第23話 開戦
「彩乃、蒼紫」
颯斗の短い声に、二人が顔を上げた。
彩乃は髪をきつく結び直し、蒼紫は面倒そうに上着を羽織る。
「ここで逃げたら寝覚めが悪いしな…。行くしかないか」
蒼紫の切れ長の目の奥には、久しぶりに見る「本気」の鋭い光が宿っている。
「行くぞ」
二人が頷いた。
廊下を突き抜ける風のように、三人の足音が遠ざかっていく。
外に出た颯斗、彩乃、蒼紫の目に飛び込んできたのは、理不尽なパニックへと叩き落とされた大阪の街だった。
「ひっ、来るな、来るなア!」
「誰か、誰か助けてくれ!」
頭上を不気味な羽音を立てて飛び交う黒いドローンの群れ。
逃げ惑う群衆の悲鳴。
へし折られた信号機。
「くそっ、完全に人間を敵だと思っていやがる」
数時間前まで、街では「隔離しろ」「バケモノ」という声が飛び交っていた。
その同じ街で、今、人々は能力者に助けを求めている。
「……皮肉なもんだね」
彩乃が、自嘲するように笑った。
「あれだけ私たちを追い出そうとしてたくせにね」
その時、逃げ遅れた母親と小さな子供の真上から、一機の暴走ドローンが鋭い金属音を立てて急降下した。完全に標的を捉えている。
「危ないっ!」
彩乃が叫ぶと同時に、その瞳が鋭く光った。
能力発動――【時間操作】
急降下していたドローンの時間だけが、切り取られたように停止した。
機体は母子の頭上で、空間に縫い止められたようにピタリと静止する。
「蒼紫、そこだ!」
「めんどくさいなぁ、もう……!」
悪態をつきながらも、蒼紫が素早く手をかざした。
瞬時に冷気が走り、ドローンの駆動部が白い霜と厚い氷に覆われていく。
彩乃が能力を解除した瞬間、凍りついた鉄の塊となったドローンは、推進力を失ってアスファルトの地面へ無残に叩きつけられ、粉々に砕け散った。
しかし、休む間もなく背後から別の二機が、信じられない速度で突進してくる。
「シッ――!」
遮るように前に出たのは、颯斗だった。
限界突破した身体能力から放たれた【刀】の一閃。
目にも留まらぬ速度で空間を裂いた刃は、迫り来る二機のドローンを、寸分の狂いもなく一撃で真っ二つに両断した。
火花を散らしながら、左右に転がっていく鉄の残骸。
助けられた母親は、腰を抜かしたまま、呆然と颯斗たちを見上げていた。
「文句を言っても始まらない。行くぞ」
颯斗は母親に視線すら向けず、ただ前だけを見据えて再びアスファルトを蹴った。
その時だった。
『市民の皆さまは、案内表示に従って最寄りの避難区画へ移動してください』
街頭スピーカーから、いつもと変わらない穏やかな声が流れる。
同時に、交差点脇の大型サイネージが一斉に切り替わり、鮮やかな青い矢印が地下商業施設の入口を指し示した。
「避難誘導……?」
彩乃が足を止める。
周囲にいた人々は、ほっとしたように案内へ従い、吸い込まれるように次々と地下へ向かっていった。
だが――。
最後の一人が中へ入った、その直後。
ガシャン――ッ!!
巨大な防火シャッターが一斉に落ちた。
「え……?」
中から悲鳴が上がる。
「開けて!」
「閉じ込められた!」
「誰か――!」
逃げようと横の非常口へ向かった人々の前に、小型の警備ロボットが滑り込んだ。
赤く明滅する光学センサーが、一斉に人間へと向けられる。
『警告。指定区画から離脱しないでください』
「なんでだよ! ここから出せ!」
一人の男がシャッターを叩いた瞬間、警備ロボットの腕部がカチリと展開した。
「危ない!」
颯斗が地を蹴る。
金属音とともに刀が振り抜かれ、ロボットの腕が根元から弾き飛ばされた。
「下がれ!」
その声を合図に、彩乃と蒼紫も跳ねるように動く。
だが、次の瞬間。
通りの両側から、小型の配送ロボットが次々と進路を変え、こちらへ向かって殺到してきた。
「配達ロボまで!?」
蒼紫が舌打ちし、路面へ冷気を走らせる。
鏡面のように凍結した舗装の上で車輪を取られた機体が、甲高い駆動音を響かせながら横転していく。
「こっちだ!」
颯斗たちは別の通りへ走る。
だが、交差点へ差しかかった瞬間、無人の自動運転車が次々と滑り込み、横一列に壁を作って停止した。
「……道、塞がれた」
「裏へ回る!」
建物の脇道へ駆け込もうとした、その瞬間。
ガシャン――ッ!
今度は目の前のシャッターが落ちる。
「また!?」
彩乃が振り返る。
その時、道路脇の大型サイネージに赤い文字が浮かび上がった。
《対象位置更新》
続いて、別の建物。
別の案内板。
街灯の支柱に埋め込まれた表示灯。
次々と同じ文字が感染するように現れる。
《進行方向予測》
《対象三名》
三人の足が止まった。
「……バレてる」
彩乃が青ざめる。
蒼紫が周囲を見回した。
「カメラだけじゃないな」
「音も拾われてる」
颯斗が低く言った。
少し離れたサイネージが、こちらを向くように角度を変える。
『現在地からの離脱を中止してください』
「……やっぱ聞いてるな」
『現在のあなた達の行動は、防衛システムによって脅威行動と判定されています』
「マザー」
颯斗が呼びかける。
『はい、颯斗さん』
「こいつら、俺たちの会話まで拾ってるのか?」
『その可能性は高いです。防衛システムは、都市内の複数の音響・映像・位置情報センサーを統合して対象を追跡しています』
彩乃が顔をしかめる。
「じゃあ、どこ行っても分かるじゃん」
『都市インフラが集中する区域では、その可能性があります』
「……最悪」
蒼紫が小さく吐き捨てた。
「なんとかならないのか」
『制御権の奪還を試みます』
サイネージの表示が一瞬乱れた。
『……やはり、拒否されています』
「マザーがやってるんじゃないんだな」
『はい。私は皆さんへの攻撃を指示していません』
「でも止められない」
『……はい』
颯斗は周囲を見渡した。
道路。
建物。
監視設備。
自動運転車。
案内表示。
配送機。
この街では、快適な暮らしのために存在していたすべてが、防衛システムの目と手になっている。
「……ダメだ」
「え?」
「ここじゃ勝てない」
颯斗は刀の柄を固く握り直した。
「街の中にいる限り、向こうに全部見られてる。道も、建物も、車も、全部使われる」
蒼紫が額の汗を拭いながら顔をしかめる。
「じゃあ、どうするんだよ」
その直後。
前方の交差点へ、また自動運転車が滑り込む。
左右の道でも防火シャッターがけたたましい音とともに次々と降り始める。
後方からは警備ロボットの群れ。
頭上には黒い配送ドローン。
完全に包囲網が完成しつつあった。
「颯斗!」
「走れ!」
「どこへ!?」
「大阪城だ!」
颯斗は迷わず前を指した。
「ここで止まったら終わる!」
「なんで大阪城!」
「あそこなら古い構造物が多い。自動設備も少ない。少なくとも、ここよりはマシだ」
「でも道が――!」
「作る!」
颯斗が刀を構えた。
その横で蒼紫も両手を前へ出す。
彩乃が息を整えた。
「行ける?」
「行くしかないだろ」
彩乃が周囲を見渡す。
「でも、みんなバラバラだよ」
別の通りから逃れてきた能力者たちの姿が見え始める。
「大阪城へ行け!」
颯斗が声を張り上げる。
「戦える奴は大阪城へ集まれ!」
その声が、混乱する街の中を走っていく。
誰かが同じ言葉を叫び、別の誰かが端末へその言葉をたたきこむ。
やがてその呼びかけは、途切れかけた通信網と人々の口伝を伝って、少しずつ広がり始めた。
――大阪城へ。
防衛システムに掌握された街を逃れながら、追い詰められた能力者はそこを目指し始めていた。
遠く、高層ビルの隙間の向こうに、大阪城の天守が小さく浮かんでいる。
「走れっ」
今度こそ、三人は迷わず走り出した。




