第2話 神秘の世界
グレイファングとの激闘が終わり、周囲に静寂が戻った頃には、あたりは完全に夜の帳に包まれていた。
リゼとユノは安全な街道脇の開けた場所に移動し、小さな焚き火を囲んで野営の準備を整えた。
「リゼ、じっとしててね」
「えっ……あ、はい」
ユノがリゼの前に膝立ちになり、小さな両手をリゼの傷ついた肩へとそっとかざした。
それは以前、転んでケガをしてしまったユノに教えてあげた、初歩的な治癒魔法だった。
ユノが魔力を編み込んでいくと、じんわりとした温かい光がリゼの肩を優しく包み込み、引き裂かれた傷口をゆっくりと塞いでいく。
「どう? 痛いの飛んでった?」
「……はい。痛くなくなりました。先生、ありがとうございます」
「えへへ」
とびきり嬉しそうなユノを見つめて、リゼは嬉しさと愛おしさで感情が溢れそうになりながら、優しく微笑んだ。
その後、リゼは手際よく簡単なスープと干し肉の食事を用意した。
見上げれば、深く、どこまでも広がる吸い込まれそうな星空——
パチパチと爆ぜる焚き火の音を聞きながら、二人は肩を寄せ合って温かいスープを口にした。
「先生、お口のまわりが汚れてますよ」
ユノの口元を柔らかい布でそっと拭う。
「ん……リゼ、ありがとう!」
ユノは無邪気な顔で笑ってみせた。
リゼはユノと美しい夜空を眺めながら、物思いに耽っていた。
——先生と旅をするのはいつぶりだろう。
先生は、時が惜しいといつも言っていた。教育職だけでなく、研究者としての職務、王命での任務……先生は多忙を極めていた。
こうして、二人でゆっくり幻想的な景色を眺めていられるなんて、夢のようなかけがえのない時間だ——
リゼは思う。
世界は、ある一面を見るならば救いがない。
災厄。そして、人間同士の闘争。
目を覆いたくなるような現実。
力も、富も、命も、平等に与えられてはいない。
そんな不平等で不完全な世界を、いみじくも必死になって生きていかなければならない。
これから先、運命は自分たちの味方をしてくれるのだろうか……漠然とした、未来への不安を拭い去ることはできない。
でも、今という瞬間は、この二人だけの空間は、災いも争いもない美しい世界、完璧な世界だ。
こうして満天の星を眺めるだけで、こんなにも穏やかな気持ちになれる。
他には何もいらないと思えるほど、満ち足りた気持ちになれる。
この世界は『神秘の世界』だ。
加護があり、祝福があり、そして魔法がある。素敵な巡り合わせに満ちている。
同じ時代に生まれて、同じ時間を生きる。
当たり前のようだけど、それは特別なことで、奇跡的なことだ。
この世界には、この運命には、きっと意味がある。それらはすべて、神の御業の賜物なのだから。
「先生……綺麗ですね」
リゼの口から自然と言葉が溢れる。
すると、リゼの肩にぽすっとユノがもたれかかる。
「……?」
リゼが少し驚いてユノの方を見ると、ユノはすやすやと寝息を立てていた。
(疲れて、眠ってしまったんですね……)
今日はいろいろなことがあった。でも、私も先生も今日という日を、無事に過ごすことができた。
リゼは小さく祈りを捧げた。
「……先生、今日は本当に、お疲れ様でした」
ユノの可愛らしい寝顔を見て、リゼの胸はいっぱいになった。
二人は、一つの毛布にくるまって横になる。すると、ユノはリゼの体にそっと寄り添ってきた。小さな体温が伝わってくる。
リゼはそんなユノの愛おしさを噛み締めながら、優しく抱きしめるようにして、深い眠りへと落ちていった。
◇
翌朝。
小鳥のさえずりと朝日に包まれて目を覚ますと、ユノが真剣な顔でリゼを見つめていた。
「リゼ、ボクに魔法を教えて! 昨日のオオカミさんみたいなの、また来るかもしれないし。ボクもリゼと戦いたい!」
きらきらとした純粋な瞳で懇願され、リゼはドキッとした。
さっそく、初歩の攻撃魔法である《 ファイアボール 》をユノに教えるリゼ。
「こうやって魔力を指先に集めて、小さな火種をイメージするんです。
次に渦を巻くように魔力を回転させて、徐々に大きく膨らませていきます。
これは先生の受け売りですが、すべての魔法は円を基調にしているんです。
最初はうまくいかないものですが、まずはやってみてください、先生」
「んーと……こうかな?」
ユノが小さな手を前に突き出す。
すると次の瞬間、彼の指先から驚くほど純粋で綺麗な炎が、ぽんと生み出された。
「えっ……もうできたんですか!?」
リゼは目を丸くした。普通なら最初の魔力のイメージを具現化するだけで数日はかかるだろう。
記憶を失い、身体が子供に戻っていても、先生の中に眠る圧倒的な魔法のセンスは健在なのだ。リゼは心の底から感服した。
当のユノは、自分の手のひらでゆらゆらと踊る炎を見て、嬉しそうに笑っている。
その時だった。ユノの頭の中に、賑やかな声が響き渡った。
『すごーい、やるじゃん♪ ていうか、おチビのユノって超可愛いよね! 大人のときはいっつもしかめっ面だったし』
『不敬ですよ、シルフィ。しかし、我が主もさすがですが、リゼ様の教え方も素晴らしい。愛を感じました』
『つっても、ウンディーネ。あのファイアボールじゃカメも倒せなくねーか?』
『イグニス……意地悪。テラリアは……弱くても……子供のユノ……好き』
(……あれ? 誰かの声が聞こえる)
頭の中に響く不思議なガールズトークに、ユノはきょとんとして小首を傾げた。
「先生? どうしましたか?」
「ううん! なんでもない!」
ユノは慌てて首を横に振り、炎を消してリゼにとびきりの笑顔を向けた。
「先生、これから王都の魔法学校に行きます。そこで、先生を元に戻す手掛かりを探しましょう」
「うん!」
王都を目指し、二人は朝日に照らされた街道を並んで力強く歩き出した。




