3.
「お話を! 是非! させていただきたく!」
お盆を下げた後、私の隣に着席するやいなや、マンガなら背後に『ふんす』と浮かんでいそうな意気込みで店員さんが私に迫る。
「それは構わないんだけど……。仕事中に、良いの?」
言いながら、カウンタの向こうに目線を向ける。
「今日は、早上がりをさせていただいたので! 大丈夫です!」
すかさず隣の店員さんがそう力説すると、バーテンダさんは苦笑しつつ肩をすくめた。
「……そういうことなので、迷惑でなければ相手をしてあげてください」
そのバーテンダさんの言葉は、表情こそ苦笑だが、どこか店員さんへ温かい目を向けるような感じもあって、従業員同士の仲も良いのだろうと窺えた。
「こういう……店員さんから客に、って、よくあるんですか?」
単純な好奇心から、そんな質問が口を衝いて出た。口が軽くなっているのは、お酒が回り始めているせいかもしれない。
「いいえ、珍しいですよ。特にその子は初めてですね。もし頻繁にお客様を口説くような子なら、クビです」
「えっ! 店長!?」
「だから、特別なのは、今日だけだよ?」
「あっ……、はい!」
そんなやりとりからも、やはり仲の良さが感じられる。
「店長さん、なんですね。専門の、プロのバーテンダなのかと」
先ほどのギムレットのシェイクは素人目には堂に入ったものだったので、ついそんな感想が漏れる。
「カナエさんはね、入賞経験もあるんですよ、ね?」
すると、隣のカップルの一人がそう教えてくれる。
「小さな大会ですよ。経営の方も、法律に詳しい友人に手伝ってもらってなんとか続いてます。もちろん、足を運んでくださる皆さんのおかげが一番ですが」
「カナエさんがこういう場を作ってくれたおかげですよぉ」
「恐れ入ります」
「……でも、そっかぁ、リリちゃんのタイプはそっち系だったかぁ」
「そっち?」
「カッコイイ系。言われません?」
「いや、初めて言われました」
「ああ、わざわざ本人には言わないかぁ。……あ、カナエさんは言われるでしょ?」
「そう言ってくださる方もいますね」
そんな感じに、隣の二人も会話に参加して、和やかな雰囲気で会話が弾み始めたが。
「もう!」
会話に参加せずにいた店員さんが、突然そんな声を上げて、視線を集めた。
「あはは、ごめんごめん、リリちゃんがお話ししたいんだもんね」
「そうですよ! もう!」
「それじゃあ、お邪魔虫は退散しまーす」
「リリちゃん、悪い子じゃないんで、優しくフってあげてくださいね」
「嫌なアドバイスしないでください!」
そんなやりとりでも、そこには全く険はなく、店員さんも怒っている風で、その実、甘えているようにも見える。
そんな様子を見て、ふいに、私の胃に温かいものが落ちてきたように感じられた。
きっとそれはアルコールのせいじゃなくて。
その優しい雰囲気の中に、私も迎え入れてもらえているように感じられて、それがきっと、嬉しい。
なんとなくだけど、そう思えた。
リリちゃん、と呼ばれていた店員さんに促されてカウンタ席の一番奥へ席を移したが、先ほどまでの勢いはどこへやら、彼女は緊張しているのか、言葉に迷っているのか、先ほどまでより、しおらしくなる。
「……リリちゃん、って、私も呼んで良いのかな?」
だから、私からそんな声を掛けた。これは私にしては結構珍しい。自分で思っている以上にお酒が回っているのかもしれない、そんなことをちらと思う。
「は、はい! リリカ、と言います。もう、呼び捨てでも、リリちゃんでも、呼んでいただけるなら何でも光栄です!」
「ふふっ……、光栄、なんだ。私は……深凪、です。呼び捨てでも、ちゃん付けでも、好きに呼んでください」
リリカの大仰な言い方に思わず笑みを溢しつつ、私も名前を名乗る。この店の雰囲気のせいだろうか、自分だけ苗字を名乗るのは、場違いに感じられた。
「いえっ、そのっ、じゃあ、ミナギさん、と」
「そっか……、常連さんとはもっとフレンドリィだったのに、ちょっと寂しいかな……」
最初の彼女に対する『かわいい』という印象のせいか、自然とイジるような言い方が口を衝いて出た。やっぱり酔っているな、そんな考えがまたもちらと脳裡を過ぎる。
「あっ! いえっ! 今はまだ……緊張しているだけでっ! その辺りはその、これから追々……」
その語尾はどんどんしぼんでいって、それ以上は聞き取れなかった。ただ、私だって恋愛感情を実感としては理解できないとはいえ、全くの鈍感というわけでもない(はずだ、たぶん)。
彼女が私に対して向けてくれる興味や好意は、どちらかといえば恋愛方面に向いているようには感じられるし、それは先ほどの会話からも的外れではないだろうと思える。だから、彼女が口にした「これから」というのは、彼女の、私との未来への期待や願望の一片なのだろう、という推測くらいはできる。……それが正しいと言い切れるほどの自信は、やっぱり無いのだけれど。
「正直、最初は新人さんなのかと思った。でも、常連さんとの仲の良さを見るとそうでもなさそうだったし。あれは最初からもう緊張してたの?」
「……はい。もう、一言で言えば、一目惚れ、でした! あれは……電流が走るって本当なんだ! って、それはもう、衝撃的な」
「……そうだったんだ……」
やはり、そこまでの熱情となると、私には実感はおろか、想像することも難しい。
だから、解ってあげられないことに、ほんの少しだけ、申し訳ないような気持ちもある。リリカの素直さ、可愛らしさ、そういった所は既に好意的に感じている。だからこそ、でもあるのだろう。
「ミナギさんは入店の時に、ビアンじゃないかもしれないけど、って言いましたけど、それって……まだ可能性もあるってことですよね?」
確かに、私はレズビアンじゃないかもしれないけど入れますか、そんな聞き方をした。リリカがそれに、大丈夫です! と力強く即答してくれたのは、少し安心もした。
「まあ、まだ完全に否定するだけの材料がないから。今日はその材料を探しに来た、って所かな」
「それって……、別に、否定したい、っていうのが前提じゃないんですよね?」
「……うん、そうだね、自分ではフラットに考えているつもり」
「それで……その、材料はもう、見つけちゃいましたか?」
言われて、少し考える。
自虐的な思考から、ちょっとだけ肩身が狭いような気持ちにはなったけど、それは、この空間に拒絶されていると感じてのことではない。むしろ、この店の雰囲気は好きだと感じている。
とはいえ、それも、カップルが口にしていたような「自然な自分」を感じてのことでは、たぶん、ない。
リリカに限らず、今日会話を交わした人たちは、誰も好感が持てる人たちだ。それは“元カレ”たちに対して抱いていた(それ自体は今でも完全に消え去ったわけではないのだけど)好感と比べて、少しだけ、違うような気はする。だけど、その“差違”は、元カレ同士を比較したときの差異と似たり寄ったりの、“誤差”くらいのものだとも思える。
結局、そこには、私がレズビアン“だから”、あるいは、“でないから”というものは、関係が無い。
「……うん、否定する材料も、肯定する材料も、まだ無いね」
「……それなら……」
そう言って、リリカは私の目を、じっ、と見据えた。
「私で、試してくれませんか?」
そこに、先ほどまでの勢いやテンションに任せた様子は無い。
彼女の目が、少し潤んで見えるのは、彼女が押し殺す、不安のせいだろうか。
その言葉を口にするために、彼女はどれほどの勇気を必要としたのだろうか。
考えても、私に、彼女の気持ちを自分のものとして想像することはできない。ただ、彼女の真剣さは、疑いようのないものだと、信じられた。
「あなたはその結果、傷つくかもしれないよね。それでも?」
「それでも、です。今フラれたって、辛いです。傷つきます。でも、ミナギさんが私以外の誰かと……それは、もっと……絶対に、嫌なんです」
彼女は自分で言いながら、その語尾を震わせた。
想像するだけで泣きそうになるような、強い感情。今日初めて顔を合わせ、ろくに対話を重ねたわけでもない、そんな私に、リリカはそこまでの強い感情を抱き、向けている。
私は、好奇心を満たすために、彼女を利用しようとしているのかもしれない――そう思った。
それは、彼女の申し出を受け入れることを前提とした思い。
きっと、彼女の覚悟を、今、受けとめてあげられるのは、私だけで。それならば、受けとめてあげても良い――違う、もう少しだけ、強い――受けとめてあげたい、そう思えた。
「……分かった。良いよ」
「…………」
少し驚いたような、呆然としたような、そんな表情になったリリカの口からは、返事がない。
代わりに、少し遅れて、彼女の両目から、すうっ、と涙が頬を伝い零れた。
「えっ……?」
「あっ……ちが……これ……」
私の口から思わず漏れた声が、リリカを不安にさせてしまったのか、彼女は慌てて釈明しようとしたが、その口元は震え、上手く言葉にならないようだった。
「大丈夫だから、落ち着いて。ちょっと驚いただけだから……」
嬉しさと安心で心がいっぱいになってしまっただけです――そうリリカが気持ちを言葉にすることができるようになるまで、まだ少しの時間が必要だった。
「とんだご迷惑を……」
ようやく落ち着きを取り戻し、気持ちを吐き出したリリカは、そう言って頭を下げた。
「大丈夫だよ。幸い、周りの人たちは誤解なく察してるみたいだし」
その私の言葉に、リリカはようやく周囲の(生)温かい目に気付き、へこへこと頭を下げた。
「あああ……、もぅ……」
そう言って恥ずかしそうに頭を抱えるリリカに、私はやはり、かわいらしい、と思う。ただそれは、適切な言葉を探すなら『ほっこり』という感じで、それが恋愛感情そのものや、いずれそこへ繋がる類いの感情なのか、判断は付かない。
「あ! ……あの、ミナギさん。いっしょに、乾杯してもらって良いですか?」
電話番号とチャットアプリをお互いの端末に登録すると、実感でも湧いてきたのだろうか。リリカは“ニヤニヤ”よりは“ニヨニヨ”というような笑顔で自分のスマホを眺めていたが、突然何かに気付いたように、そんな提案をしてきた。
「ここのカクテルは美味しいから、それは構わないんだけど……。もしかして私、お持ち帰りされちゃう?」
「あっ! いえっ! もちろん吝かではないのですが! でも、いきなりはさすがにっ!」
別に何か意図があっての軽口ではなかったけど、リリカの正直さや誠実さが確認できて、自分の判断に少し安心できた。
「……でも、そうですよね、強いのをもう飲まれてますもんね……」
「冗談。構わないのはホント。……良いよ、じゃあ、この後、しよっか……?」
「ほえっ……?」
「乾杯」
「ちょっ! 魔性の女ですかっ!?」
「ふふっ、幻滅した?」
先ほどよりも酔いが回っている自覚はある。素面なら絶対、こんな軽口は、思いついたって口には出さない。そんなに早いペースで飲んでいたつもりはなかったけど、既にカクテルグラスの中身はほとんど空になっていた。
「いえ、そんなミナギさんでも、全然……好きです……」
「……ドM?」
「違っ……う、と思いますけど、ミナギさんにはそうなのかも……」
「へぇ……」
それは、あばたもえくぼ、というものか、あるいは、惚れた弱み、というやつか。何にせよ、こうして少し話すだけでも、リリカの“好き”は本物なんだなぁ、と思わされる。
そうして他人事のようにしか思えないことに、罪悪感らしきものも無いではない。それでも良いと言ったのはリリカだから、などと責任を彼女だけに背負わせる気は無いのだから。でも、だからといって、自分を偽ってまで彼女と付き合おうという気もさらさらない。
だから、これは素直な気持ちとして。もしかしたら、ただの好奇心でしかないのかもしれないけれど――これから先、リリカと過ごす時間を、少しずつ楽しみに感じ始めている。そんな自分を、認めた。
「すいません……。エックス……いえ、……スウィート・マティーニをお願いします」
カナエさんに追加の注文を頼む。締めのカクテルとしては『XYZ』を頼もうとしていたが、直前で思いとどまって注文を変えた。リリカにとっては“始まり”を祝う乾杯なのだろうから、それを“どん詰まり”で相手するのは無粋に思えたからだ。
「あっ、わ、私も同じで!」
自分から言い出したことを忘れかけていたのか、リリカが慌ててカナエさんに注文を伝える。「かしこまりました」と言うカナエさんのリリカを見る目は、どことなく優しげに見えた。
やがて、私がチェイサを飲み干すのを見計らったようなタイミングで、私たちの前にカクテルが差し出された。仕上げに、一房に連なったチェリィを分けてそれぞれのグラスに沈めて見せたのは、カナエさんなりの心配り、と見るのは、穿った見方か、それとも、考えすぎだろうか。
「あの、それじゃあ……、今日の出逢いに――」
「私たちの未来に。乾杯」
控えめに触れ合わされたグラスが、りんと鳴った。
私は、自分の気持ちを蔑ろにしてまで、リリカの気持ちに応えようというつもりはない。
だけど。
これから私と彼女が一緒に過ごす時間が、日々が。私だけでなく、リリカにとっても、よりよい未来に繋がるものであったら良い――その気持ちだって、絶対に嘘じゃなかった。




