第7話 それぞれの選択
コンビニからの帰り道のことだった。
「悠ーーぅ、何してるのぉ?」
買い物袋を下げた彩乃が、ひょっこりと顔を出した。
「コンビニに行って、みんなのアイスを買っていたんです」
「え、アイス!? 気が利くぅ! ……あ、でもここから寮まで歩いたら、ちょっと溶けちゃうかも」
彩乃はそう言うと、悠の手元にある袋に向かって、いたずらっぽく人差し指を向けた。
――カチ、と頭の中で小さな時計の針が鳴るような音がした。
「ほらっ! これで絶対に溶けなーーい!」
彩乃が満面の笑みで胸を張る。
「……めちゃくちゃ便利ですけど、時間干渉の能力をそんなことに使っていいんですか?」
「いいのいいの、他に使うことないもーーん。だってマザーのおかげで、この街は毎日平和だしね」
悠は、冷たさが完全に固定された袋を見つめながら、素朴な疑問を口にした。
「彩乃さんの能力って、どうやって発現したんですか?」
「んーー? なんかさ、試験前とかに『あー、時間が足りなーーい!』って心の中で叫んでたらね、ある日勝手にパッと出たのよ」
「そんな、思いつきみたいに出るものなんですか?」
「あ、疑ってるね? ほんとだってば! みんなそんな感じで、いつの間にか出てるんじゃないかなぁ」
「それはどうかな」
言葉を濁そうとした彩乃の背後から、いつの間にか追いついていた颯斗が、呆れたような声を被せた。
「うわ、颯斗! いつからいたの!?」
「最初からだ……『勝手に出た』じゃないだろ」
颯斗は呆れたように息を吐き、悠の方を向いた。
「こいつ、最初に能力を使った時、学校の先生を『止めた』んだよ」
「え?」
「高校の時、遅刻しそうになってさ。自分が教室のドアを開けて滑り込むのと同時に、後ろから入ろうとしてた先生の時間を止めたんだ。あれ、学校中で大騒ぎになったよな」
「いやぁ……あれは焦ったよね! 止めようと思ってやったわけじゃないのに、先生が彫刻みたいに固まっちゃうんだもん」
彩乃はまったく反省の色もなく、イタズラっぽく笑った。
「じゃあ、彩乃さんは本当に偶然だったんですね」
「そうそう! 最初は何が起こったのか全然わからなかったもん!」
「無意識に時間を止めてしまうなんて、すごいですね」
「ふふん、そういうこと! あたしってば天才だからねっ!」
そんな賑やかな会話を交わしながら歩いていると、街角の向こうから小さな影がよろめいてきた。悠は咄嗟に身を前に出し、その細い肩をしっかりと支える。
「おっと……大丈夫か?」
「わ、すみません……!」
見上げてきたのは、小学生くらいの男の子だった。腕いっぱいに、何冊もの分厚いテキストを抱え込んでいる。
「ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をした少年は、慌てて身の回りの荷物をまとめ直した。足元に落ちた一冊を悠が拾い上げて渡すと、表紙には『難関中学受験対策』の文字が躍っていた。
「中学受験、受けるんだ」
「はい。もうすぐ試験なんです」
少年は少し緊張した面持ちで、けれどハキハキと答えた。
「そうか。寒くなってきたし、体に気をつけて」
「はい! 失礼します!」
少年はもう一度深く頭を下げると、テキストをしっかりと抱え直して小走りで行ってしまった。
少年が小走りで去っていった方へ目をやると、少し先で一人の女性が待っていた。
母親だろうか。穏やかで優しそうな、いかにも上品な女性だった。
「疲れてない? 最近、少し勉強しすぎじゃないかしら」
母親が少年の頭を優しく撫でる。
「大丈夫だよ、お母さん」
「でも、マザーの『推奨睡眠時間』、昨日は三十分も過ぎていたわよ。今日はもう切り上げて、早く寝ようね」
「うん、わかった」
少年は素直に笑っていた。母親の眼差しも、どこまでも温かい。
二人とも、本当に仲が良さそうに、光の街へと消えていく。
悠は、仲良く並んで歩く二人の背中を静かに見送った。
「この国の中学受験って、そんなに大変なんですか?」
歩きながら、悠が素直な疑問を口にした。
「んー、基本的にはマザーが個人の適性に合わせた最高の『受験カリキュラム』を組んでくれるからね。効率だけで言えば昔より全然ラクらしいよ」
「へえ……」
「そういえば、颯斗も受験組だったよね?」
彩乃の言葉に、前を歩く颯斗がポケットに手を突っ込んだまま、短く応じた。
「ああ。……だが、俺はマザーのプログラムは使わなかった」
「えー、出たよ一匹狼。なんで使わなかったの? めっちゃ 効率いいのに」
「自分の限界を、システムに決められるのが気に入らなかった」
颯斗の横顔は、夜のネオンに照らされて少しだけ冷たく見えた。
「うわっ自ら苦労する方向に行くやつだ!」
彩乃は大袈裟に肩をすくめてみせる。
「でもまあ、颯斗らしいといえば颯斗らしいけどね」
『――信号が、5秒後に赤へと変わります。市民の皆様、無理をせず次回の青信号をお待ちください』
頭上から降ってきたマザーの声に従い、周囲の歩行者たちが一斉に足を止める。三人もそれに倣って、白線の手前で立ち止まった。
「そういや悠、明日からいよいよ仕事だろ?」
信号を待ちながら、颯斗が不意に話題を振った。
「え、悠、お仕事始めるの!?」
彩乃が驚いて目を丸くする。
「はい。まだ身元がわからないので、仮の所属として、機構の事務手続きや訓練場のお手伝いをさせてもらうことになりました」
「なんだぁ、じゃあ実質うちの職場の仲間じゃーーん! よろしくね、悠先輩!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
初めてこの街で、自分の居場所らしいものができた気がした。
悠の胸の奥に、小さな温かい灯がともった。
その夜。
悠は自室のデスクで、明日からの勤務に関する書類にサインを書き進めていた。
「マザー。明日から、仕事が決まったよ」
ペンを置くと、フェザーが近寄ってきた。
『システム上で確認しています。おめでとうございます、悠。本当に良かったですね』
「うん。記憶はまだ全然戻らないけれど……これで、やっとこの街で、なんとかやっていけるような気がするよ」
『ええ、本当に素晴らしいことです。悠がこの街に馴染み、前を向いていることは、私にとっても望ましいことです』
マザーの声は、どこまでも温かかった。
「……ありがとう。焦らずに、一つずつやっていくよ」
『その意気です。大丈夫、何も心配はいりませんよ』
カーテンの隙間から、いつもと変わらない、完璧に管理された眩しい街の光が見える。
悠は静かに明かりを消し、ベッドへと潜り込んだ。
明日から始まる新しい日々に、少しだけの期待を抱きながら。
『おやすみなさい、悠。良い夢を』
「おやすみ、マザー」




