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10 噂




 薄い雲におおわれた空の下、吐く息だけが白く浮かび上がる。

いつの間にか季節は秋から冬に移り変わっており、訓練場には冷たい風が吹き抜けるようになっていた。

 

 王室魔法騎士団に入団して、早くも二カ月が過ぎた。

 苦手だった基礎訓練にも、ようやく体が慣れ始めた頃。


「リズさん、最近は走り込みでも、だいぶバテなくなりましたね」


 訓練後、額の汗を拭いながらマチルダが感心したように言う。


「まあな。ようやくそれなりに体力がついてきた気がする」


 私がそう答えると、すかさず横からエミリアが割って入ってきた。


「でも、私の方が走り終わるのは早かったわよ」

「たしかに、エミリアは『体力だけ』はあるからな」

「ちょっと、『だけ』ってどういう意味よ?! あと、その上から目線の喋り方をやめなさいっていつも言ってるでしょ!」

「生まれつきだから諦めてくれ」

「そんな偉そうな平民、見たことがないわよ!」


 エミリアはぷんぷんと怒っているが、それを見ているマチルダはくすくすと笑う。


 最初こそ敵意をむき出しにしていたエミリアだったが、今では軽口を叩き合える程度には打ち解けていた。

 気づけば三人でいる時間も増え、自然と口調も砕けている。


 そんな中、マチルダがふと思い出したように言う。


「そういえば団長、今日の午後もまた王太子殿下に呼ばれて、王城へ行くみたいですね」

「また~? 来月の遠征の話かしら。それにしても、以前より増して頻繁に呼び出されている気がするわ!」


 エミリアが不満そうに頬を膨らませる。


 王室魔法騎士団が再び魔獣討伐遠征を命じられたことは、すでに団内でも話題になっていた。

 私は前々から感じていた疑問を口にする。


「王室魔法騎士団の本来の役目は王都の護衛だろう? なのに、なぜこう何度も遠征に出されるんだ。他の騎士団では駄目なのか?」


 その問いに、マチルダとエミリアは一瞬顔を見合わせた。

 それからマチルダが、少し声を落として答える。


「・・・・・・これはあくまで噂なのですが、王太子殿下は我が騎士団をあまり快く思っていないらしいのです」

「なぜだ? 王室魔法騎士団は王家直属の親衛隊だろう」

「たしかに、そうなのですが。去年、レイノルド殿下が新たな王太子になられてからというもの、色々と変わってしまって・・・・・・」


 その名前に、私は思わず首を傾げる。


「だが、レイノルド様は聡明で情け深いお方のはずだろ」


 気づけば、自然とそう口にしていた。

 

 脳裏に浮かぶのは、幼い頃のレイノルドの笑顔。

 陽だまりみたいに柔らかく、優しかった少年の姿だった。


 すると、エミリアが目を丸くする。


「まさかあなた、殿下の評判を知らないの?」

「評判?」

「『氷の王子』。氷みたいに冷淡で、誰にも情けをかけない人だって、王都じゃ有名よ」

「・・・・・・まさか」

「しかも第一王子の突然死や、第二王子が心を患われたことにも、何か関係しているんじゃないかっていう噂まであるし・・・・・・」

「あの方に限って、そんなことあるわけがない!」


 気づけば、ひどく大きな声を出していた。

 二人が驚いたように私を見る。

 私ははっとし、視線を逸らす。


「・・・・・・すまない。少し興奮しすぎた」


 そう素直に謝ると、マチルダが困ったように笑う。


「現国王のリカード陛下が突然病に臥せられ、皇后様も同じ時期に病で亡くなられてからというもの、巷では色んな噂が飛び交うようになりました。もちろん、全部ただの噂です。私達だって、本気で殿下を疑っているわけじゃありませんもの。ただ・・・・・・殿下が我が騎士団に厳しいのは本当のようですけれど」

「そうか。二人とも、教えてくれてありがとう」


 私はそう言うと、二人に背を向けた。


「少し、走ってくる」


 返事を待たず、そのまま訓練場の外周へ駆け出す。

 石畳を蹴るたび、乾いた風が頬を打った。


(レイノルド様が、『氷の王子』だって――――?)


 胸の奥がざわつく。


 レイノルド王太子。

 シュトラール帝国ハルデンベルグ王朝第三王子。

 側室マルガレーテの子。


 そしてマルガレーテは、リーゼロッタの父の妹にあたる。

 つまり、レイノルドはリーゼロッタにとって従弟だった。


(彼が幼かった頃、よくレーヴェンシュタイン家に遊びに来ていたっけ)


 兄しかいなかったリーゼロッタは、小さなレイノルドをまるで本当の弟のように可愛がっていた。

 また、レイノルドも彼女を姉のように慕い、とてもよく懐いていた。


(レイノルド様との思い出は、今思い返しても楽しいものばかりだ)


 一緒に庭を散歩したこと。

 本を読んであげたこと。

 花壇の前で、くだらない話をして笑い合ったこと。


 頻繁に会えるわけではなかったが、その分、一緒に過ごす時間はいつも濃密だった。


 また、誕生日には欠かさず彼に会いに行った。

 本好きな彼のために、新しい本を何冊も携えて。


(・・・・・・ああ、たしか私が暗殺されたのは――――)


 胸がきゅっと締め付けられる。


(レイノルド様の12歳の誕生日)


 あの日。

 私はいつものように贈り物をたくさん持って登城した。

 だが、それを直接彼に渡すことは叶わなかったが。


(レイノルド様は私の死を知り、どれほど心を痛められただろう)


 幼いレイノルドの顔が脳裏に浮かぶ。

 彼はとても繊細で優しい子だった。

 庭先で蜘蛛の巣に絡まった蝶を見つければ、可哀想だと涙ぐみながら助けてやるような子だった。

 使用人達にも分け隔てなく接し、誰に対しても親切で。


(そんな子が、本当にそんな恐ろしい噂をされるようなお方になってしまったのか?)


 走りながら、胸がざわめく。

 

 王室とはもう二度と関わりたくないと思っていた。

 前世は、国のために全てを捧げたが、その果てに待っていたのは死。

 だから、今世こそは静かに生きたいと願ってきたのに。

 だが・・・・・・


(確かめたい)


 噂は事実なのか。

 レイノルドは、本当に変わってしまったのか。

 それとも――――。


 私はそこで足を止めた。

 冷たい風が赤い髪をさわさわと揺らす。


 私は意を決すると、ゆっくりと踵を返した。



◇◇◇◇◇



「なに、登城について来たいだと?」


 執務室で、マクシミリアンの形のよい眉が怪訝そうに顰められる。


「はい。ぜひ、私もお供させてください」


 私がそう答えると、隣にいたカーティスも呆れたように声を上げる。


「おいおいリズ。なんで急に王城なんか行きたくなったんだ? そもそも、一介の見習い騎士を王太子殿下との謁見に同行させると思ってるのか?」


 それは、もっともな反応だ。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「難しいことは承知しています。ですが、どうしても王太子殿下に直接お会いしたいのです」

「なぜそこまでして会いたいんだ」


 銀色の瞳が、探るようにこちらを見据える。

 私は返答に詰まった。


(一体どう説明すればいいのか・・・・・・「昔の従弟だから心配だ」などと言えるはずがないし)


 王族と関わる気など、本当はなかった。

 だが、レイノルドの噂を聞いてから気持ちが落ち着かない。

 あの優しかった少年が今どうなっているのか、知りたくてたまらなかった。


 しばし、室内に沈黙が落ちる。


 だが、マクシミリアンは意外にもあっさりと言った。


「いいだろう」

「えっ?」

「おい、マクシミリアン、本気か?!」


 驚いたのは、むしろカーティスの方だった。


「ちゃんと大人しくしていられるんだろう?」

「もちろんです!」

「なら、一時間後に準備して門前まで来い」

「承知しました、本当に感謝します!」


 私は深々と頭を下げると、急いで執務室を後にした。

 廊下へ出た瞬間、心臓が大きく脈打っているのを感じる。


(なぜマクシミリアンが許可してくれたかは分からないが、これでレイノルド様に会うことができる!)


 あの天使みたいだった少年が、一体どんな大人になったのか。

 この目で確かめられる。

 しかし、もしあの噂が本当だとしたら――――。


 私の胸の内では、様々な感情が渦巻いていた。

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