第48話 魔女の思惑
溢れ出た黒水が形作ったのは、夜の闇よりもなお深い漆黒のドレスを纏う女性だった。
黒水の魔女。300年以上もの時を生き続け、歴史の影で暗躍してきた史上最悪の魔女。
生への異常な執着、美への狂気的な執着。
己の欲するもの、そのすべてを貪り、その手中に収めてきた、果てなき欲の権化がそこにあった。
彼女から放たれる魔力は、文字通り桁違いだった。
ただそこに存在しているだけで空間が歪み、大気が悲鳴を上げる。
リゼはその圧倒的なプレッシャーに気圧され、全身の血が凍りついたように恐怖で立ちすくんでしまった。
星の賢者であるフィオナさえも、かつてないほど険しい表情を浮かべ、声を漏らすことすらできない。
「うふふ……逃げようとしても無駄よ?」
魔女が妖しく指を振ると、洞窟の内部に幾重もの結界が展開され、退路は完全に断たれた。
そして、魔女の狙いは最初からただ一つだった。
彼女は細い腕を突き出し、いまだ因果の光に包まれているユノに向けて、どろりとした黒水を浴びせかけたのだった。
一瞬の出来事だった——
「なっ!?」
フィオナが目を見開く。
「……いや。先生ーーーっ!!」
リゼの絶叫が響く中、ユノの身体はまたたく間に濁った黒水に飲み込まれていく。
だが次の瞬間、洞窟全体を揺るがすほどの凄まじい雷光が爆裂した。
ドガァァァァン!!
空間を裂く激しい雷撃が黒水を内側から消し飛ばし、四方に弾ける。
ユノがその手に握る神格魔導器《 メイスオブゼウス 》の力で、魔女の汚濁を強引に振り払ったのだ。
しかし、煙の向こうから現れたその姿を見た瞬間、フィオナが「……あ!」と息を呑んだ。
純白の光の中から現れたのは、本来の大賢者の姿ではなかった。
——それは、因果の操作により、数日前に姿を表した、あの端麗で、どこか気だるげな『18歳のユノ』だった。
「ふふふ……あはははは!」
それを見た黒水の魔女が、勝利を確信したように妖艶に嗤う。
「完璧だわ……! さあ、私と一つになりましょう。ユノ」
魔女が欲していたのは8歳の姿のユノではない。
これこそが魔女の真の狙いだった。
18歳のユノは、周囲の光景と己の身体を一瞬で視認する。
極限状態での超高速の状況判断。
そして、すべてを瞬時に理解した彼は「……まずいな」と、低く鋭い声で小さく呟いた。
「久しぶり。黒水のババア」
ユノが吐き捨てるように言う。
「相変わらず口の悪い子ね、私の可愛いユノ」
魔女は愛おしげに頬に手を当て、身震いした。
「いいのよ、その反抗的な目もすぐに蕩けるような快楽で満たしてあげるわ」
「……やれやれ」
ユノは大杖を軽く回し、冷徹に状況を紐解いていく。
「永遠の命を得るために、僕の持つ魔力が欲しい。しかし、僕が元の『大賢者』の姿にまで戻ってしまうと、再び自分自身が封印されるリスクがある。
だから、一番都合がいい、成長途中の『18歳』になる瞬間を見計らって、僕を黒水で侵食し、合体することにした。……そんなところ?」
「ご明察よ、ユノ! 本当にスマートで素敵な男の子!」
魔女は歓喜に目を輝かせ、両腕を広げた。
「私にはあなたが必要なの。私と交わり、ともに永遠を生きましょう!」
ユノは冷ややかにそれを見つめ、小さくため息を吐いた。
(……この結界内、僕の『時の魔法』も、フィオナの『宇宙魔法』『重力魔法』も完全にジャミングされ、封じられている。
フィオナもそれに気づいているはずだ。総力戦となった場合、この条件下では勝ち目はない。万に一つも。
となると、選択肢はひとつ。——撤退)
ユノは大きく手指を開き、背後にいるリゼとフィオナに向き直った。その鋭い双眸が、怯えるリゼの目を真っ直ぐに射抜く。
「5分だ! 5分間だけ、何が何でも持ち堪えてくれ。僕が結界の解除式を編む」
8歳の時とは違う、低く頼もしい、だが、有無を言わせぬ大人の大賢者の声。
リゼは恐怖をハッと忘れ、魂を震わせて「は、はいっ!」と答えた。
「5分持ち堪えるですって? ちょっと無謀すぎやしないかしら? あははははは!」
魔女の背後から、津波のような黒水の触手が何十本も立ち上がる。
命運を懸けた、黒水の魔女との絶望的な戦いが、今まさに幕を開けようとしていた。




