トマの日記~ロマン・その1
彼のからだは青白く透き通るようで、たるんだ所はどこにもなかった。
手足は長く、その長い腕で僕を包み込んで眠っていた。
二人の足は絡み合っていて、僕は、彼の体毛が気持よくて、時々足を動かしてその感触を
楽しんだ。すると、彼も一層力強く僕を抱きしめてくれた。
僕は彼の背中に指を這わせてみた。
肩甲骨の形とその下へとつながる脊柱の筋肉から腰へつづく曲線。
ときめく思いで気持ちが爆発しそうになった時、ふいに、あの写真の女の人の事が脳裏に
うかんだ。
彼女は奥さんなんだろうか?それとも、ただの恋人?それともただの友人?
そんなことが気になりだした。どうしても、知りたいと強く思った。
その横でエティエンヌは、時折、僕の額にキスをしては、また眠りに落ちて行った。
僕は本当に幸せだった。今まで、感じた事のない幸せな感じ。
ママのキスでもなく、ヴァンサンのキスでもない、何だか胸を締め付けられるような本物の
キスだった。永遠にこのままでいたいと思った。エティエンヌもそう思ってくれていたらいいな、
とも思った。エティエンヌは僕の恋人と思っていいんだろうかとも思ったりもした。
冬の間、僕たちはあの家で週末に必ず逢瀬を楽しんだ。逢瀬!
逢瀬だよね。きっと。恋人同士だけが許される素晴らしい時間。逢瀬だよ。
僕はついに、客間ではなくエティエンヌの寝室で眠ることができるようになった。
でも、僕は不安だった。僕は何もエティエンヌの事を知らないと思っていたから。
僕の事は、すべて話した。僕の生まれてこのかたのすべてを。
彼は、黙ってきいていたが、その目は僕を満足させるものだった。言葉なんていらない、
と思えるほどに静かで、おごそかに、黙って僕の事を聞いてくれていた。
でも、彼はなにも僕に話してくれない。僕よりずっといろいろな思いをその心中に持って
いるはずなのに。
僕はなんとか、彼の心の内をのぞきたいとそれとなく、話を誘導してみたが、彼は仕事への
誇りや本の話ばかりして、なんとなくはぐらかしたいようだった。
年齢の事も聞く勇気がなかった。彼が僕の若さを恐れているように感じていたから。
一人、あの廊下の天井を見上げながら考えていた事は、彼が僕の若さを恐れているのかもしれ
ないって事だった。だから、僕たちの間に距離ができるような話には触れたくなかったんだ。
冬が過ぎ、春が来て、僕は16歳になった。
ヴァンサンが学校の事を心配して夏休みにギリシャへ来るようにと連絡してきた。
進路のことを話し合いたいらしい。
でも、ママの事は一切、わからなかった。もう、一年もママに会えていない。
エティエンヌは、ギリシャにいく事をすすめてくれたけど、僕はそんな気になれなかった。
学校のことも、この先のことにも興味がわかなかった。ただ、今、エティエンヌのそばに
いたいという気持ち意外には、僕の中には何もなかった。
ママの事は気になってた。でも、ママにはヴァンサンがついてる。
僕のママは、他の友人たちのママとは少し違うっていうのは、子供のころからわかってた。
だけど、僕とママには固い友情のようなものがあった。同志のようなかな。あるいは、
共犯者?
とにかく、僕たちは普通の母子ではなかったし、僕はそれが誇らしくもあったんだけど。
今は、なんだか、よくわからない気持ちだ。
そんな僕をエティエンヌは、そのまま受け入れてくれていた。いつも何もいわずにただ、
僕の言い分を聞いていた。肯定も否定もせず、僕が話しながら自分の気持ちをみつめる
のを手助けしてくれるような態度で。
僕にはそれがここちよかった。僕を一人前の人間として見てくれてるように感じたから。
ただ、彼は仕事に忠実で堅実な人のようなのに、どこか、虚無的な所があった。なんだか、
一つ間違えたら、どこかにいってしまいそうな。
そんな、どこか、生きる事に倦んでしまっているような一面がみえると僕は彼のことを
なにもかも知りたいという衝動にかられた。
だけど、僕を抱きしめてくれる時の彼は、命を燃え立たせてくれているようだったから
僕は、今、ここを離れたくないと思ったし、自分の未来にも興味はなかった。
僕にとって、今こそがすべてだった。
こういうのを、刹那的っていうんだろうか。刹那。
今のことしか考えたくないって、僕たちは考えてる、そう。二人して同じ思いだと僕は
信じていた。だけど、僕には彼のすべてが僕のものでは無いという事にも不満を感じて
もいたんだ。
そんな日々の中に、突然、彼が現れた。
ロマン。
人を射すくめるような力のある視線と日焼けした肌。それによく似合う若く男らしい
身体をもっていた。
いつものようにエティエンヌのところに出かけていくと、玄関の扉が半開きになっていた。
不審に思ってこっそり入っていくと、入ってすぐの居間に大きな荷物があり、色々なサイズ
のキャンバスもおいてあった。
二階からエティエンヌの声がした。寝室のほうからだった。
向かってみると、部屋は開け放たれていて、また、荷物があってその真ん中にロマンが
あぐらをかいてエティエンヌをなだめるように何かいっていた。
彼があの赤い絵、この家全部を支配している絵画の作者だ、とすぐに気づいた。




