第29話 残酷な運命
王都の喧騒を遠く離れ、漆黒の夜の帳が下りた街道を、一台の馬車が静かにひた走っていた。
学長が手配した魔導馬車には、御者の姿はない。自動で最適なルートを選び、滑るように進む特別仕様だ。
車内には、リゼ、フィオナ、そしてユノの三人だけが乗っている。
星の賢者の隠れ屋敷までは、このまま休むことなく進んで4日ほどの道のりである。
カタコトと心地よい小刻みな振動が響く座席で、ユノはリゼの膝を枕にして、すやすやと健やかな寝息を立てていた。
その愛らしい寝顔を見つめながら、リゼは優しく彼の髪を撫で続ける。
「今夜は星が綺麗ね、リゼ」
対面の座席から、窓の外の満天の星を見上げながら、星の賢者フィオナが静かに話しかけてきた。
「そうですね……。本当に、吸い込まれそうなほどです」
二人の間にしばし沈黙が流れる。
「……リゼ、学長を許してあげてね。彼はユノの師であり、親も同然だった。断腸の思いだったはずよ、学校から追い出すような形になってしまって……
でもね、組織のトップともなると、私情よりも優先しなければならないことがあるの」
フィオナはリゼに正対し、申し訳なさそうに諭した。
「はい……。私も学長と同じ立場でしたら、きっとそうしていたと思います」
リゼはかろうじて受け答えしたものの、その顔には一抹の不安が色濃く滲んでいた。
史上最悪と謳われる『黒水の魔女』の復活。
これから自分たちの身に一体何が起こるのか。未知の脅威への恐れが、リゼの胸をじわじわと締め付けていた。
そんなリゼの心中を察してか、フィオナはリゼの膝の上で眠るユノへと目を向けた。
「……『時の賢者』。歴史上類を見ない四精霊契約を果たして大賢者となる前から、彼はそう呼ばれていたわ。あらゆる時空魔法を極め、世界の理すら書き換えられるといわれたユノ・クロウ。
そんな彼が、なぜ自ら『時』を巻き戻し、このような子供の姿に戻ったのか……リゼ、あなたはその本当の理由を、知る必要がある」
「本当の理由……? ご存じなのですか?」
「ええ……残酷な未来よ」
フィオナは静かに首を振ると、手にした星詠みの杖をそっと愛おしげに撫でた。
「私が最も得意とする魔法は《 星詠み 》……すなわち、占いよ。けれど、私の占いは巷にあるような曖昧な代物ではないの。
星の巡りから絶対的な因果を導き出す——100パーセントの精度を誇る完全な予知、『未来視』」
フィオナの声音に、嘘偽りのない絶対的な重みが宿る。
「私が学長のもとを訪れてあなたたちを連れ出したのは、数日後に黒水の魔女の襲撃を受け、王都が壊滅する未来が見えたからよ」
「王都が、壊滅……!?」
リゼは息を呑んだ。自分たちが学校を去らなければ、あのまま、セシリアたちを巻き込み、すべてが闇に呑まれていたというのか。
「ええ。けれど、私が動いたもう一つの理由があるわ。……リゼ。私が《 星詠み 》で見た、数ヶ月後の未来。
——そこにはね、あなたが命を落とす未来しかなかったのよ」
「え……? 私が、死ぬ……?」
突きつけられた残酷な現実に、リゼの思考が停止する。
「そう。大賢者ユノを庇って死ぬことになる。私は何度も、何度も星を詠み直したわ。けれど、どの可能性を辿っても、どんな選択肢を選んでも、結果は変わらなかった。
あなたが残酷な死を迎える未来だけが、絶対の真実として固定されていたの」
フィオナは悲しげに目を伏せ、リゼの膝で眠る少年を見つめた。
「ユノはその未来を、私の予言を知ってしまった。……だから彼は、自らの肉体の時を巻き戻し、少年となることで自らの存在の因果を無理やり歪めたのよ。時の賢者が自ら時を止めたことで、世界の歯車が狂った。
おかげで今の私には、あなたたちのこれからの未来が、霧に包まれたように一切見えなくなってしまったわ」
リゼの目から、ぽろぽろと涙が溢れ落ちた。
先生は、私の命を救うために、あの偉大な大賢者の姿を捨て、不自由な子供の姿になる道を選んでくれたのだ。
「……リゼ、警告しておくわ」
フィオナの青い瞳が、鋭くリゼを射抜く。
「『星の露雫』を手に入れ、ユノが元の姿に戻った場合……変えられたはずの因果が元に戻り、再びあなたが命を落とす未来へと運命が収束を始めるかもしれない。
あなたの命を、天秤にかけることになるわ……」
膝の上で、ユノは何も知らずにすやすやと眠っている。リゼの服の裾を、小さな手でぎゅっと握りしめたままで。
守られた命と、大好きな人を元に戻したいという願い。
あまりにも過酷な運命の歯車が、静かに、しかし確実に廻り始めていた。




