第36話 大賢者を支える存在
神話のごとき激闘が嘘のように、街道に深い静寂が戻ってきた。
硝煙と雷電の余韻が漂う中、18歳のユノは杖を軽く肩に担ぎ、フィオナの方へと向き直った。
彼は右手を無造作に、ひょいと軽く上げる。フィオナもまた、大人の色気を漂わせる笑みを浮かべてそれに応じた。
——パシン。
夜の静寂に、小気味よいハイタッチの音が響く。
大地を穿ち、不死の怪物を塵に還した壮絶な戦い。
しかし、この二人の賢者にとっては、ただの「軽い日課」を片付けたに過ぎない。
「お疲れ、ユノ」
「うん、そっちもね」
その直後、ユノの身体を淡い光の粒子が包み込み始めた。
「……そろそろ時間か」
青年は光に包まれる自分の手を眺め、気だるげに呟いた。
そして、今度は馬車の扉から身を乗り出すようにして自分を見つめていたリゼの方へと、ゆっくり向き直る。
切れ長の、憂いを帯びた美しい瞳が真っ直ぐに自分を射抜き、どきっとリゼの心臓が跳ね上がった。
「じゃあ、またね。——可愛いお姉さん」
ユノはふっと悪戯っぽく微笑み、彼女に声をかけた。
18歳のユノにはリゼの記憶がない。当時の彼が知っているのは、昔馴染みのフィオナだけだった。
そのため、彼にとってのリゼは、ただの初めて出会った、見知らぬ年上のお姉さんでしかなかった。
しかし、そんな風に声をかけられたリゼは、一瞬で顔を耳まで真っ赤に染めていた。
(せ、先生……かっこよすぎですって、反則的に……っ!)
8歳のユノは愛くるしくて、過保護に甘やかしたくなる対象としてもちろん大好きだ。
けれど、今目の前にいるユノは違った。母性ではなく、一人の女性として、純粋に男性的で魅力的だと見惚れてしまう。
低く響く声も、引き締まった姿も、見つめてくる眼差しも、どこか余裕のある気だるげな雰囲気も、そして放たれた魔法の圧倒的な美しさも——
全部が全部、素敵だった。
18歳といえば、今の自分からすれば10歳近く年下だ。今まで年下の男の子を「格好いい」なんて思ったことは一度もなかったのに、完全に心を奪われていた。
「あ、あの……!」
リゼは消えゆく青年に思わず声をかけようとした。
しかしその瞬間、光の粒子が強く弾け、青年の姿はいつもの見慣れた8歳の子供の姿へと戻ってしまった。
衣服も元通りになり、カランと音を立てて、大杖は転がった。
(……先生、ずるいです。あんな姿を見せておいて、すぐに戻っちゃうなんて)
リゼが駆け寄ると、その腕の中にぽすんと倒れ込んできたユノは、魔力を使い果たしたのか、すやすやと無防備な寝息を立てて眠りについている。
「ふふ、青年のユノも素敵だったでしょ?」
フィオナが、リゼの様子を見てクスクスとからかうように微笑みかけてきた。
「ひゃいっ!? い、いえ、その、そんなことは……!」
まだ心臓がバクバクと激しく波打っているリゼは、必死に誤魔化そうとユノの頭を胸に抱きしめる。
三人は馬車に戻ると、フィオナは静かに座席に腰掛け、眠るユノを見つめた。その瞳には、先ほどまでの軽薄さはなく、どこか切ない色が宿っていた。
「この子はね、昔から強すぎたのよ。……一人でなんだってできたわ。だから、誰かに頼ることも、他人の力を借りることも一度もなかったの」
「え……?」
「でもね、傍で見ている私からすれば、それがとても痛々しかった。
まるで、この広い世界でたった一人きりで立っているような、深い孤独の中にいるみたいでね。……傲慢なほどに完璧で、それでいて、今にもパリンと壊れてしまいそうなほど危なっかしかったわ」
フィオナはリゼを真っ直ぐに見据え、優しく、けれど諭すように告げた。
「リゼ、ユノを元に戻すことも大事よ。けれど、忘れないで。ユノを……あの孤独な男を本当に支えられるのは、世界中であなたしかいないということをね」
「私が、先生を支える……?」
リゼの胸に、その言葉が重く、深く突き刺さる。
今まで、考えたことすらなかった。世界最強の『大賢者』という称号は、ただただ素晴らしく、憧れるべきものだと信じて疑わなかったからだ。
けれど、誰も追いつけない場所にいるということは、いつまでも独りきりだということ。誰ともその苦悩や重圧を共感し合えないということ。
だから先生は、私が命を落とす未来を知った時、誰にも相談せず、一人で時を止めるという無茶をしたのだ。全部、一人で背負い込もうとして。
(私は、ただ守られるだけの弟子で終わりたくない。……先生の隣に立ちたい。先生の孤独も、苦悩も、全部一緒に共有したい)
腕の中の小さな温もりを抱きしめながら、リゼは心の底から、強く、固く誓った。
(今度こそ、私が先生を支えるんだ……!)




