第15話 居場所
能力統括機構の本部ゲート前には、これまで見たこともないほどの大勢の人間が集まり、黒い人だかりを作っていた。
『能力者は危険だ! 街から隔離しろ!』
『暴走を隠蔽するな! 私たちの家族を守れ!』
激しい怒号と共に、何枚ものプラカードが波のように揺れている。
だが、悠はその怒りの声を、ただ恐ろしいとは思えなかった。
拡声器の向こうから聞こえる声には、怒りだけでなく、剥き出しの怯えが混じっていた。
この人たちも、怖いのだ。
悠は立ち止まり、その光景をじっと見つめてつぶやいた。
「……なんで、みんなそこまで怯えるんだろう。訓練さえすれば、暴走は起きないのに」
『そうですね。きちんと管理し、制御を学べば、決して危険ではありません。実際、暴走を起こさずに社会に貢献している能力者の方がずっと多いのですから』
「そうだよな……」
「仕方ねーよ。みんなだって、怖いんだろ」
不意に隣に並んだ颯斗が、静かな声で言った。その目に怒りの色はなく、どこかデモの人々を突き放すように冷めていた。
「でも……あの人たちだって、その能力に助けられたことがたくさんあるはずなのに」
後ろからついてきていた彩乃が、深く、重いため息をつく。
「この間まで、普通に笑い合っていたのに、一度怖いものだと決まったら、それまでのことなんて全部忘れちゃうんだね」
誰も、その言葉に答えられなかった。
ただ、激しい言葉の並んだプラカードだけが、冷たい風に揺れていた。
◇
デモの喧騒を背に、重い足取りで機構の敷地内へ戻ろうとしたその時だった。
「悠、ちょっと付き合ってくれ」
背後から声をかけてきたのは、宗像大地だった。いつもの作業着姿だが、その表情は普段のフランクなものとは違い、どこか焦りを含んで硬い。
「宗像さん……? どこへ行くんですか?」
「梅田のサテライトだ」
「サテライトに、何かあったんですか?」
「最近の能力者増加の『ヒント』が落ちてないか、直接データベースを調べておきたくてね。今日はそっちへ直行する」
急な提案に戸惑いながら、悠は自分の胸元にある『一般職員』のIDバッジを見つめた。
「……俺で、いいんですか?」
大地は少しだけ口元を緩め、ポケットから端末を取り出した。
「マザーがね、直々に指名してきたんだよ。お前を連れて行けってさ」
「マザーが……俺を?」
なぜ自分なのか――首をかしげる悠の肩を、大地がポンと叩く。
「理由は向こうに着いてから考えよう。車、出してるから行くぞ」
「あ、はい……!」
悠はデモの残響が響くゲートを一瞥すると、大地の後を追って駐車場へと駆け出した。
梅田のサテライトは、巨大な地下街のさらに奥深く、厳重にロックされた最下層にあった。
エレベーターの重い扉が開くと、無機質で薄暗い一本の通路がまっすぐに伸びている。その突き当たりにある厚い防壁の扉を開けると、そこは広大なドーム状の部屋だった。
部屋の中央には、鈍い銀色に光る、大人の背丈ほどの巨大な制御機械が鎮座している。
悠がその異様な光景に圧倒されていると、突然、頭上から明かりが灯った。
『いらっしゃいませ、悠』
マザーの澄んだ声が、天井の音響システムを通じて部屋全体に優しく満ちていく。
「……お邪魔します」
悠が少し緊張しながら呟くと、大地は黙ったまま作業着の袖をまくり上げ、中央の機械へと近づいていった。いつものフランクさは消え、その横顔は真剣そのものだ。
機械の複雑な基盤の中央には、乳白色に淡く発光する球体が収まっていた。
テニスボールより一回り大きく、大人の両手にちょうど収まるほどの大きさだ。
機械の一部でありながら、まるで生き物の脈動に合わせて微かに光を強弱させているように見えた。
「これは、なんですか?」
「コアだ。このサテライト管区内の全データを集約して、マザーの本体と同期させてる。言わば、この区画の『心臓』みたいなもんだな」
大地は端末をコードでつなぎながら、短く答える。
「へえ……」
悠は思わず息を呑み、小さく脈動するように淡い光を放つその球体を見つめた。
大地は手元のポータブル端末を開き、コアの側面に設けられた端子へ手際よく有線コードを接続した。
「悠、ちょっと解析のログを取りたい。俺の指示通りに、そのコンソールのキーを押してくれるか」
「あ……はい、わかりました」
急に重大な作業を任され、悠は少し指先を強張らせながらコンソールへ向かった。
大地の指示に従い、慣れない手つきでキーを操作し、システムへのアクセスを重ねていく。
画面には、悠には到底理解できない膨大な暗号とバイナリデータが、恐ろしい速度でスクロールしていく。まるでマザーの巨大な脳内を覗き込んでいるかのような錯覚に、胸がざわざわと波打った。
大地は端末の画面に流れるログを凝視したまま、完全に沈黙していた。
いつものフランクな雰囲気は微塵もなく、鋭い眼光が画面の文字列を追う。
やがて――
大地の眉間の皺が、痛いほど深く刻み込まれていく。
「……うーん」
低く漏れ出た声には、明らかな困惑と警戒が含まれていた。
「宗像さん、何か……わかりましたか?」
「……一年前に、チップ系統と連動する制御プログラムに、かなり大掛かりなアップデートが入ってる」
大地はキーボードを叩く手を止め、ゆっくりと画面から顔を上げた。そして、誰もいない天井のスピーカーに向かって、静かだが重い声を投げかけた。
「マザー。この一連のアップデートは、マザー自身の自律判断によるものか?」
『いいえ、宗像主任』
天井から響くマザーの声は、いつもと変わらずどこまでも澄んでいて、機械的に正確だった。
『当時の稼働ログによると、システムの一部に不具合が検知されたため、本部のチップ開発部門の担当者によって、手動アップデートが実行されています』
「現地で、手作業の書き換えをしたってことか」
大地はポツリと呟き、端末の画面を見つめた。
「聞いてないな……。いつだ?」
『ちょうど、一年前です』
大地の手が、ピタリと止まった。
「一年前……」
そのまま、しばらく画面を見つめる。
「能力発現が増え始めたのも、一年くらい前だったな……」
ただの偶然か、それとも当時のシステム改修による影響か。
少なくとも、今見えているログの中に、意図的な改ざんを示す痕跡はない。
だが、それが現在の状況とどう繋がっているのか――。
大地は画面を見つめたまま、しばらく黙り込んだ。
「マザー。そのアップデートの、具体的な書き換え内容のログを出せるか?」
『恐れ入りますが、該当データは本サテライトから閲覧することができません』
「……本部側か」
『はい。詳細ログは本部の管理サーバーに保管されています』
大地は小さく舌打ちをした。引き出しの奥の鍵を見つけかけたのに、直前で拒まれたような、苦い顔だった。
「……ちっ、じゃあ、今日のセクター情報を本部のメインサーバーに送信してくれ」
『承知しました』
大地は小さく息を吐くと、ポータブル端末をパチンと閉じ、コードを引き抜いた。
腕組みをしたまま、頭の中で答えを探すように考え込んだ。
静まり返った地下空間に、機械の低い駆動音だけが重く響いていた。
悠は大地の邪魔をしないよう目の前でゆっくりと明滅を繰り返す乳白色のコアを見つめていた。
テニスボールより一回り大きいだけの小さな球体。これが、街中の膨大なデータを取り込み、処理し続けているのだ。
(マザーだって、ずっとこの街のすべてを抱え込んでるんだよな……)
重苦しい沈黙を和らげるためか、それとも純粋な思いやりからか、悠はなんとなく、目の前のコアに向かって呟くように声をかけた。
「……マザーは、いつも大変そうだね。お疲れ様」
その瞬間。
『――ふふ。ありがとうございます、悠。あなたは本当に、面白いことを言いますね』
スピーカーから、まるで本物の人間が零したかのような、微かな吐息が漏れた。
「え……?」
悠は思わず息を呑んだ。
面白いことを言ったつもりはなかった。ただ労っただけだ。
悠が不思議そうに首を傾げた次の瞬間には、マザーの声はいつもの完璧で無機質なアナウンスのトーンへと戻っていた。
『本サテライトのデータ送信をすべて終了いたしました。宗像主任、悠、お気をつけてお帰りください』
「あ……うん。ありがとう」
悠はもう一度コアに視線を送ったが、そこにはただ点滅する、いつもの完璧な人工知能の『心臓』があるだけだった。
帰り道、悠は大地と並んで、ネオンの灯り始めた梅田の地下街を歩いていた。
「……何か、わかりましたか?」
「まあな。もしかしたら、という『仮説』はひとつ浮かんだ」
大地は前を見据えたまま、どこか慎重に言葉を選んでいるようだった。
「そうですか。……俺は、ただ指示されたボタンを押しただけで、あまり役に立てなかったですけど」
悠が少し申し訳なさそうに言うと、大地はいつものように快活に笑い、ポンと悠の肩を組んだ。
「いやいや、そんなことないって。マザーがわざわざ同行者を指名してくるなんて、機構の中でもそうそうないことなんだぞ」
「指名、ですか……?」
「そうだな。マザーは基本、何でも自分で最適化して片付けちまうからさ。こういう現場調査も、普通は担当者に任せるだけなんだ」
「でも……今回は違ったんですか?」
「ああ。同行者に、はっきりと悠を指定してきた」
大地は一度足を止め、少し考え込むような、探るような目で悠を見つめてから、言葉を継いだ。
「……マザーに、随分気に入られてるんだな、お前」
「気に入られてる……?」
言われた意味の本当の重さは、今の悠にはよく分からなかった。
けれど――記憶を失い、自分のことすら何も分からなかったあの頃、右も左も分からない自分にいつも変わらず声をかけ、静かに寄り添ってくれたのはマザーだった。
見知らぬ街で途方に暮れていた自分にとって、マザーの存在はただただ心強かった。
大地の言葉に、悠はふっと胸の奥が温かくなるのを感じた。
自分を特別扱いしてほしいわけじゃない。ただ、不安だった自分をずっと支えてくれた存在が、今も自分を必要としてくれている――そのことが、純粋に嬉しかった。
(……マザーがいてくれて、本当によかったな)
夜の梅田の喧騒の中を歩きながら、悠は大地の言葉の余韻を、胸の奥で静かに反芻していた。
冷たい街の明かりの中で、その言葉はどこか小さな灯火のように、優しく心を温めていた。




