第33話 才覚
温泉街での物資補給と休憩を終え、一行を乗せた魔導馬車は再びフィオナの隠れ屋敷に向けて走り出した。
目的地まではあと二日ほどの道のりである。
湯上がりでさっぱりした車内。リゼは当然のように自分の隣へユノを座らせようとしたのだが、ユノはてちてちと反対側の座席へ歩いていってしまった。
「ボク、今度はフィオナお姉ちゃんの隣がいいな」
「えっ、先生!?」
リゼがショックを受ける間もなく、ユノはフィオナの隣にちょこんと腰掛けた。
そして、クンクンと鼻を鳴らしてフィオナにすり寄る。
「フィオナお姉ちゃん、なんだか懐かしい匂いがする……。あと、ここ、すっごく柔らかいね」
そう言うや否や、ユノは何かに導かれるように、フィオナの溢れんばかりの豊かな胸を小さな手で「ぷにぷに」と無邪気に触り始めた。
「あらあら、ふふっ。ユノったら、相変わらず甘えん坊さんねぇ」
フィオナは嫌がるどころか、くすくすと艶っぽく笑い、ユノの頭を優しく撫でている。
「せ、せ、先生ぇぇーーーっっっ!!! 何を、何をなさっているのですか! 不謹慎です! 引き離します! 今すぐ私の隣に戻りなさーーーい!!!」
さすがに看過できず、顔を真っ赤にしたリゼが猛烈な勢いで止めに入る。
リゼが知る本来の大賢者ユノ・クロウは、常に冷静沈着で、時に冷徹なほど厳格な大人の男性だった。
女性の胸をぷにぷに触るなど、天地がひっくり返っても想像がつかない。
……というか、見るに耐えない。
(先生の昔のことを聞くのは……女として色んな意味で怖いけれど、でも、やっぱり気になる……!)
リゼはユノを自分の側へ引き戻すと、膝の上で不満そうに頬を膨らませるユノをなだめつつ、意を決してフィオナに尋ねた。
「あの……フィオナさん。フィオナさんが知ってる昔の先生って、どんな子供だったのですか?」
フィオナは窓の外を流れる景色に視線をやり、懐かしむように目を細めた。
「そうね……。一言で言うなら、やっぱり天才だったかしら。魔法の才能がずば抜けていてね、古代語は5歳の頃には完全に習得して、暇さえあれば本を読んでいる子だったの。
その知識の吸収スピードにも驚かされたけれど、私が一番驚いたのはね——彼の放つ魔法の純粋な『美しさ』だったわ」
「魔法の、美しさ……」
リゼの脳裏に、かつて大人の姿のユノが、自分の前で披露してくれた数々の高位魔法の光景が蘇る。
「ええ。無駄が一切なくて、どこまでも洗練されていた。他の凡百の術者とは、根本的に格が違っていたのよ。
彼はまるで奏でるように魔法を唱えていた。きっと、生まれながらにして世界と調和していたのね」
「分かります……。先生の魔法は、まるで星々の瞬きのようで、本当に綺麗でした」
弟子として一番近くで背中を見てきたリゼだからこそ、その言葉は深く腑に落ちた。
「それだけじゃないわ」とフィオナは続ける。
「ユノは一目見ただけで、その魔法を自分のものにできた。そして、相手の術式を完全に理解して、その特性やウィークポイントを正確に把握することができたの。
さらに、展開された魔法陣の解析や解体なんて朝飯前。極めつけは、相手が展開した結界内の『ルール』そのものを上書きして、自分の有利な空間へ改変することすらできたわ」
「結界のルールを、上書き……」
リゼは改めて、自分の師の規格外な恐ろしさに背筋が震える思いだった。
そんな大賢者が、今は自分の膝の上で「おまんじゅうの2個目を食べたいな」とのんきにリゼの服を引っ張っているのだから、ギャップが凄まじい。
「——あ、それから」
語り終えたフィオナが、悪戯っぽく唇を吊り上げ、リゼを真っ直ぐに見つめた。
「ユノは昔から、年上の綺麗なお姉さんが大好きだったのよねぇ。ね? リゼ先生?」
「ひゃうっっ!?」
直球のからかいを喰らい、リゼは脳内で「ドゴォン!」と精神的メテオを直撃された。
(年上が好き……! つまり、今私に甘えているのも、弟子だからじゃなくて『年上の女性』だから本能的にってこと……!? あ、あれ? そうすると先生が元に戻ったら私の方が年下になるわけで……)
リゼは混乱しながら、膝の上の愛らしい少年を見つめた。
もし大人に戻ったら、先生はまたあの冷徹で、かつ世界中の女性を魅了する大賢者に戻ってしまう。
そして何より、フィオナの予言した「自分の死の未来」が動き出すかもしれないのだ。
(先生……もうずっと、このままの子供の姿でいてくれませんか……?)
不純な動機と切実な願いが入り混じった複雑な本音を、心の中でそっと呟くリゼであった。




