第16話 演習場のアリアと宿題のメシア
王都中央魔法学校の朝は早い。
一般生徒たちの一日は、朝6時の起床の鐘から始まる。
7時になると広大な大食堂に生徒たちが集まり、山盛りのパンやスープ、瑞々しい果物が並ぶビュッフェ形式の朝食を賑やかに楽しむ。
そして9時から12時までの午前は講義を中心に受け、昼食を挟み、13時から17時半までの午後は演習を中心に打ち込む。厳格なスケジュールだ。
午前9時、基礎学部の演習場。
今日も臨時講師を務めるリゼの前に生徒たちが集まっていたが、その中に一人、明らかに様子がおかしい生徒がいた。
「アリアさん……? どうかしましたか?」
「へっ!? は、はいっ! 何でもありませんリゼ先生!」
声をかけられたアリアは、びくぅっと肩を跳ね上げて裏返った声を出す。
普段なら誰よりも威勢が良いはずの首席候補生が、借りてきた猫のようにおとなしい。というか、単純に元気がない。
しょんぼりと俯き、目の下に薄いクマまで作っていた。
(ど、どうしよう……。私、男の子に裸見られたことなんて、これまで一度もなかったのに……っ!)
昨夜の大浴場でのハプニングが頭から離れず、アリアの頭の中は一晩中悶々としていたのだった。
相手が8歳の子供だとは分かっていても、乙女の純情へのダメージは測り知れない。
そんなアリアの複雑な乙女心を知る由もないリゼは、「昨日の私の指導で、疲れが残ってしまったのかしら……」と少し申し訳なさそうに小首を傾げるのだった。
◇
一方その頃。
ユノは、お気に入りの場所である大図書館を再び訪れていた。
「ええっと、今日はこの本を読もうかな」
ユノが小さな手で本棚から引っ張り出したのは、専門学部の高学年でも頭を抱えるレベルの、難解な古代語で書かれた魔導書だった。
ユノはそれを読書スペースの机に広げると、いつものように楽しそうにスラスラと読み進め、ノートに綺麗な文字で要点をまとめ始める。
その様子を、近くの席で青い顔をしながら課題のレポートと格闘していた基礎学部の男子学生たちが、唖然として見つめていた。
「おい、見ろよあの子……。あの分厚い古代語の専門書、普通に読んでねぇか? 小説でも読むみたいに」
「マジだ、ページをめくる速度が尋常じゃないぞ。俺たちなんて一文解読するのに1時間はかかるのに……」
男子学生たちはゴクリと息を呑み、互いに顔を見合わせた。そして、藁にもすがる思いで、おそるおそるユノの席へと近づいていく。
「あの……ボク、ちょっといいかな?」
「え? なぁに、お兄ちゃん?」
ユノがひょいと顔を上げると、男子学生の一人が涙目で必死に両手を合わせた。
「お願いだ! この『古代魔導語の基礎解読』の課題、今日が提出期限なんだけど、さっぱり分からなくて留年しそうなんだ! もしよかったら、この一節だけでも意味を教えてくれないか……!?」
差し出された課題のプリントを見たユノは、にこりと無邪気に微笑んだ。
「うん、いいよ! これはね、『大いなる風は東から吹き、大地の怒りを鎮める』って書いてあるんだ。それでこっちのはね——」
ユノの淀みない解説に、男子学生たちは大感動。
「す、すげぇ……! メ、メシア。いや、神がここにいるぞ!」
「なぁ、ボク! お菓子あげるから、こっちのページもお願いできないかな!?」
「あ、ずるいぞお前! 頼む! 俺のレポートも見てくれ!」
「わわっ、順番にね! ボク、お菓子はクッキーが食べたいな!」
いつの間にか、大図書館の片隅はユノ先生による宿題のお助け塾と化していた。
この前は女子生徒に、今日は男子生徒にモテモテのユノ。
8歳の小さな大賢者は、お兄さんたちに囲まれて頼りにされるのがちょっぴり誇らしいらしく、目を輝かせながら楽しそうに課題をこなしていくのだった。




