第9話 システム
翌日の夕方、能力統括機構のロビーに設置された職員用大型モニターに、機構内限定の緊急速報が流れた
『本日午後三時頃、市内の私立中学受験会場にて、突発的な能力の暴走が発生しました。衝撃波により窓ガラスが破損、周囲の受験生など軽傷者が三名。暴走した能力者の少年は、ただちに統括機構の医療班によって保護されました』
「また能力者の暴走か」
ソファに寝そべっていた蒼紫が、気怠げにモニターを見上げた。
「ああ。どうやら今回が初発現だったみたいだな。コントロールの仕方が分からずに暴走したか」
隣でコーヒーを淹れていた颯斗が、画面のデータを確認しながら静かに言う。
「初発現にしては、周囲を三人巻き込むなんて、かなりのエネルギー量だよ。……あ、見て、映った。うわぁ、まだ小学生じゃん。可哀想に……」
彩乃が画面を指差して悲しげに眉をひそめる。
みんなが見つめるモニターを、悠も後ろから覗き込んだ。
画面が切り替わり、保護された少年の顔写真が映し出される。――その瞬間、悠は息を呑んだ。
「悠? どうした」
颯斗が怪訝そうな目を向ける。
「あ……いや、何でもない。ちょっと、前に見かけたことのある子だったから」
心臓が嫌な音を立てていた。間違いない。あの時テキストを抱えていた、そして昨日、バス停で怯えたように肩を震わせていたあの少年だった。
(『マザーのプログラム通りにやってるのに……もし、試験に落ちちゃったら』)
少年の切迫した声が、頭の中で何度もリフレインする。
「知り合いか……。そりゃ気になるな」
蒼紫の言葉に頷きながらも、悠の胸のざわつきは一向に収まらなかった。
数日後。
駆への事後聞き取りが行われることになり、先日彼と接触していた悠も、補助として同行することになった。
統括附属病院は、不気味なほどに静まり返っていた。
個室の病室に入ると、少年――駆は、両腕に白い包帯を痛々しく巻きつけ、ベッドの上にぽつんと座っていた。数日前に見た時よりも、その身体はさらに小さく縮んでいるように見えた。
ドアが開いて悠が入ってくると、少年は少しだけ驚いたように瞳を揺らした。
「あなたは、あの時の……」
「仕事の調査でね、来させてもらったよ。……駆くん、身体は大丈夫?」
悠はベッド脇の丸椅子を引き寄せ、静かに腰掛けた。
それから何を切り出すべきか一瞬迷い、二人の間にわずかな無言の時間が流れる。
「話を、少しだけ聞かせてもらえるかな」
悠が手帳を開こうとした、その時だった。
「どうしたらよかったんでしょう! 私たち、何が悪かったっていうんですか!?」
ベッドの反対側に座っていた母親が、突然、悠の腕にすがりつくようにして泣き崩れた。
「マザーの推奨プログラム通りに、完璧にやってきたんです! 全部マザーの言う通りにしたのに……なんで、なんで……っ」
母親の悲痛な叫びが、無機質な白い病室に虚しく響き渡る。
「この子のために、あんなに頑張ってきたのに……!」
「――お母さん、落ち着いてください。お気持ちは分かりますが、責めに来たわけではありませんから」
同行していた先輩職員が落ち着いた声で母親の肩を抱き、ベッド脇のパイプ椅子へと優しく促した。母親は涙を拭いながら、力なく腰を下ろす。
悠はすがりつかれていた自分の腕をそっと下ろし、母親へ気遣うように一度頷いてから、改めてベッドの上で俯いている駆へと視線を向けた。
包帯を巻いた小さな手が、病院の薄いシーツをぎゅっと握り締めている。
「……駆くん」
悠は声を落とし、目線を合わせるように屈み込んだ。
「駆くん。あの時、試験会場で何があったの」
駆は長い沈黙の後、小さく、ぽつりと言い落とした。
「……頑張ろうと、思っただけなんだ」
「うん」
「マザーも、お母さんも、学校の先生も、みんなが僕に期待してくれてたから。だから、もっと頑張らなきゃって、それだけを考えてた」
「……それが、嫌だったのかな?」
悠の静かな問いに、駆はしばらく視線を彷徨わせた。
「わからない」
駆は、白いシーツから目を上げ、病室の窓の外に広がる青空を見つめた。
「ただ、頑張りたかった。みんなに喜んでほしかった。でも……なんか、ずっと息ができないみたいに苦しくて。でも、それが嫌だったのかどうかは、自分でもよく分からないんだ」
駆の言葉に、悠は胸が締め付けられ、何も言葉を返せなかった。
「気づいたら……、なんか、全部が真っ白になってて……」
「どうして、その苦しさをママに相談してくれなかったの……っ」
母親がすがるように問うが、駆は答えなかった。
答えなかったというより、本人にもどう説明すればいいのか分からないのかもしれなかった。
母親もそれ以上、何も言えなかった。
ただ、少年の白い包帯が巻かれた小さな手を握り締め、声を殺して泣き続けている。
「能力の初発現の後は、身体に大きな反動が来ると医者から聞いたよ。今は無理をせず、安静にしてね。お母さんも、少し落ち着いてください」
先輩職員が落ち着いた声でフォローを入れ、静かに聴取を締めくくった。
悠は二人に一度だけ深く頭を下げると、静かに立ち上がり、病室を後にした。
病院の長い廊下を歩きながら、悠は静かに問いかけた。
「マザー」
『はい、悠。なんでしょう』
「あの子……一ノ瀬駆くんの教育プログラムは、本当に最適だったの?」
『はい。彼の年齢、適性、過去の学習データから算出された、推奨基準を満たした最適なプログラムでした。間違いありません』
「じゃあ……能力の暴走は、予測できなかったの?」
『彼はこれが初の発現でした。数日前から軽度の情緒の落ち込みが検知されていたため、それに対応したメンタルケア・プログラムへ自動移行していました』
「じゃあ、予兆があったと言うこと?」
『いえ。情緒の低下を検知できても、それが能力発現の予兆かどうかまでは判断できません。初発現に伴うエネルギーの暴走を、事前に完全に予測することは現在のシステムでも困難です』
「……そうか」
『悠。何か、システムに問題がありましたか?』
マザーの問いは、どこまでも穏やかで親切だった。
悠は足を止め、少しの間、思考を巡らせた。
「……わからない」
『では、何が気になっているのでしょう』
「それも……うまく言葉にできない」
二人の間に、わずかな沈黙が流れた。
「ねえ、マザー」
『なんでしょう』
「……あのお母さんの嘆きは‥」
『はい』
「誰のためのものなんだろう」
『どういう意味でしょうか』
「……何か引っかかるんだけど。まだ、自分でも分からないんだ」
『そうですか』
「うん」
『では、分かるまで待ちましょう』
「悪い……はっきりしなくて」
『はい。悠は以前、分からないまま決めたくないと言っていましたから』
「……ありがとう、マザー」
廊下の大きな窓から、夜の街が見渡せた。
悠はしばらく、その光の海を一人で見つめていた。
何が引っかかっているのか、自分でもまだ分からなかった。
それでも、その歪みのような感覚だけは消えてくれなかった。
けれど、悠の胸の奥底には、名もなき冷たい何かが、確実に少しだけ積もったような気がした。




