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不老長寿の久遠と無償の愛  作者: 月見
イザベラ編 神への誓い

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8/17

後日談 藤娘

挿絵(By みてみん)


 西暦1875年(明治8年)、神在月の出雲では、不老長寿の一族が年に一度の宴を楽しんでいた。


 旅館の大広間には世界各地から集まった一族の人々が顔を揃え、久しぶりの再会を喜び合っている。料理や酒が次々と運ばれ、あちらこちらから楽しそうな笑い声が聞こえていた。


 イザベラも久遠と月読に挟まれながら、初めて参加する一族の宴を楽しんでいた。


 日本語はまだほとんど分からなかったが、久遠がその都度通訳してくれるため、会話に困ることはなかった。


 珍しい料理について尋ねれば丁寧に教えてくれるし、近づいてきた一族の人々も親しげに声をかけてくれた。


 そんな中、一人の男性が久遠のもとへやって来て、何かを耳打ちした。


 久遠は頷くと、イザベラに顔を向けた。


「イザベラ、ちょっと席を外すね」


「あら、何か用事なの?」


「うん。ちょっと支度があってねぇ。しばらくしたら戻ってくるよ」


「そうなの。行ってらっしゃい」


 久遠は立ち上がりかけたが、何かを思い出したように周囲を見渡した。


「そうだ。その間、ルーカスに一緒にいてもらおうかな」


 少し離れた席で酒を楽しんでいたルーカスを見つけると、久遠は手招きして呼び寄せた。


「那岐様、何か御用ですか?」


「ルーカス、私が戻るまでイザベラのことをお願いできるかな? まだ日本語が分からないから、何かあったら教えてあげてね」


「お安い御用ですぜ、那岐様!」


「ありがとう。じゃあ、よろしくね」


 久遠が大広間を出ていくと、ルーカスは空いた席に腰を下ろした。


 金髪に立派な髭を蓄え、身長は二メートル近くもある大男である。小柄で少年のような久遠とはあまりにも体格が違うため、イザベラは思わず笑ってしまった。


「あら、随分と大きな付き添いの方ね」


「がはは! 那岐様とは身体の大きさが違うからな!」


挿絵(By みてみん)


 ルーカスは豪快に笑いながら、空になった杯に酒を注いだ。


 イザベラは先ほど紹介されたばかりの彼について、少し興味を持っていた。元ヴァイキングというだけでも驚きだったが、すでに千年以上を生きているというのである。


「ルーカス、あなたは本当に千年以上も生きていらっしゃるの?」


「おう。もう長いこと生きてるな。昔のことなんざ忘れちまったものも多いぜ」


「まあ……私には想像もつかないわ」


「がはは! 長く生きてりゃ、嫌なことも楽しいことも山ほどあるもんさ。だから、こうして昔馴染みと酒を飲めるのが嬉しいんだよ」


 イザベラは大広間を見渡した。


 周囲では年齢も容姿もさまざまな人々が、互いの近況を語り合っている。言葉も国籍も違う者たちが、同じ一族として親しく交流していた。


 ルーカスもまた、この宴を心から楽しみにしている一人なのだろう。


 やがて、大広間の奥で従業員たちが忙しく動き始めた。


 宴席の一角には舞台が設けられており、先ほどから楽器や道具が運び込まれている。


「あら、何か始まるのかしら?」


「おお、そろそろ余興ですな」


「余興?」


「今夜は日本の芸能を披露するそうだ。歌舞伎舞踊もあるらしいぜ」


「歌舞伎……名前は聞いたことがあるけれど、見たことはないわ」


「それなら楽しみにしていなされ。なかなかの見ものだぜ」


「あら、そんなに素晴らしいの?」


「がはは! そりゃもう!」


 妙に楽しそうなルーカスの様子に、イザベラは首を傾げた。


 そこへ月読が口を挟む。


「ルーカス、余計なことまで話さないように」


「分かってますって、月読様!」


 二人は何やら事情を知っている様子だったが、イザベラには何のことか分からなかった。


 やがて三味線の音色が響き始め、宴席の人々が舞台へ視線を向ける。


 イザベラも初めて聴く日本の音楽に耳を傾けた。


 西洋の音楽とはずいぶん違う響きだった。弦を弾く独特の音色に合わせて歌が始まり、時折、笛や太鼓の音も加わる。


 最初の余興が終わると、観客から盛大な拍手が送られた。


 続いて、次の演目が告げられる。


『藤娘』


 舞台には大津絵を模した背景が設けられ、三味線と長唄が再び響き始めた。


 そして、絵の中から抜け出してきたかのように、一人の娘が姿を現した。


 藤の花模様をあしらった華やかな着物をまとい、頭には塗笠をかぶっている。手には藤の枝を携え、ゆったりとした足取りで舞台へ進み出た。


挿絵(By みてみん)


 娘は笠を少し傾け、ゆっくりと顔を上げる。


 その瞬間、イザベラは思わず息をのんだ。


「まあ……なんて綺麗な方なのかしら」


 整った顔立ちに、優雅な立ち姿。華やかな衣装がよく似合い、袖から覗く手の動きにまで気品が感じられた。


「ほう、お気に召しましたか」


「ええ。とても美しいわ」


ルーカスは口元を緩ませた。


「……そいつはよかった」


「どうして笑うの?」


「いやいや、何でもありませんぜ」


 イザベラは不思議に思いながらも、すぐに舞台へ視線を戻した。


 娘は藤の枝を肩に担ぎ、三味線と長唄に合わせてゆっくりと舞い始める。


 笠を傾け、袖を返し、足を運ぶ。その動きには無駄がなく、一つひとつの所作が丁寧だった。


 ときには恥じらうように顔を伏せ、ときには遠くにいる誰かを思い浮かべるような表情を見せる。


 イザベラには歌詞の意味までは分からなかった。それでも、娘が何かを思い悩み、恋しい人へ想いを寄せていることは、その仕草から伝わってくるようだった。


「ねえ、ルーカス。これはどんなお話なの?」


「恋する娘の心を踊りで表しているんですな。相手を想う気持ちや、思いどおりにならない切なさなんかをね」


「そうなのね……」


 イザベラは改めて舞台を見つめた。


 娘は少し拗ねたように顔を背けたかと思えば、次の瞬間には可愛らしい仕草で微笑み、藤の枝を揺らしている。


挿絵(By みてみん)


 その変化が実に自然だった。


「言葉が分からなくても、気持ちが伝わってくるものなのね」


「そういう芸ですからな」


「本当に見事だわ。まるで本物の娘さんみたい」


「……ぶっ!」


 ルーカスが突然、吹き出した。


「あら?」


「な、何でもありません!」


 慌てて口元を押さえるルーカスに、月読が冷ややかな視線を向ける。


「ルーカス、少しは静かになさい」


「す、すみません……」


 イザベラは二人の様子を不思議に思ったものの、それ以上は気にしなかった。


 舞台では娘が軽やかに舞い続けている。


 藤の枝を優しく揺らし、長い袖を翻しながら、音曲に合わせて身体を動かす。ときには笠の陰から客席を覗くような仕草も見せ、観客たちを楽しませていた。


 イザベラはすっかり魅了されていた。


 日本に来てから、初めて見るものや経験することがいくつもあった。けれど、このような美しい舞踊まで見られるとは思っていなかった。


「ああ……久遠にも見せてあげたかったわ。きっと喜んだでしょうに」


 月読は一瞬だけ言葉を止めた。


「……そうですね」


 その隣では、ルーカスが口元を押さえたまま肩を震わせている。


 やがて舞踊は終盤を迎えた。


 娘は最後まで優雅な所作を崩すことなく舞い続け、長唄の節が収まると、美しい姿勢を保ったまま舞台から退場した。


 大広間には盛大な拍手が響いた。


 イザベラも惜しみなく拍手を送った。日本の歌舞伎舞踊というものが、これほど素晴らしい芸能だったとは知らなかったのである。


「本当に素敵だったわ!」


「がはは! そりゃよかった!」


 ルーカスは嬉しそうに笑っていた。


 舞踊が終わると、宴席は再び賑やかになった。


 次の余興の準備が進められる中、イザベラは先ほどの藤娘について、ルーカスと楽しそうに話していた。


「あの娘さん、もう一度お会いしてみたいわ。あんなに美しい舞踊を披露してくださったんですもの」


「がはは! そりゃ、いつでも会えますぜ!」


「え? どういうこと?」


「いやいや、何でもありません!」


 その時、大広間の入口から聞き慣れた声がした。


「イザベラ、お待たせー」


 振り向くと、久遠がいつもの柔らかな笑みを浮かべながら戻ってきていた。


「あら、久遠。お帰りなさい」


「ただいま。ルーカス、ありがとう。助かったよ」


「いえいえ! こちらこそ楽しませてもらいましたぜ!」


「……ルーカス?」


 久遠は首を傾げたが、深くは気にせず元の席に腰を下ろした。


 イザベラは早速、先ほどの素晴らしい舞踊について話し始めた。


「ねえ、久遠。あなたがいない間に、とっても素敵な舞踊があったのよ!」


「あはは。そうなんだねぇ」


「藤娘っていうの。ご存じ?」


「うん。知っているよ」


「それなら話が早いわ。とても綺麗な娘さんが踊っていたのよ!」


「へえー。そんなに綺麗だった?」


「ええ! 衣装も素敵だったし、踊りも本当に優雅だったわ。あなたも見られたらよかったのに」


「あはは。それはちょっと難しいかなぁ」


「あら、どうして?」


「だって、私が踊っていたんだから」


「…………え?」


 イザベラは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「……今、何ておっしゃったの?」


「私が藤娘を踊っていたんだよ」


 イザベラは久遠の顔をじっと見つめた。


 そして、先ほど舞台で見た美しい娘の姿を思い浮かべる。


 言われてみれば、たしかにどこか似ていた。顔立ちも、柔らかな表情も、今こうして目の前にいる久遠と重なるところがある。


「ええええっ!? あの娘さんは久遠だったの!?」


「あはは。そんなに驚くことかなぁ」


「だって……だって、あんなに綺麗な娘さんだったのよ!」


「いやぁ、ありがとう。でも私は男なんだけどねぇ」


「それは知っているわよ!」


 そこでとうとう、ルーカスが腹を抱えて笑い始めた。


「がっはっはっは! もう駄目だ! 腹が痛い!」


挿絵(By みてみん)


「まったく……少しは品よく笑えないのですか」


 月読は呆れたように言ったが、その口元にもわずかな笑みが浮かんでいた。


 イザベラは改めて久遠を見つめた。


 今の久遠は、二年間一緒に農場で暮らしていた頃と何も変わらない。柔らかな口調で話し、いつも楽しそうに笑っている少年のような人物である。


 その久遠が、先ほどまであれほど美しい娘を演じていたというのだから、驚かずにはいられなかった。


「でも久遠、どうしてあなたが女性の役を演じていたの?」


「歌舞伎では男が女性を演じることもあるんだよ。女方っていうんだけどね」


「あら、そうなのね」


「うん。私も昔、少し稽古したことがあってさぁ。こういう宴で踊ることもあるんだよ」


 そこへ月読が口を挟んだ。


「父上の『少し習った』というのは、普通の人間とは年月の感覚が違いますからね」


「えー。そんなに長くないよー」


「さて、どうでしょう」


 ルーカスも愉快そうに口を開く。


「なにせ那岐様は昔からお美しいですからな!」


「もう、ルーカスまでからかわないでよー」


 久遠は困ったように笑っていた。


 イザベラはそんな三人のやり取りが可笑しくて、また笑ってしまった。


「ああ、でも本当に綺麗だったわ。ねえ、久遠。もう一度、あの衣装を着て見せてくれないかしら?」


「えっ? もう着替えちゃったよ。化粧も落としたし……」


「あら、残念ね」


「また機会があればね」


「ふふ。それなら楽しみにしているわ」


 久遠は照れくさそうに笑った。


 やがて宴も終わりに近づき、一族の人々は最後の料理や酒を楽しんでいた。


 久遠もイザベラの隣で、何事もなかったように料理を食べている。


 その姿を眺めているうちに、イザベラはまた笑みをこぼしてしまった。


「ん? どうしたの?」


「ふふ……何でもないわ」


「変なイザベラだねぇ」


「だって、さっきまであんなに美しい娘さんだったのに、今はこうしてお料理を美味しそうに食べているんだもの」


「あはは。踊ってお腹が空いちゃったんだよー」


「そうでしょうね」


 久遠は料理を口に運びながら、イザベラに尋ねた。


「イザベラも楽しめた?」


「ええ。本当に素敵な夜だったわ」


「それならよかったよ」


 イザベラは賑やかな大広間を見渡した。


 世界各地から集まった一族の人々が、笑い合いながら互いの近況を語り合っている。久しぶりに再会した者たちも、今夜初めて知り合った者たちも、同じ宴を楽しんでいた。


 そして、その中心にいる久遠も、皆と変わらず笑い合っている。


 イザベラは隣にいる久遠へ顔を向けた。


「ねえ、久遠。また来年も、この宴に連れてきてくれる?」


「もちろんだよ。来年も一緒に来ようね」


「ありがとう。楽しみにしているわ」


「あはは。今度はどんな余興があるかなぁ」


 イザベラは少し考えてから、楽しそうに微笑んだ。


「そうね。できれば、また藤娘を見てみたいわ」


「えー、また私が踊るの?」


「ふふ。お願いできるかしら?」


「うーん……考えておくよー」


 イザベラは声を上げて笑った。


 日本へ来てから、初めて経験することばかりだった。そして今夜も、久遠の思いがけない一面を知ることができた。


 来年も、またここへ来られる。


 その時には、どんな楽しい出来事が待っているのだろう。


 イザベラは今から楽しみで仕方なかった。

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