第10話 能力の理由
談話室のソファに、四人で集まっている夜だった。
「ねえねえ、この新作の配信動画、めちゃくちゃ面白くない!?」
彩乃がホログラム端末を空中に浮かべ、画面をみんなに見せながらはしゃいでいる。
悠が身を乗り出して画面を覗き込むと、ソファの端でコーヒーを飲んでいた颯斗が「どれ」と静かに視線を向けた。
「……いや、この太刀筋は違うだろ、もっとこうーーこれじゃあ切れねーわ」
「あ、彩乃、画面ちょっとこっち向けて。こたつから出たくない」
蒼紫がこたつに顎まで埋まりながら注文をつける。
「もう、蒼紫は本当に動かないんだから! ほら!」
彩乃が呆れつつも笑いながら画面をスライドさせ、四人で他愛のない雑談に花を咲かせる。
自分が誰かわからない悠にとって、こうした何気ない賑やかさが、何よりも胸に温かく、心地よかった。
その時、電子ロックが解錠され、ドアが勢いよく開いた。
「あ、いたいた!」
倉前尚人だった。大量の資料が入ったバッグを抱え、どかっとソファの中央に割り込むように座る。誰に呼ばれたわけでもないのに、さも当然のような顔をしていた。
「ちょっとみんな、聞いてくれよ」
尚人は、こちらの会話などお構いなしに、自分の話を始めた。
「同じゼミのやつなんだけどさ、あいつ挨拶しないんだよ。颯斗も知ってるだろ、金田。ああいう非協力的なタイプってどう思う?」
「まあ」
と、颯斗は手元の本から目を離さないまま淡々と応じた。
「挨拶するかどうかも、そいつの勝手だろ。人それぞれじゃないか」
「冷たいなあ! ……彩乃ちゃんはどう思う?」
「挨拶なら、尚人さんからすればいいんじゃないですか?」
彩乃が呆れたように言うと、尚人は「そうなんだけどさ!」と大げさに手を振った。
「あとさ、挨拶だけじゃないんだ! ゼミの研究で蓋が必要だったんだけど、なくて困ってたんだよ。そしたら、その辺にちょうどいいのがあったから使ったの」
「うんうん」
「そしたらさ、蓋をとったせいで中身がこぼれたとか言ってめちゃくちゃ怒ってくるんだよ!」
「……どういうこと? 中身の入った容器の蓋を取って、自分のにつけたってこと?」
思わず彩乃が身を乗り出して聞き返す。
「知らないって。そこにちょうどいいのがあったから使っただけだろ?」
悠は一瞬、言葉に詰まった。
「自分が困っていること」と、「だから他人のものを勝手に使っていいこと」が、尚人の頭の中でどうやって繋がっているのだろうか。
悠は思わず聞いてみる。
「ええと……尚人さんは怒られた事に納得がいかないということですか?」
「そりゃそうだろ、わざとじゃないんだから!」
『尚人さんとしては、困っていて、そこにあったから使っただけなのですよね』
「そう! マザーは分かってくれるんだよ」
「そういやさ」
颯斗が本をパタンと閉じ、尚人の言葉を遮るように口を開いた。
「例の件、どうなった? 機構に提出する書類の件」
「あ、やば!」
尚人は時計を見るなり、弾かれたように立ち上がった。
「それ忘れてた! 締め切り今日じゃん!また来るわ!」
尚人は嵐のように荷物をまとめると、そのまま足早に部屋を飛び出していった。バタン、とドアが閉まる。
三秒ほど、談話室に静寂が訪れた。
「はあ……」と、悠は思わず声を漏らした。
「本当に、台風みたいな人だな」
「昔からああだよ」
颯斗は何事もなかったかのように本を開いた。
「悪いやつじゃないんだけどね……本当に、悪気だけは一切ないのよね」
彩乃が苦笑いしながら髪を掻く。
「わかってはいるけど……」
と、こたつの中から蒼紫のくぐもった声がした。
「ただ……すっごく、疲れる」
しばらくして、今度は静かなノックの音が2回響いた。
「やあ、お邪魔するよ」
宗像大地だった。作業着のまま、いつもの工具ケースを手に持っている。
「フェザーの調子はどうだ? 不具合とかないか?」
「今のところ、困ったことはないです」
大地は優しく目を細めると、手際よく悠のフェザーからデータをスキャンし始めた。
「よし、エラーログもなし。順調だな」
端末を収めた大地は、そのままソファの空いている端に腰掛け、彩乃が差し出した温かいお茶を一口飲んだ。
「悠、機構の仕事には慣れてきたか?」
「はい、少しずつですけど」
「そういえばお前、例の小学生の聞き込み調査にも同行したんだって?」
大地の言葉に、悠の胸がちくりと痛んだ。
「はい。……やっぱり、能力の発現は本人にとっても予期しないことだったようです。駆くん自身も、すごく困惑していました」
大地は湯呑みを見つめたまま、少しだけ真面目な顔をして頷いた。
「そうか。……いや、最近本当に増えてるんだよな、能力者の初発現が」
「原因は、まだ何も分からないんですか?」
「それがさっぱりなんだ。最初の頃は年に数人程度だったのに、今年に入ってから急激に増えてる。機構の初期研修も、対応が追いついてないくらいだ」
「だから、事務にも俺みたいな研修生やバイトを入れてるんですか」
「まあ、そういうことだ。実際、悠が入ってくれて助かってるよ」
悠は少し間を置いて、大地の目を真っ直ぐに見つめた。
「こちらこそ。身元も何も分からなかった俺を助けていただいて、感謝しています。……だから、少しでもこの街の役に立てればと思っています」
大地はいつものフランクな笑みを浮かべ、悠の肩をぽんと叩いた。
「助かるよ」
夜。自室に戻った悠は、ベッドの上で天井を見つめながら、マザーへ話しかけた。
「ねえ、マザー。能力が出現する原因って、本当にわかってないの?」
『はい、悠。現時点の統計データでは、発現の直接的なトリガーは特定されていません』
「やっぱり、急激に増えてるんだよね?」
『ええ。今年に入り特にグラフの立ち上がりが非常に顕著ですね。個体の身体状態に何らかの変化が起きている可能性があります』
「……人によって、発現する能力が全然違うのはどうして?」
『それについても明確な確証はありません。ただ、一説には、その方の「根底にある性格」や「強く抱いている執着」が能力の性質に反映されているのではないか、とも言われています』
「性格……執着」
悠は、自分の白い掌を見つめた。
彩乃はいつも「時間が足りない」と言っていた。
颯斗は、自分の限界を誰かに決められることを嫌っていた。
では、蒼紫は?
あれほど寒さを嫌っているのに、与えられたのは氷だった。
――本当に、性格や願いだけで説明できるのだろうか。
だとしたら、あの受験生の駆くんは。
答えは出なかった。
あの少年が「息ができないみたいだった」と言った声だけが、妙に耳に残った。
一度繋がりかけた点と点が、悠の頭の裏側でぐるぐると回り続けている。
『悠。思索のノイズが大きくなっています。今夜はしっかり眠れそうですか?』
「……たぶん」
悠は布団に入り、目を閉じた。
「マザー」
『はい』
「また明日も、いろいろ話そう」
ほんのわずかな静寂が、暗闇の中に落ちた。
感情を持たないはずのシステムが、応答の処理を一瞬迷ったかのような、かすかな間。
『……はい、悠。私も、楽しみにしています』
悠その声を最後に、部屋の照明がゆっくりと落ちていった。




