ては、他に存在するのか。
そんなものは、初めから存在しないのだ。
魔女には300年のアドバンテージがある。その魔力は極大。無尽蔵と言っても過言ではない。
さらに、万が一にでも与えられたダメージすら、黒水が肉体を侵食してあっという間に治癒してしまう。
故に——倒すことは不可能。
努力、精進、鍛錬。人間は気の遠くなるような時間を費やし、成長を遂げる。高みへと至る。
美化するならば、それこそが人間の最も美しい功績。偉大な軌跡といえよう。
越えられない壁はない。可能性は無限大である。誰もがそう信じる。そう信じずにはいられない。
だが、現実は非情である。
いかなる修業を積んでも、いかなる徳を積んでも、人間には限界がある。淘汰できないものがある。
圧倒的な力の前に、人間は無力であるといわざるを得ない。
——ユノは思う。
最も重要なのは生きること。死なないこと。
死は、犠牲は、そこから何も生み出さない。
「誰も死なせない」という揺るぎない決意。そこから最も合理的な思考が生まれる。
物語のような希望的な思考や、根拠のない楽観。
それらこそが戦場において戦術家の目を曇らせる最大の毒だと、ユノは誰に教わるともなく、誰よりも戦いの本質として理解していた。
(あのババアは倒せない。だからこそ、「封印」するしかない……けれど——)
ユノは大杖を強く握り直す。
魔女の完全封印には、世界を構成する四精霊との同時契約が必須条件となる。
だが、今の18歳のユノは、シルフィ、イグニス、ウンディーネの三精霊とは契約しているものの、まだテラリアとの契約を果たしていない。
故に、今のユノには魔女を封印する手立てすら奪われている。完全な手詰まり。
そしてそれこそが、黒水の魔女が選んだ『最善手』だった。
18歳時点のユノを狙うというのは、魔女の長い生涯における最高かつ絶妙な一手。
大賢者に至る手前、三精霊契約者としての至高の魔力。
それを取り込みさえすれば、彼女が数百年間渇望し続けた『永遠の命』の機構は完成する。
それで充分なのだ。
四精霊契約状態により、再び封印されるリスクを冒す必要など、微塵もありはしない。
だからこそ、ユノの選択肢は、5分間の徹底防衛と、結界の破砕による撤退に絞られる。
限られた5分。その内訳は、結界の構造解析に2分。結界の分解式構築に3分。
わずかなタイムロスも、コードの読み違いも、記述誤りも、そのすべてが三人の『死』へと直結する。
「《時層展開》——思考加速、最大出力」
ユノの端麗な顔からすべての感情が消え失せ、冷徹な大賢者の脳細胞が音を立てて駆動する。
世界のすべてがスローモーションへと変わる極限の精神世界の中で、ユノの瞳に無数の魔法文字が超高速で流れ始めた。
「第一階層構築解析、完了。第二階層から第六階層まで術式確認……」
世界で最も孤独な大賢者ユノの極限の頭脳戦が——今まさに始まった。




