第13話 変化
今日も朝から、談話室には彩乃の賑やかな声が響いていた。
けれどその明るい調子は、どこか不安を打ち消そうと必死になっているようにも聞こえる。
その横で、壁面の大型モニターからニュースキャスターの硬い声が流れていた。
『――先日、能力統括機構内で発生した能力暴走事故を受け、市民からは能力者の安全管理体制を疑問視する声が相次いでいます。街頭インタビューでは、「事態の開示が遅すぎる」「能力者の移動を制限すべきだ」といった厳しい意見も寄せられており――』
画面には、事件が起きた現場の映像と、不安げな表情でインタビューに答える市民たちの姿が交互に映し出されている。
彩乃の声が一瞬途切れ、気まずそうに画面から目を逸らした。
悠はその横顔とニュース画面を静かに見つめた後、小さく息を吐いて仕事場へと向かった。
その日の悠の業務は、本部センターの受付補助だった。
午前中だけで来客が四件。どれも機構への問い合わせや、一般的な申請手続きだった。悠はいつも通り書類を受け取り、システムへ案内し、丁寧にお辞儀を繰り返す。
訪れる人は悠の胸元にある『一般職員(能力非保持者)』のIDバッジを見た瞬間、それまでの強張った表情をどこかほっと緩め、安堵の息を漏らすのだった。
午前の業務が終わる頃、上司の鷹野に呼び出された。
「刀根崎くん、今日の後半も引き続き、そのまま来客対応の窓口に入ってもらえるか」
「はい、もちろんですが……何か急な変更でも?」
「助かる」
鷹野はいつも要件だけを簡潔に伝える人だった。
だが今日にかぎっては、言葉を切ったあとに奇妙な間があった。
「……今は、能力のない者に窓口を任せたほうが、来客の警戒も解ける。……相手も、そのほうが安心するからな」
悠は、すぐには返事ができなかった。
当の鷹野は、もうパソコンの画面に視線を戻し、淡々とキーボードを叩いている。そこに他意や悪意はない。ただ組織の最適解を淡々と執行しているだけだ。
だが――。
自分が能力を持たない「ZERO」であるという事実そのものが、市民を安心させるための『記号』として選別されている。
そのあまりに合理的な事実に、悠の胸の奥へ、冷たいものがじわりと広がった。
◇
昼過ぎ、一旦休憩のために寮に戻ると、驚いたことに三人がリビングに揃っていた。
「あれ、みんな早いね。大学終わったの?」
部屋に入った悠の声に、弾むような返事は返ってこなかった。
颯斗はソファに深く腰掛けたまま硬い表情で腕を組み、蒼紫は窓際に立って、じっと外の景色を見つめたまま微動だにしない。
そして彩乃は――珍しく、酷く静かだった。
テーブルの上に置かれたスマートフォンは画面が伏せられており、彩乃は一度もそれに触れようとせず、ただじっと一点を見つめている。通知のライトが時折明滅しているが、それを確かめる気力すら湧かないようだった。
「うん……ちょっとな」
颯斗の返事は短く、低かった。
何があったのか、悠には聞けなかった。
三人の間に、記憶を持たない自分にはどうしても踏み込めない、目に見えない強固な壁があるような気がした。
「……今日は早めに訓練室行くわ」
蒼紫が窓際から離れ、感情の抜けた声で言った。
それに合わせるように、颯斗と彩乃も音もなく立ち上がる。
悠は、立ち去ろうとする三人の後ろ姿に向かって、思わず声をかけていた。
「……大学で、何かあったんですか?」
颯斗がふと足を止め、ゆっくりと振り返った。
そして、ほんの少しだけ口角を上げた。それが本物の笑顔なのか、作り笑いなのか、悠には判別がつかなかった。
「別に。大したことじゃないよ」
「そうそう。なんかねー、みんな私たちがコワイみたーい」
彩乃はおどけたように笑ってみせた。けれど、その声は微妙に上ずっていて、視線は決して悠と交わろうとはしなかった。
蒼紫は何も言わず、ただ無表情のままドアの向こうへと消えていく。
それだけを言い残して、三人は静かに訓練室へと去っていった。
一人残されたリビング。
テーブルの上には、伏せられたままの彩乃のスマホが、ぽつんと取り残されていた。
誰からのものかも分からない通知が、バイブレーションの小さな振動となって、無機質なテーブルをカタカタと揺らしていた。
三人が訓練室へ向かってから、わずか三十分後。
激しい電子アラートが寮内に響き渡った。
壁面のモニターが一斉に真っ赤な警戒色に染まり、マザーの無機質な合成音声が響き渡る。
『――緊急出動要請。住吉大社付近の商店街にて火災発生。現場は木造家屋が密集しており、延焼の危険大。至急、近隣の能力者は消火活動の応援に赴け』
寮の廊下が一気に慌ただしく動き出した。
その直後、訓練室から戻ってきた颯斗が、防護服姿のまま険しい顔で悠を見た。
「悠、一緒に来い」
「俺も?」
「そうだ。周囲の避難誘導の補助だけでいい。……行くぞ」
「わかった」
走り出す颯斗の背中を追いかけながら、悠は唇を噛み締めた。
能力を持たない自分に、直接火を消すような強い力はない。
けれど、恐怖でパニックになる市民と、最前線で戦う仲間たちの間で、自分にしかできないサポートがきっとあるはずだ。
(自分にできることを、精一杯やるだけだ――!)
悠は胸の中の迷いを吹き飛ばすようにぐっと拳を握り締め、現場へと足を踏み出した。
現場の商店街に到着したとき、すでに炎は二軒の木造家屋を激しく包み込み、黒煙と共に火の粉を空へ散らしていた。
「どいてくれ!」
颯斗が鋭い声を上げ、一瞬で地を蹴った。限界突破した圧倒的な身体能力から放たれた一刀が、今にも隣へ燃え移りそうだった屋根の突き出た梁を、一撃で綺麗に断ち切る。
「……止まれっ!」
彩乃が前線へ飛び出し、燃え盛る炎のある一点へ手をかざす。彼女の干渉によって、その区画の『時間』が停止し、激しい炎の勢いがピタリと凍りついたように静止した。
「蒼紫、上だ!」
「任せろ」
颯斗の合図と同時に、蒼紫が空中に巨大な氷の塊を幾重にも出現させる。彼はその急激な冷気を使って周囲の温度差を精密にコントロールし、局所的な気流を操って炎の熱を上方へと一気に誘導した。熱気によって凄まじい勢いで溶け出した氷塊が、大粒の豪雨となって立ち込める黒煙の中へと降り注ぐ。
「みなさん、こちらへ! 煙を吸わないように退避してください!」
悠も喉を枯らしながら、パニックになりかけた周囲の市民を安全な場所へと誘導し、駆けつけた消防隊への状況伝達に奔走した。
能力者たちの圧巻の力と、迅速な避難誘導の見事な連携により、火の手はそれ以上広がることなく、またたく間に鎮火へと向かっていった。
悠は煙に塗れながら、避難する人々を安全な場所へと誘導し終え、ようやく荒い息を整えた。
煤だらけの3人が見えた。
彼らは間違いなく、この街を守ったヒーローだった。
しかし――。
「チッ……また能力者の暴走かよ」
集まった野次馬の群れから、刺すような声が飛んだ。
「違います! そういった事実は確認されていません、通常の漏電による火災です!」
近くにいた機構のスタッフが必死に叫ぶ。
「隠すなよ! どうせまたお前らの仲間がやらかしたんだろ!」
「本当に違います! 今日は彼らがいたから最小限で――」
「マザーが管理してるこの街で、普通の火事なんて起きるわけないだろう! 能力者の誰かが、裏で故意に起こしたに決まってる!」
何を言っても、民衆の怒号と疑わしき声は重なり、膨れ上がっていく。
「違う……!!」
声を張り上げたのは、他でもない悠だった。
防護服の胸元――『一般職員(能力非保持者)』のIDバッジを揺らしながら、悠は野次馬の群れの前に一歩踏み出した。
「彼らは、自分の危険も顧みずに入っていったんだ! この人たちがすぐに火を止めてくれたから、被害はこの程度で済んだんだ! ちゃんと見てくれよ、彼らは……!」
しかし、その声は冷ややかな嘲笑にかき消された。
「なんだよ、あいつも仲間をかばってるのか?」
「非保持者のくせに……気色悪い」
向けられるのは、能力者に対するものと同じ、猜疑心と冷たい目だった。
悠の言葉は、熱を失い、ただ虚しく黒煙の中に消えていった。
「違う」という真実の言葉は、彼らの耳にはもう、一切届かなかった。
「……悠」
いつの間にか、煤で汚れた颯斗が隣に立っていた。「もういい。帰ろう」
その声には、怒りも、悲しみもなかった。ただ、底のない虚無だけがあった。それが、悠の胸に余計に重くのしかかった。
◇
翌朝。ネットの海には、夜のうちに無数の悪意ある言葉が書き殴られていた。
『また能力者の暴走事故だ。機構はいつまで隠蔽を続けるつもりだ?』
『一般市民を危険に晒す連中は隔離すべきだ。いつ自分が巻き込まれるか分からない』
『マザーの完璧なシステムを脅かす、ただの危険分子でしかない』
それらは、悠が昨夜、現場の最前線で見た必死の消火活動とは、あまりにもかけ離れた歪んだ出来事として語られていた。真実は消し去られ、恐怖心だけが勝手に膨れ上がっていく。
リビングでは、三人がいつものように静かに朝食の席についていた。
蒼紫はどこか縮こまるように定位置に座り込み、彩乃は手元のスマートフォンに映るネットの画面を見つめながら、何かを言いかけて――そのまま、唇をぎゅっと噛み締めてそっと口を閉じた。
颯斗も、無言のままコーヒーのカップを口に運び、冷めた液体を飲み下すだけだった。
痛いくらいの沈黙が支配する部屋で、今朝は誰も、テレビのリモコンに手を伸ばそうとはしなかった。




