第45話 ルカと迷いの森
翌朝、朝露に濡れた街道を、魔導馬車が滑るように走り出した。
目指すは『流星の谷』。
馬車の中には、緊迫した面持ちのリゼと、いつも通りすやすやと眠る8歳のユノ、そしてどこか険しい表情で窓外を見つめるフィオナの姿があった。
しかし、奇妙なことに道中の旅路は拍子抜けするほど平穏だった。
あれほど執拗だった黒の教団の襲撃も、黒水に汚染された魔物の群れも、一切姿を現さない。
不気味なほどの静寂が、かえって車内の緊張感を煽っていた。
「……妙ね」
フィオナが小さく眉をひそめ、誰に言うでもなく呟いた。
「私の『未来視』でも、ここまでの道中に敵影は見えていなかった。けれど……やはり違和感が拭えないわね。嵐の前の静けさというか、嫌な胸騒ぎがするわ」
「黒水の魔女が、このまま大人しくしているとは思えませんよね……」
リゼもフィオナの言葉に頷き、眠るユノの小さな頭をそっと撫でた。
魔女が何か大きな罠を仕掛けているのではないか——そんな不安を乗せたまま、馬車は目的地に到着した。
馬車が停止し、一行が外へ足を踏み出すと、そこには息を呑むような光景が広がっていた。
『流星の谷』——かつて無数の星の欠片が降り注いだというその場所は、谷全体が淡い青や紫の星色に発光する結晶に覆われていた。
大気中には目に見えるほど濃厚な星の魔力が漂い、またたく光の粒子が幻想的な川のように空へと流れている。
星の魔法使いでなくとも、ここが神聖な領域であることは一目で理解できた。
「なんて……なんて綺麗なの……」
「見惚れるのは後よ、リゼ。——あそこを見て」
フィオナが、谷の最奥にある巨大な扉を指差した。
「あの奥の祭壇に、目的の『星の露雫』があるわ」
ついに、旅の終着点が見えた。
リゼは、いつの間にか目を覚まして自分の服の裾を握っていたユノの小さな手を、離さないように強く、ぎゅっと握りしめた。
◇
一方その頃。
ユノ大先生を追うバッキバキのストーカー・ルカは、つい先ほどまでユノたちが滞在していた、フィオナの隠れ屋敷を囲む幻想的な森の入り口に辿り着いていた。
「反応あり……! 追跡くんがこれ以上ないほど激しく明滅しています! 間違いない、ユノ大先生は確実にこの森の奥にいらっしゃる……!」
ルカは確信を胸に森へと足を踏み入れた。しかし、半時間ほど歩いたところで、彼は異変に気づく。
「おかしいですね……。先ほど見かけた珍しい形のキノコを、これで見るのは四度目です。まるで同じところをぐるぐる回っているような……」
実は、この森はその全域が星の賢者フィオナの強固な結界内にあった。
招かれざる客を排除するため、どれだけ進んでも屋敷には絶対に辿り着けない幻惑の迷宮構造になっていたのだ。
そんな最高峰の結界事情など知る由もないルカは、ただ不気味に広がる幻惑の森に行手を阻まれ、その場に立ち尽くしていた。
だが、彼はここでへこたれる器ではない。
「……何をしていますか、この未熟者が! ルカ、思い出せ。こんな時こそ、大先生のお言葉を胸に刻むんだ!」
ルカはバッキバキの目をさらに見開き、己を鼓舞するように叫んだ。
彼が脳内から引き出したのは、数ある大先生の名言の中でも最も魂に深く刻まれている言葉だった。
【ユノ大先生語録第0067番】
——「諦めるな」
それは、短く、シンプルでありながら、どんな世界の金言よりもルカの心に深くぶっ刺さっていた。
ルカはこれまで、この言葉に幾度となく救われ、諦めそうになる自分の弱い心を打ち破ってきたのだ。
そして、この【67番】という数字も、ルカの中では運命だった。
「67(ルナ)」という響きが、自分の名前である「ルカ」に酷似していることから、彼は「大先生はあの時、僕のためだけにこの言葉を掛けてくださったんだ!」と狂気的なまでの運命を感じていた。
「大先生の言葉が、僕に道を指し示してくれています! 迷宮が何ですか、幻惑が何ですか! 僕にはこれがあります!」
ルカが背嚢から引っ張り出したのは、顕微鏡とレーダーを合体させたような禍々しい新型機械だった。
【魔導機No.003】
『魔導式定点観測機』——観測くん
魔導石の膨大なエネルギーを駆使し、目に見えないわずかな空間の歪みや位相の変化を、超高精度センサーで捉えることができる空間観測装置である。
しかも最長72時間駆動の大容量バッテリー内蔵という無駄なハイスペック仕様。
さらに素晴らしいのは、【No.001】の『撮影くん』と物理的にジョイント可能である点だった。
これに接続することで、空間が変化した瞬間を自動で映像記録できるのだ。
ちなみに、このお手製のセキュリティハック装置、言うまでもないが、学校にバレれば一発で退学処分となる。それどころか、魔導省による強制収容も免れない、極めて危険な一線越えの魔導機である。
「観測くん、撮影くん、ドッキング! 空間の座標のバグをすべて炙り出しなさい!」
ガキィィン!と二つのストーカー装置を合体させ、ルカは結界のわずかな位相の変化を捉え始めた。
「ユノ大先生! 待っていてください! 僕はすぐそこまで来ていますからね……! フハ、フハハハハ!」
薄暗い幻惑の森の奥で、異様な魔力を放つ機械を抱えたルカのバッキバキの瞳が、爛々と狂気の光を放ち続けるのであった。




