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12/22

12 猟遊①




 狩りの当日、空は朝からどんよりと曇っていた。

 灰色の雲が低く垂れ込め、冬の冷たい風が森の木々をざわざわと揺らしている。

 馬の蹄が乾いた落ち葉を踏むたびに、かさりと音を立てた。


 王都郊外に広がる広大な狩猟林。 

 私は馬上から辺りを見回すと、小さく息を吐く。


(どうも落ち着かない・・・・・・)


 今回の遊猟は、レイノルド王太子主催で、同行しているのは基本貴族や近衛騎士達ばかりだ。

 どう考えても、見習い騎士が来るような場ではない。


「おい、リズ」


 横からカーティスが馬を寄せてくる。


「いいか、くれぐれも余計な真似はするなよ。王太子殿下は機嫌を損ねると本当に何をするか分からんからな」

「分かっていますよ」

 

 前も聞いたことのあるような忠告に頷きながらも、私はちらりと前方を見る。

 隊列の中央。 

 宰相のシュネーベルクと共に、黒馬に跨るレイノルドの姿があった。

 

 銀糸のような髪、まっすぐ伸びた背、そして氷細工のように整った横顔。

 しかし、その周囲だけ空気がとても冷えているように感じる。


(どうして、ああも変わられてしまったのだろう・・・・・・)

 

 昔のレイノルドは、もっと柔らかな空気を纏う少年だった。

 人見知りではあったが、心優しく、少し恥ずかしそうに笑う子供だった。

 しかし、今の彼にはその面影がほとんど残っていない。

 まるで感情を全て削ぎ落としてしまったかのように。

 

 しばらく進んだところで、先頭が止まる。


「休憩だ」

 

 近衛騎士の声が響き、皆がそれぞれ馬を降り始める。

 私は軽く肩を回しながら森を見上げた。

 高い木々の隙間から差し込む陽光は弱く、地面には長い影が落ちている。


(変だな)

 

 先ほどから、森が妙に静かすぎる。

 あれほど煩かった鳥の鳴き声が消え、空気全体が張り詰めているように感じた。

 リーゼロッタだった頃の勘が、小さな違和感を告げている。

 

 その時、突然、若い従者の悲鳴のような声が響く。

 見ると、従者が地面に跪いていた。

 どうやら馬具の固定が甘かったらしく、泥が跳ね、レイノルドの外套の裾が汚れてしまったらしい。

 従者は青ざめ、ガタガタと震えていた。


「殿下、どうかお許しを・・・・・・!」

 

 レイノルドは従者を見下ろしたまま、静かに口を開く。


「首をはねろ」

 

 一瞬にしてその場の空気が凍りつき、誰も言葉を失う。

 従者が驚いたように顔を上げた。


「・・・・・・え?」

「聞こえなかったか? 無能に価値はない。処刑しろ」


 レイノルドの声はぞっとするほど冷たかった。

 周囲の騎士達が息を呑む。

 だが、誰も逆らえない。

 近衛騎士の一人が苦しげな顔で剣に手をかける。


(馬鹿な・・・・・・たかがこれくらいの失敗で処刑だと?)

 

 思わず前へ出そうになり、私はぐっと足を止めた。


(待て。軽率に口を出すな)

 

 今の私はただの見習い騎士だ。

 王太子に意見などできる立場ではない。

 まして、ここで逆らえば場を余計に混乱させるだけかもしれない。

 分かっている。

 分かっているが、この不条理な状況をどうしても見過ごせない。


(・・・・・・駄目だ)


 リーゼロッタだった頃も、私はこういう時に黙っていられない性分だった。

 だからこそ、戦場で多くの者を救えたが、同時に多くの面倒事も抱え込んできた。


(今度こそ普通に生きたいと思っていたのにな)

 

 私は小さく苦笑する。

 だが、結局前へ出ていた。


「お待ちください」

 

 その場の全員の視線が、一斉にこちらへ向く。

 隣にいたマクシミリアンは驚いたように目を見開き、カーティスは青ざめる。


「おい、リズっ!」

 

 レイノルドの青い瞳が私を捉える。


「・・・・・・何だ?」

 

 地を這うような低い声。

 それだけで周囲の温度が下がったように感じられるほどだった。

 私は一瞬だけ言葉に詰まる。


(やめろ。今ならまだ引き返せる)

 

 そう思うのに、口が止まらない。


「その処分は・・・・・・あまりに重すぎます」

 

 わずかな沈黙が横たわる。

 風が木々を鳴らす音だけが辺りに響きわたった。

 レイノルドの目が眇められ、鋭い眼差しを向けらる。


「見習い騎士風情が、私の裁定に口を出すのか?」

 

 その表情には怒気が滲み、周囲の空気がさらに張り詰める。


「身の程を弁えろ」


 昔の彼からは想像もできないほど冷たく鋭い声に、胸が痛む。

 だが、それでも私は視線を逸らさなかった。


「申し訳ありません」

 

 私は一度頭を下げたが、それでも言葉を続ける。


「ですが、権力者が自らの権力を行使する時、そこには正義が必要です」

 

 レイノルドの眉がぴくりと動く。


「正義だと?」

「はい」

 

 私は静かに息を吸った。

 冷たい風が、赤毛を僅かに揺らす。


「そして正義とは、法と秩序に裏打ちされたものでなくてはなりません。身分ある者は民を守る義務があります。恐怖だけで人を従わせれば、いずれ誰も心から従わなくなるでしょう」


 レイノルドの表情が険しくなる。


「・・・・・・随分と大きな口を叩くんだな」

 

 彼が怒っていることは、間違いなかった。

 だが、同時にその目の奥に微かな揺らぎが見えた。

 まるで遠い記憶を刺激されたかのように。


「お前ごときが私に説教するつもりか? 覚悟はできているんだろうな」

 

 切って捨てるような物言いに、今にも空気が張り裂けそうだった。

 私は唇を引き結ぶ。


(ああ、終わったな)


 だが、不思議と後悔はない。

 その時だった。

 ぞわり、と背筋が粟立ち、周辺の空気が変わる。


(――――来る!!)


「伏せてください!!」

 

 私がそう叫ぶのと同時に、森の奥から凄まじい咆哮が轟いた。

 樹木を薙ぎ倒しながら、巨大な影が目の前に飛び出してくる。

 次の瞬間、地面が大きく揺れる。


(巨大な黒い狼? いや、狼などという生易しいものではない――――)


 木々の向こう側から現れたそれを見て、私は息を呑んだ。


 全身を覆う黒曜石のような毛皮に、異様に発達した四肢。

 口元から滴る瘴気混じりの唾液と赤く濁った双眸。

 明らかに普通の魔獣ではない。


(こんな化け物がどうしてこんなところに・・・・・・!?)

 

 次の瞬間、魔獣が一直線にレイノルドへ襲いかかる。


「殿下っ!!」

 

 シュネーベルクが叫ぶ。

 だが、遅い。

 巨大な爪がレイノルドに向かって振り下ろされる。

 

 私は反射的に魔力を練り上げた。

 腹の奥で膨大な魔力が唸りを上げたが、僅かに間に合わない――――その時。


「リズ!!」

 

 横から飛び込んできたのはマクシミリアンだった。

 彼は剣を抜き放ちながら、私の前へと躍り出る。

 銀の刃と魔獣の爪が激突し、凄まじい火花が飛び散り、その衝撃で地面が抉れる。


「・・・・・・つっ!」

 

 マクシミリアンは魔獣の爪を剣で必死に受け止めていたが、それでも巨大な体躯から放たれる膂力を完全には殺しきれてはいない。

 鋭い爪がじりじりと剣を押し込み、あとわずかでその牙がマクシミリアンごとレイノルドへ届こうとしている。


(まずい・・・・・・!)

 

 私は即座に詠唱を開始した。

 空気が渦を巻き、森全体が震え始める。

 後方でカーティスが息を呑むのが気配で分かった。

 だが、そんなことを気にしている場合ではない。

 このままでは、レイノルドだけでなくマクシミリアンも危ない。

 

 私は天に向かって真っ直ぐ手をかざす。

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