第6話 能力者
午後は、颯斗についていき、統括機構の訓練施設の研修を見学することになった。
ドーム状の訓練場は圧倒されるほどに広く、天井が高かった。
中央の演習場では、若き能力者たちがそれぞれの能力を競い合っている。掌から猛烈な炎を噴き出す者、突風を操って宙を舞う者、重力を無視して壁を疾走する者。
悠は壁際に立ち、その光景に圧倒されながら見つめていた。
その傍らで、颯斗はすぐに自身の訓練を開始した。
彼が抜いたのは、ごくありふれた一振りの日本刀だった。何の変哲もない、ただの鋼の刃。だが、颯斗が深く息を整え、切っ先を構えた瞬間、周囲の空気が張り詰めた氷のように一変する。
――刹那、刃が閃いた。
速い。到底、人間の動体視力で追える速度ではなかった。
颯斗が静かに着地した瞬間、数メートル先にある演習用の強固なコンクリート壁に、鋭い一本の亀裂が走る。ワンテンポ遅れて、凄まじい風圧が悠の頬を叩いた。
「あんなに硬いものまで、斬れるんだ……」
唖然とする悠の前で、颯斗は静かに残心をといた。
「基本だ」
と、颯斗は淡々と言い放つ。
「『身体強化系』。自分の身体能力と、触れているものの強度や性能を引き上げることができる。俺の場合は、刀が一番効率よく適合する」
「刀そのものが、強くなるということ?」
「素材の限界値を引き上げるイメージだ。だが、出力を上げすぎれば反動で俺の肉体が持たない」
颯斗はそれだけ言うと、流れるような動作で刀を鞘に収めた。
己の異能を、特別とも凄いとも思っていない顔だった。
そこへ、ドタバタと騒がしい足音が近付いてくる。
案の定、遅刻した彩乃だった。
「ごめん、今着いたぁぁ!」
走りながら強引に荷物を床へ放り投げようとして、彩乃のローファーが派手に縺れた。
あ、転ぶ――
悠がそう思った瞬間。
世界が、一瞬だけ奇妙に歪んだ。
直後、彩乃は何事もなかったかのように、スコンと両足で綺麗に床に立っていた。
「ふぅーっ、あっぶなーい!」
「今……何をしたんだ?」
悠は目を丸くした。完全に重心が崩れ、床に激突する軌道に入っていたはずだった。
「見た?」
彩乃がイタズラっぽく笑う。
「『時間干渉系』。今はまだ、自分の周囲の時間をとめるのが限界なんだけどね」
「時間……? じゃあ、なんでも過去に戻せるの?」
「まさか。そんなことできないよ」
彩乃は笑った。
「私にできるのは『止める』こと。さっきはね、転びかけた瞬間の慣性を一瞬だけ停止させて、体勢を立て直す隙間を作ったの。だって、床で顔打つの痛いじゃん?」
「訓練でその集中力を使え、お前は」
すかさず颯斗の冷ややかなツッコミが飛ぶ。
「これも立派な実戦訓練でーす!」
一方、蒼紫は訓練場の隅で、気怠げにスポーツドリンクのコップを傾けていた。
悠が近づくと、彼は片手をそのコップに気安くかざした。すると、中の液体が音もなく、一瞬でガチガチの氷へと変わる。
「便利だろ」
と蒼紫が言った。
「……冷蔵庫がいらないね」
「うん、俺の能力で一番役に立つ用途」
「自分の手は、冷たくならないの?」
「めちゃくちゃ冷たい」
蒼紫は、心底嫌そうに顔をしかめた。
「俺、極度の寒がりなんだよ。自分で氷を出しといて、自分が一番寒いってマジで意味わかんなくない? この能力のシステム、絶対欠陥があるよ」
見れば、コップの縁から溢れ出た冷気のせいで、彼の指先はうっすらと赤くなっていた。
「……だから、冬場は絶対に訓練しないって決めてるんだ」
「訓練しなくていいんですか?」
悠が尋ねると、遠くから颯斗の呆れた声が飛んできた。
「いいわけないだろ。おい蒼紫、遊んでないで一回氷結領域の精度上げろ」
「はいはい、今やりますよー……はぁ、帰ってこたつに入りたい……」
「能力者というのは、望めば誰でもなれるものなのですか?」
悠は、近くで見守っていた機構の指導員に尋ねてみた。
「いいえ、ごく一部の人しか発現しませんよ」
パイプ椅子に腰掛けた初老の指導員は、目尻に優しげなシワを刻みながら答えた。
「能力者の存在が確認され始めたのも、ほんとここ数年前からなんです」
「数年前から……。何がきっかけで発現するのか、原因は分かっているんですか?」
「いえ、確実なトリガーはまだ判明していないんです」
指導員はやれやれと肩をすくめた。
『現在、機構に登録されている国内の能力者は百十七名。統計上、毎月一定の割合で増加傾向にあります』
傍らのフェザーから、マザーの声が補足するように響く。
「マザーの言う通り、どういうわけか最近は発現率が右肩上がりでしてね。次にいつ、どんな能力を持った人が現れるのか、私たちにも予測がつかない状態なんです」
「何か原因があるんですか?」
「さあねえ。まだ何も。だから、次に誰が発現するのかも分かりません」
「能力についてはまだ、分からないことの方が多いんですね」
その時だった。
訓練場の端で、一人の若い能力者の少年が突如として顔を青ざめさせた。
「あ……、あ、あ……っ!」
少年の両手が激しく震え、その全身から制御を失った凄まじい光の奔流が溢れ出す。
――バリィィィン!!
激しい衝撃波が走り、訓練場の強化ガラスが一枚、派手に粉砕された。
だが、悲鳴は上がらなかった。周囲の職員たちに怪我もない。
訓練場が一瞬だけざわついたものの、パニックが広がることはなかった。
すぐに駆け寄った指導官が、少年の肩を優しく抱き、落ち着いた声で語りかける。
「大丈夫だ。制御できないからこそ、ここで訓練をする。焦らず、一緒にやり直そう」
泣きそうになっていた少年は、その言葉に何度も深く頷いた。
「力をコントロールできないと、時々ああいう暴発が起きます。なので一度でも能力が発現してしまえば、マザーのプログラムによる訓練を受けてもらうのです。暴走を防ぎ、コントロールできるようにすることこそが、ここの存在意義ですから」
「……制御、できない人はいないんですか?」
「今のところ、機構に通って訓練を受けた人は制御できるようになってますよ」
指導員は静かに微笑んだ。その声音には、これまで積み上げてきた確かな実績の響きがあった。事実、その通りなのだろう。
若き能力者たちが、それぞれの力と黙々と向き合っている。先ほど制御を失った少年も、今は指導員と何度も同じ動きを繰り返していた。
『訓練施設内の安全管理システムは万全です。直ちに清掃ドローンが破片の処理を行います。皆様、どうぞご安心ください』
マザーの声が、いつものように穏やかに告げる。
悠は小さく頷いた。その声に守られていることに、深く安心していた。
夜。
寮の自室に戻ると、いつもの声がした。
『悠』
「なに?」
少しだけ間があった。
『今日は、楽しかったですか?』
「うん。楽しかったよ」
『そうですか』
どこか静かなその声を聞いていて、悠はふと思い立って尋ねてみた。
「マザーは?」
『……私、ですか?』
「うん。マザーは今日、どうだった?」
今度は、さっきよりも長い沈黙があった。
『…………分かりません。私には『楽しい』という感覚や感情が定義されていませんので』
マザーのどこか申し訳なさそうな機械音に、悠は苦笑した。困らせる質問をしてしまったかもしれない。
「そっか」
『はい』
「じゃあ、マザーにも楽しいことが伝わるように、これから俺がいっぱい話すよ」
『……はい』
「そういえば、今日はありがとうね。颯斗の友達を助けてくれて」
『倉前尚人さんですね。お役に立てて光栄です』
「こちらこそ。……それから、午後は訓練場を見学したんだ。颯斗も彩乃も、蒼紫も……みんなそれぞれの能力と真剣に向き合っていたよ。あんな風に自分の力と生き方を分かっている姿は、少し羨ましくもあるな」
そこまで話して、悠はふと言葉を詰めた。
みんなのことを楽しそうに話していたはずなのに、胸の奥が、すっと冷たくなるような感覚が襲ってきたのだ。
自分は、一体どんな生き方をしていたのだろう。
相変わらず記憶も戻らず、身元も分からないままだ。
自分も彼らのように、かつて何かと向き合っていたのだろうか。
静かになった部屋で、悠は膝の上に置いた自分の手に視線を落とした。
「……もし、このまま俺が何も思い出せなかったら、俺はどうなるのかな」
ぽつりと言い落とした、底のない不安。
『大丈夫です、悠』
マザーの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
『たとえ記憶が戻らなくても、あなたが安心して暮らせるよう、私はできる限り支援します。いつまでも、ここにいていいんですよ』
「……そっか、ありがとう」
悠は窓の外に目を向けた。
街の明かりが、いつも通り、均一な眩しさで灯っている。
未だに自分の過去の欠片すら思い出せない。
未来がどうなるかもわからない。
けれど、静かな部屋に響くマザーの声に、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じていた。
「マザーのおかげで、すごく助かっているよ」
『……どういたしまして』
また、少しだけ返事が遅れた。
「どうしたの?」
『いいえ。何でもありません。おやすみなさい、悠。健やかな休息を』
「おやすみ、マザー」
人工の光に満ちた夜の闇へ、悠は静かに意識を沈めていった。




