第10話 最善の選択
「——あの、アルトリウス学長。ご無沙汰しております」
重厚な扉を開け、リゼは王都中央魔法学校のトップ、アルトリウス学長の前で一礼した。
なお、ユノはあの散らかった研究室に一人で残すのは本崩落の危険性があると判断し、事前に大図書館へ預けてある。「大人しくする本を読んで待っていてくださいね」と言い含めておいたが、今頃どうしているだろう。
「久しいな、リゼ。相変わらず優秀な面構えだ」
デスクの奥に座るアルトリウスは、白髭を蓄え、老いてなお周囲の空気を圧するほどの魔力をたたえていた。
かつて大賢者ユノ・クロウを育て上げた、彼の『師』にあたる人物でもある。
学長は静かにパイプをくゆらせると、ストレートに切り出した。
「して、リゼ。先ほどクロードから聞いたぞ。お前が連れている『あの子供』……ユノだな」
「えっ!? い、いえ、あれは私の弟のユウくんで——」
「ワシに隠す必要はない。あやつの魔力の質など、見間違えるはずがなかろう」
学長には最初からすべてお見通しだった。
ユノに触れたクロードの指先から、ユノの魔力のわずかな気配を感じ取っていたのだ。
やはりただ者ではない。
リゼが言葉を失っていると、アルトリウスはさらに鋭い目を向ける。
「先日、王立天文台が局所的な時間停止※、および規格外の魔力行使を観測した。……無関係ではないな?」
「それは……」
リゼは言葉に詰まり、思わず拳を握りしめた。黒の教団との戦い、そしてユノの一瞬の覚醒。すべてが筒抜けだったのだ。
「まあよい、詮索はせん。あやつにも、お前にも、何か事情があるのだろう」
ふぅ、と紫煙を吐き出し、アルトリウスが核心に迫る。
「リゼ。……ユノは、自らあの姿になったのだ」
「え……? 先生が、自分で……ですか!?」
驚きのあまり、リゼは声を上げた。
大きな呪いや大いなる災いに巻き込まれたのだとばかり思っていた。だが、先生が自分の意志で子供になったというのか——
「呪いの類ではない。あれは、あやつの時魔法と考えて、間違いないだろう。なぜそうしたか、その理由はワシにもわからん。だが、あのユノだ。そうすることが最善だと考えたのだな」
学長は哀しげに目を細め、信じがたい事実を告げた。
「おそらく……ユノの時間は、あの少年のまま止まっておる。あやつはもう、年をとらん。——永遠にな」
「永遠に……年をとらない……?」
リゼは頭を殴られたようなショックを受け、その場に立ち尽くした。
先生の時間はあの8歳の姿のまま、永遠に固定されてしまっているというのか。
つまり、私が年をとっても、老いても、先生はあのまま。時間だけが、私を置いていく。
それは、あまりにも残酷な運命だった。
「それにな、リゼ。お前たち、すでに命を狙われておるのだろう?」
アルトリウスの声が、現実的な重みを帯びて響く。
「黒の教団の動きはワシも警戒しておる。四精霊契約者であるユノを狙って、今後さらに刺客は増えるぞ。……そこで提案だ。その危険な旅はやめて、ユノをこの学校に預けぬか?」
「学校に、ですか……?」
「うむ。この学び舎には防衛機構がある。ワシやクロードもいる。ここなら安全だ。そしてリゼ、お前は我が校を首席で卒業した優秀な魔法使いだ。
お前はまだ、人生を選べる。ここで旅をやめると言うのなら、望むままに宮廷魔導師や王立天文台の上級職のポストにワシが推薦してやろう」
リゼが息を呑む。それは、あまりにも破格な厚遇だった。
国家直属の最高位魔術師、宮廷魔術師。大陸最高峰の魔法研究機関、王立天文台。どちらも全魔法使いの憧れ、世界中の術者が目指す場所だった。
そして、エリート魔術師としての輝かしい未来が約束されるだけでなく、先生の安全も保証される。これ以上、魔物や教団の脅威に怯えながら旅をする必要はなくなるのだ。
普通に考えれば、答えは決まっていた。
学長の言葉に、リゼの心は激しく揺れ動いた。
先生が自ら望んで子供の姿になったのであれば、先生を危険に晒し続けているのは、自分のエゴではないのか。学校に預けるのが、最善の選択なのではないか。
「あ、あの、学長……」
リゼが言葉に詰まる。
「うむ、わかっておる。すぐに答えは出せまい。ゆっくり考えるがよい」
「……はい」
「ただ……何もせず、滞在させるのも周囲の手前よろしくないな。……リゼ、お前がここにいる間、この学校で臨時講師を務めてもらう。基礎学部の生徒たちの指導を任せたい。よいか?」
「臨時講師……。わかりました。謹んでお引き受けいたします」
リゼは複雑な胸中のまま、深く一礼して学長室を後にした。
安全を手に入れる選択。
だが、それはユノとの旅の終わりを、憧れの大賢者との永遠の別れを意味していた。
※時間停止
学長はさらっと、こう言ったが、実は王立天文台の職員にとっては、これはただ事ではない。局所的に時間を止めるということは、必然的に周辺との時間軸のズレを生むことになる。生命に与える影響は無視できるレベルであるが、それが積み重なると、時空の歪みや事象の干渉、ひいてはタイムパラドクスの誘因となる。
それを未然に防止するため、膨大な演算を施したのち、時魔法あるいは重力魔法による補正処理を行わなければならないのだ。
そのため、ユノが時間を10秒止めると、王立天文台の月の残業時間が100時間増えるといわれていた。ユノが職員であった当時は、周りからの圧力もあって、自分で補正処理を行なっていたのだが、今は子供の身分。当然、職員がこの残務を肩代わりしなければならなかった。
——ユノ。かっこいいロマン技なのはわかるけど、頼むから時間を止めるのだけはやめてくれ。定時で上がるために。スイートホームに帰るために——
それが王立天文台職員の総意であった。




