第28話 それぞれの想い
王都中央魔法学校——
生徒は学び、鍛錬に励む。
教師は未来を担う魔法使いを育てる。
いつもと変わらない日常。
しかし、そんな学校の片隅には、ぽっかりと心に穴があいたような「ロス」に陥っている者たちがいた。
「はぁ……」
基礎学部の渡り廊下で、アリアは手すりに顎を乗せて、重いため息をついていた。
視線の先にあるのは、かつて臨時講師リゼの授業が行われていた演習場だ。
つい数日前まで、そこには生意気で、でも信じられないくらい愛らしい男の子がいたはずだった。
「何も言わないでいなくなっちゃうなんて、あんまりだよ……」
アリアは、あの大浴場でのハプニングを思い出し、耳まで真っ赤にしながら、誰もいない空間に向けて小さく唇を尖らせた。
「私の裸、見たんだからさ……。ユウくん、ちゃんとセキニンとってよ……」
◇
一方、講師たちの暮らす一角にある高級な私室では、セシリアが贅沢な刺繍の施されたソファに深く腰掛け、淹れたての紅茶を睨みつけていた。
「リゼったら、私に何も言わないで出て行くなんて……! 本当に癪ですわ」
彼女の前の机には、リゼが去り際に学長へ託したという、短い置き手紙が置かれている。
そこには『急な事情で旅に出ます。セシリア先生、学校をよろしくお願いします』とだけ書かれていた。
「いつもいつも、あの子は私の一歩先を行くんだから……本当に……もう……っ!」
セシリアはふんと顔を背け、強がるように紅茶を一気に飲み干した。
だが、カップを置いたその横顔には、いつもの高飛車な笑みはなく、どこか寂しげな陰が差している。
「……でも、あの生真面目なリゼが、逃げるようにいなくなるなんて、普通の用事なわけないですわ。……リゼ、どうか……どうか、無事でいてね」
◇
そして、最も深い静寂に包まれている大図書館。
貸出カウンターの奥で、チーフ司書のエレーヌは、いつもよりずっと手持ち無沙汰そうに羽根ペンを動かしていた。
ふと、彼女の視線が最前列の特等席へと向く。
「……いつもユウくんは、あの席で本を読んでいたわね」
エレーヌは目を細め、少年が座っていた誰もいない椅子を見つめた。
大人顔負けの、いや、それすらをも凌ぐ知の探求と、8歳の子供としての無垢な愛らしさ。その両方を併せ持つ不思議なユウくん……退屈だった彼女の日常を一瞬で彩ってくれた。
「ふふ、私の特製ハーブティー、まだ何種類もあったのに……お預けね」
図書館では当然、飲食禁止である。
しかし、エレーヌはお気に入りのユウくんのために、奥の書庫に案内する際、司書室でこっそり、焼き菓子とハーブティーを振る舞っていたのだった。
「……また、会いたいな。ユウくん」
◇
そんな中、校舎の裏手、時計塔の影で、一人奇妙な熱気を放っている男子生徒がいた。
「はぁ……リゼ先生……」
ルカは両手で顔を覆い、恍惚の表情を浮かべていた。彼の脳裏に焼き付いているのは、あのリゼの魔王のような冷たい笑顔、と蔑むような視線だ。
「怒っている姿のリゼ先生も、本当に素敵だった……。ああ、また僕を冷たい目で見て、叱ってほしい……!」
完全に引き返せない領域へ足を踏み入れているルカだったが、不意にその顔から締まりのない笑みが消え、バッキバキの、狂信的な目が現れた。
彼は懐から、あの大図書館で使っていた自作の単眼鏡を取り出し、遥か北東の空をじっと見据える。
「そして、ユノ大先生。あなたが子供の姿となり、リゼ先生を連れて隠密に行動せねばならないほどの『世界の危機』……僕も必ず、その真実にたどり着いてみせます。
待っていてください。いつか僕は、あなたの隣に立つ男になる……!」
それぞれの想いが交錯する、王都中央魔法学校。
彼らの祈りと執着が、旅立ったユノとリゼの背中に届くのは、そう遠い未来の話ではないのかもしれない。




