トマの日記~エチエンヌ・その2
噂の駅の前をウロウロしていると、目付きの落ち着かない男が声をかけてきた。
「小遣いがほしいのか?」ときいたから、大きく頷いてみせた。
その男は僕を車に乗せると郊外へ向かった。しばらくすると、樹木に囲まれた家に着いた。
黒い鉄のとびらを押し開けて、敷石を少し歩き、その家の玄関についた。
玄関先の三段ある石段をけだるそうに男は登り、呼び鈴をならした。
しばらくすると中から初老の紳士がでてきた。
玄関は暗くて、あまりよくわからなかったけど、明るい中に入るとその紳士がとてもハンサ
ムで意外と若くみえた。
男は中に入るなり手を差し出し、紳士から何かを受け取っていた。僕がその様子を後ろから
じっとみていると、紳士が僕に気付くなり男の腕をひっぱって、少し僕から離れた所で
もめはじめた。
僕に聞こえないように、紳士は男に小声で文句を言っていたが、男がそれを遮って捕まれて
いる腕を振り払おうとしていた。
僕はそんな二人を横目で見ながら、その家の中の様子を見まわして、玄関横の壁に掛けて
ある絵画をみつけた。
まっ赤な絵だった。赤い絵の具が盛り上がっていて、所々、血が固まるように黒い。
人の心をわし掴みし、その心を不安にし、それでいて、その不安を凌駕させる何か。
何か?なんだろう。そう思いながらその前に立っていると、いつのまにかあの紳士が僕の
後ろに立っていた。
「絵がすきなのかい?」
「この絵、何故か引き込まれますね。この赤。これは、花?モチーフは薔薇かな。あるいは、
心臓から噴き出している血液かな。不安と混乱と圧倒的な情熱で妙な気分になります。
あなたが描いたんですか?」
すると、紳士は少し困惑したような表情で、
「いや、これは友人の作品だ。」と答えた。
「なんか、怖いな。でも、目が離せない。とり憑かれたみたいに。」
そんな会話をしていると、例の男が玄関から逃げるようにでていった。
紳士が慌てて、追いかけた。
外でも何か言い争ってるようだったけど、僕はかまわず、その家の中に入っていった。
リビングにもあの絵の作者が描いたと思われるものがあちこちに飾ってあった。
部屋中を観察していると、あの紳士が帰ってきて、いきなり聞いてきた。
「君はいくつなんだ?」
「えっと、18になったばかりです。」
と、咄嗟に応えたが、信じてはいないようだ。
確かに、僕は同級生の中でも小さい方だったし、肩幅もまだ女のように頼りなげだ。
彼は溜息をつき、僕を二階の部屋につれていくと、
「バスルームはあそこだ。好きに使いたまえ。では、お休み。」
といってさっさと階下に降りて行った。
僕はベッドに横になってみたが、どうも納得がいかないので、僕も階下に向かった。
部屋がいっぱいあって歩きまわっていると、ドアの下から光のもれてる所があった。
あけると、彼が眼鏡をかけて机に向かっていた。そこには、本がいっぱいあった。
その書棚を眺めながら、彼のそばまでいくと、
「ねむれないのかね?」と聞いてきた。
「だって、話が違うから。僕を買ったんでしょ?」
そういうと、彼は真っ赤になって、怖い顔をした。
「子供に用はないんだよ。」
「いつもの人は約束の時間にこなかったんですって。だから僕が代役できたんです。
いつもの人に嫌われてたんじゃないですか?」
っていうと、彼はまた、真っ赤になってから、フッと溜息をつき、
「そうかもしれないな。私は退屈な男だからね。」
といって、また、仕事を始めたので、僕は横からこっそりのぞいてみた。
「お医者さんなの?」と、耳元で囁いてみると、また、真っ赤になった。
「お名前はエティエンヌなんですね。僕はトマです。」
また、耳元で囁くと、彼は振り返り、呆れたような顔で僕の顔をしばらくみつめてから、
なぜか笑い出した。
「面白い子だね。小遣い稼ぎがしたかったのか?」
「お金なんかどうでもいいんです。ただ、恋人を探したくて。」
「なんだって?」
「恋人です。男性の。」
「ずいぶん簡単にいうんだね。」
「簡単?熟慮の結果ですよ。僕の周りには恋人になってくれそうな人いないから。」
しばらく彼はだまりこみ僕をじっとみつめていたが、やがて口を開いた。
「仕方のない子だ。私はこの仕事を片付ける事にしたんだ。邪魔しないでくれたまえ。好きに
していていいよ。本も好きなのを選んでいい。明朝、車で送っていこう。」
そういうと、背をむけてしまったので、僕は言いつけどうり、本を読むことにした。
僕たちはそんな風にその夜を過ごし、次の日の朝早く、エティエンヌは僕を家まで
送ってくれた。
帰り際の車の中でエティエンヌが聞いてきた。
「もしも、この私が自分の快楽の為に君を殺そうとしたらどうするつもりだったんだ?」
「大急ぎで逃げるつもりだったよ。僕、これでも逃げ足早いんだ。」
そういうと、彼は首を軽く左右にふりながら、大きなため息をついていた。
彼の車を見送って、自分の部屋で横になりながら、昨晩中あの部屋でそれぞれ自分の事を
している不思議な光景を何度も思い出した。といっても、特別なことは何も無く、静かな
夜の間中、ペンが紙をこする音や、本のページを繰る音や、時折あくびや溜息の発する無意味
だけど、人間がいる事を証明する音がしていただけだったけど。




