四条河原の戦
四条河原が血で染まっていく。後世で首切り場として有名な六条河原と、晒し場として有名な三条河原の間の四条河原が血で染まっていくのだ。この世界の処刑場及び晒し場は四条河原になるかもしれない。
そんな阿呆な事が頭を過りながら前線の戦闘を見つめる。先に仕掛けた後藤隊の分隊は既に壊滅状態に陥っていた。馬鹿の一つ覚えのように川へ突撃していく隊など弓矢の絶好の餌食であり、向こう岸に槍衾で待ち構えていれば罠にかかる鼠のように勝手に穂先に刺さってくれる。
だが、六角軍全体が動き出した事によって散り散りに逃げ出し始めた後藤分隊を吸収し、鶴翼のように広がりながら渡河を進めた事によって、三好軍は川淵での戦線を維持できなくなっていた。
「御屋形様、目賀田隊及び平井隊が左右から渡河を終えましてございます」
「大義。後続を待ってから三好軍の包囲を進めよ。逃げ道として後方は開けておくように甲賀衆にも伝えよ。本陣を動かす!」
平井家、目賀田家の渡河完了を受け、六角本隊五千も中央から動き始める。既に本陣回りに陣取っている隊以外は渡河を始めており、五千以上の兵が渡河を終えていた。
先ほどまで弓矢を打ち続けていた三好軍であり、後藤家分隊を散々に打ち倒してはいるものの弓矢の消費も激しく左右から迫りくる六角軍に及び腰になっているように見える。この状態では六角本隊が渡河を始めれば末端の兵達は逃散するだろう。
「殲滅する必要はないが、叩ける分は叩け! 死兵としなければ良い! 六角の恐ろしさを骨の髄まで刻み付けてやれ!」
俺の傍にいる者達から鬨の声が轟き、それに呼応するように渡河中の部隊、そして既に渡河を終えた部隊からも鬨の声が上がる。大地を揺らすほどの一万を超える人間が放つ怒号は対面した者達の気力を容赦なく削って行った。
俺が渡河を開始する頃には前線は三好軍を完全に崩し、鶴翼を閉じる形で殲滅戦に入って行く。俺の指示通りに閉じる鶴翼の先に逃げ道を作り、そこから逃げ出す者達も甲賀衆達が適度に討ち果たして行く。雑兵は逃がすが、将は逃がさない。兜首はしっかりと取り、恐怖に縛られた農民兵は逃がす。
この別動隊には摂津国人衆が多いようだ。三宅国村、有馬村秀、池田正奉など有力国人衆の首もあった。俺は首見分が出来ないが、三雲対馬守がしっかりと確認した。次々と倒れる三好軍をある程度まで追い、引き太鼓を鳴らして戦を終わらせる。
戦闘開始から僅か一刻で四条河原には三好軍の形跡は旗と遺体以外残らない状態になった。戦闘終了後に部隊編成を行うために一度陣を張り小休止を取る。三好軍が二条御所から援軍としてくるにしてもまだ時間が掛かるはずだ。
「御屋形様、後藤但馬守殿が目通りを願っております」
「…通せ」
本陣にて床几に腰を下ろして白湯を飲んでいるところに声が掛かった。先頭を任せていた後藤但馬守が拝謁に来たという知らせだ。六宿老の一人だとしても傲慢な態度であると言わざるを得ない。
まだ戦は続いている。緊急の要件であれば使い番を送れば済む。先ほどの戦端を切ったことへの弁明に来たのだろう。確かにこのまま知らぬ顔をされれば、それはそれで傲慢であるが、この状況で自ら目通りを願う事もまた傲慢であろう。
ではどうすれば良いのかという話になるのだが、難しいところだ。
「御目通りが叶いました事、御礼申し上げます」
本陣の中に入ってきたのは、後藤但馬守と次男の喜三郎定豊。この喜三郎定豊は俺よりも十近く上の現在二十五になる青年だ。しかし、気が強いのか愚かなのか、俺を前にして頭を下げる但馬守に倣う事なく俺を睨むように見つめている。
こういう人物は相手にするだけ疲れる為、敢えて視線を向ける事なく放置していたが、傍にいる三雲対馬守が小さく咳払いをした。
「喜三郎!」
流石に気が付いた但馬守が息子に対して厳しい声を掛けると、不服そうに頭を下げる。
理解が出来ない。俺とこの喜三郎とはほとんど面識はない筈だ。正直六宿老の息子とはいえ、次男であれば小姓などに上げなければ会う事はない。余程の実力者でもなければ当主の目に留まる事はないのだ。次男がいるという事は知っている。だが、轟くほどの活躍はないとなれば、会う必要がないからだ。
その為にこのような視線を受ける謂れはなく、憎しみに近いような感情をぶつけられる謂れもない。
「それで?」
「此度の仕儀、お詫び申し上げます」
但馬守は軍規違反である事を理解しているようだ。それはそうだろう。長年宿老として六角家内のピラミッドの頂点に君臨していたのだ。その程度を理解出来ないようであれば、その地位にはいないだろう。
ならば何故、このような軍規違反を犯したのか。
「理由を申せ」
「それは、三好側が口汚く我らを愚弄したからにございます!」
「喜三郎!」
この次男である喜三郎定豊は、史実では後藤高治と名乗る男である。史実では観音寺崩れの際、六角義治に父と兄を殺された事に蜂起し六角家と対立するが、和睦して後藤家の家督を継ぐ。しかし、元々折り合いが悪かったのか、それとも恨みを忘れなかったのかは解らないが、織田信長の侵攻と同時に六角を見限り、織田に付く事になるのだ。
その後は安土城で行われた相撲大会の行事をやるなど、そこそこの信頼を受け、近江衆として織田家に仕え、本能寺の変後は明智に付いた為に所領を没収されるが、蒲生家に仕官ののち、名を変えて乱世を生き抜いたほどの男なのだ。
このような浅はかな男がそのような事を成せるだろうか。史実で死去する前の所領は僅か三千石程度であり、今の後藤家の所領の十分の一にも満たないとはいえ、この乱世を生き抜いて天寿を全うした者としては思慮が足りない。史実で様々な苦労をした事によって経験を蓄積したために出来た偉業なのだろうか。
「…但馬守、申せ」
「…ぐっ」
端的な俺の物言いに喜三郎の顔が歪む。屈辱を感じているのかもしれないが、当主である六角弼頼と直に話をするにはまだまだ貫目が足りない。後藤家嫡男である壱岐守治豊とは違うのだ。他の時代でこのように兄弟で差をつけるのは良くないかもしれないが、この時代は家督争いの恐れを考えればこれが正しいだろう。
次男が嫡男よりも覚え目出度いとなれば、跡目争いが勃発する可能性もあるからだ。
「鴨川を挟み、我らと並び行軍していた三好軍からは詰まらぬ言動が多くございました。我が後藤家に対する罵詈雑言は勿論、主家である六角家への嘲笑、罵倒なども浴びせられておりました」
「あのような言動を許し、放置しておれば、武家の名折れ! 後藤家は勿論、六角家も舐められまする!」
発言が許されていると思っているのだろうか。
それとも宿老の息子である自分であれば、六角家当主も無碍には出来ないとでも考えているのだろうか。
まさか、既に宿老の父を持ち、城と領地を任された兄を持つ自分もまた、六角家内で相当の地位と権力を有しているのだと考えているなどという事はあるまいな。
「誰が六角家を舐めているというのだ? 三好か? それともお主か?」
「喜三郎! 御屋形様、お許しくださいませ」
「但馬守、その喜三郎の歳を考えれば若気の至りなどでは済まぬぞ? 俺は三好に構わず鴨川を北上するように厳命した筈だ。だが、其方の息子が戦端を開いた事で、六角と三好は争わなくてはならなくなった」
「しかし、勝ったではございませぬか!?」
腑に落ちた。
こいつは、六角右衛門督弼頼という六角家当主を舐めているのだ。
それが、年下だからというくだらない理由なのか。俺に代わる前の人物像に対してなのか、それともそもそも後藤但馬守という父の態度が原因でそれに倣っているだけなのかはわからない。
ただ、確実にこの男は年下の当主を当主として認めておらず、下に見ているという事だけは解る。
落ち着け、落ち着け六角義治。お前が怒り、騒ぎたくなる気持ちも解る。だが、それは今ではない。
「但馬守、これがお前の教育の成果か?」
「…申し開きもございませぬ」
この喜三郎定豊は、今の状態のままで役に立つどころか足枷になりかねない。六角家の成長の妨げとなるばかりか、六角家衰退の引き金になる可能性もある。
厳しい沙汰を告げれば、こいつは死罪だ。軍規違反は重大な罪であり、その影響で軍が全滅する可能性もある。独断専行での手柄取りが許されるのは報告があってこそだ。そうでなければ無法な軍隊となり収拾がつかなくなる。
「但馬守も同じ意見か? 六角宿老家の面目と誇りを守る事が当主の命よりも重要であり、軍全体を危険に晒してでも勝利すれば良いという教えをして来たのか?」
「…面目次第もございません」
流石に六角の両藤と称えられた程の男がそのような考えをしていない事など先程の戦闘で理解している。先走ったのは黄地の旗であり、白地の旗の本隊は動いていなかった。戦闘開始と共に流石に見捨てる事は出来ずに突撃に入ってはいたが、それも六角家本隊の動きを注視しての結果なのだろう。
だが、それがこの齢二十を超えている男には理解出来ていない。自身がなぜ叱責を受けなければならないのかが。『何故、先陣を切った後藤家がこのような辱めを受けなければならないのか』とでも考えているのだろう。頭を下げながらも手が細かく震えている。
この状況で恐怖ではなく怒りを感じられる胆力は評価するが、それは悪手だ。
「これで六角は三好との戦に入った。泥沼の戦いとなるだろう。人も食料も銭も湯水のように消えて行くぞ。未だ若狭、敦賀が落ち着かぬ状態だ。六角家も揺らぐかもしれぬ。喜三郎、お主はその機会を作ったのだ。六角滅亡の機会をな」
「…某は、そのような」
「気概はある。胆力もある。だが、お主には思慮が足りぬ。自身が起こす行動、発する言動で何が起こるかを、一度立ち止まって考えよ」
ここに来て、ようやく自身が何をしたのか、それによってどういう結果が起こり得るのかという事を理解し始めたのだろう。先程まで屈辱と怒りによって震えていた手が、恐怖によって止まり、許可もなく上げた顔は青褪めている。
「但馬守」
「はっ」
「壱岐守へ家督を譲り、隠居せよ。隠居後、この喜三郎を壱岐守に負けぬ将に育てよ。それが此度の罰である。また、現在築城中の鶴翼山城の費用負担を命ずる」
「…っ。承知仕りました。御屋形様のご温情、心より御礼申し上げます」
甘いかな。
だが、六宿老の一人であり、六角氏の両藤と呼ばれた片翼が隠居する事になったのだ。かなり厳しい沙汰だと思う。後藤但馬守賢豊の年齢はまだ四十過ぎであり、平井加賀守や蒲生下野守と比べれば一回り以上若い。後藤但馬守は六角定頼に仕えていた期間は短いのだ。
まだまだ働き盛りではあるものの隠居に追い込まれ、今後評定などに出てくる事は許されない。嫡男である壱岐守治豊は領地を与えられてはいるもののまだまだ六角家の中枢にいるわけでもない為、六角家中での後藤家の権力は落ちたと云われても過言ではない形となるだろう。
「喜三郎定豊」
「…はっ」
「其方の行いと、言動が父を隠居に追い込み、後藤家の力を削いだ。これは紛れもない事実だ。この事実を受け入れ、この沙汰を下した俺を憎み、恨み、命を軽んじるのか。それとも、父のこれまでの功績によって救われた命をもう一度輝かせるために奮起するのかは其方次第だ。…但馬守、これまでの忠義、誠に大義であった」
今回は宿老の息子であるから許された。これまでの功績がある故にその息子の首を切るという罰を忍びなく思い温情が与えられたとここにいる皆も理解出来ただろう。この沙汰が甘いと考えて軍規違反を起こす者に対しては厳罰に処すだろうと思ってくれれば良い。
但馬守の隠居、そしてその次男の実質蟄居は六角家の勢力図が大きく変化する。領地召し上げなどはない故にその力までは削げていないが、影響力は落ちた。あとは次の後藤家当主となる壱岐守治豊をしっかりと俺寄りに育てる事だろう。
「対馬守、二条御所の状況は?」
俺が三雲対馬守へ声を掛けると、後藤親子は陣幕を出て行く。後藤但馬守は隠居となったため、この軍議に参加する資格を失った。この山城遠征中は従軍を許されているが、これが終われば、俺が但馬守と次に会うのはどちらかの葬儀になる事だろう。
六角家の一時代の終わりが見える。これで六角家を支えて来た宿老六家の半数の家の家督相続が終わった。既に六角家の宿老は三人。平井加賀守定武、進藤山城守賢盛、目賀田摂津守忠朝の三人。その内の平井家もそろそろ家督を譲り、世代交代となる。目賀田摂津守と進藤山城守はまだ現役を続けるだろうが、進藤家には嫡子がいない。養子を取るにしてもそれが宿老となるにはかなり厳しい事になる。
俺は宿老の世襲は認めない。領土の世襲、官位の世襲は認めても、六角家中で役職の世襲は認めないと決めている。
「既にご正室と慶寿院様の救出は完了致しております。両名とも近衛家へ送り届けております」
「うむ」
「御所内では残った幕臣共が大騒ぎを起こしておる様子。中には進士美作守と息女の首をもって三好に許しを請うべきという者までいる模様にございます」
「ぶはっ…因果応報とはこの事よな」
余りの状況に思わず吹き出してしまった。
他人の命を軽んじ、暗殺の指示を繰り返してきた者が、今度は他者に狙われている。安全だと思って主君をも見捨てて逃げ込んだ場所も安息の地ではなく、身を震わせながらも行く当てがない。絶望の淵にいる事だろう。
「如何致しますか?」
「三好軍がこちらに向かっていないのであれば、二条御所が落ちるまで待つか…」
「…兵達の休息も必要でございますな」
俺と三雲対馬守の会話に目賀田摂津守が入って来た。後藤家が代替わりした事によって、今回の戦場での家臣最高位にいるのはこの摂津守忠朝となった。彼はそれを笠に着て横柄になるような男ではない。だが、その重責だけは解っているのだろう。
これまでは、蒲生、平井、後藤、進藤に次いでの地位におり、宿老と言ってもその発言力は他者よりも小さく、余り口を開く事も少なかった。
だが、この戦にも従軍している目賀田淡路守貞政は既に嫡男としてしっかりと政務に加わっており、まだ嫡男のいない進藤山城守賢盛ではその権力も異なってくるだろう。平井加賀守も隠居を願い出ている事を考えると、今後の宿老筆頭は目賀田摂津守忠朝となる事は決定事項だ。
「兵達には休息を与えるが、緩ませるな。大勝はしたが、相手は斥候部隊のような物だ。三好本隊と戦えば、総力戦となる。数は上だが、三好軍の質は高い筈だ。当主不在であろうと、機内に覇を唱えたほどの軍である事を忘れるな」
「ははっ」
ここから二条御所までの距離は一里もない。正直、何故三好軍が動かないのかが解らない。足止めの為の軍が壊滅した事は既に連絡が行っている筈だ。それにも拘らず動かないというのは動かないなりの理由がある筈だ。
「対馬守。大和に人を送っておるか?」
「はい。特に報告はございませぬが、人は入れております」
大和には松永弾正忠久秀がいる。十市と筒井の諍いに乗じて再度息を吹き返した松永家は多聞山城を取り戻し、筒井城から筒井順慶を追い出し、十市家を追い込んでいた。史実でも十市遠勝は松永家に追い込まれて、最終的には臣従している。松永方になっている大和国人である箸尾氏や秋山氏も十市を追い詰める要因になっていた。
もし、十市を松永が下せば、大和は実質松永の物となる。そうなれば、京を南から狙う事も可能となり、六角軍の方が挟み撃ちに合う事になるだろう。
「伊賀上野に人を送れ! 『大和の松永が動いた際は、伊賀衆にて山添を臨め』と」
「承知致しました」
「筒井の権少僧都の行方を探れ。見つかれば六角で庇護する」
「すぐに手配致します」
筒井順慶は大和奪取の大義名分となる。織田信長は筒井家よりも松永家を重要視したが、俺は松永弾正忠久秀という人物を信用する事は出来ない。会った事はないし、話した事もない。だが、彼の行動は特殊だ。
三好長慶の右筆として仕え、十年も経たぬ内に頭角を現して三好軍の一指揮官として大和の攻撃に加わっている。三好家は家格にとらわれない人事を行っていたのが良く分かるのは岩成友通の登用とこの松永久秀の重用だとも云われている。
更に仕官して十五年で三好家の家宰にまで昇格し、二十年で一城の主となった。織田家の出世頭として有名な後の豊臣秀吉も二十年で近江長浜城主となった事を考えればその昇進の速さも理解出来るだろう。
六角家でもここ最近は若くして城を預かる者も増えては来たが、それでも殆どが城代であり、城主となった者達の多くは代々六角家に仕えて来た家の出身者である。出自の解らない者を登用しその能力を評価して城を与えるという事がかなり難しい事なのだ。
「六角には仕官は来ないだろうな…」
六角家は代々守護職を持つ所謂名門の家である。家格を大事にする家臣も多く、三好家や織田家のように急速に大きくなった家ではない。故にこそ、松永久秀や木下秀吉のような成り上がり者に対しての妬み、嫉みは三好家や織田家の比ではないだろう。
だが、今のままでは六角家はこれ以上大きくなれない。外様の者達を大きく登用し、重用していかなければ、この百万石が限界だろう。歴史でも有名な者達とまでは言わないが、百姓だろうが、坊主だろうが、商人だろうが、有用な者達は取り上げていかなければならないのだ。
「松永弾正忠久秀。一度会ってみたいものよ」
松永弾正忠久秀という人物は文献によれば、三好長慶が生存している間は相当な権力を有してはいても一家臣も枠を出る事はなかったし、三好家の為という動きが多かった。引き合いに出すが、織田家の重臣へ出世した羽柴秀吉よりも勝手な行動は少なかっただろう。
だが、流石の三好家もかなりの出世頭であり、当主三好長慶のお気に入りの人物となれば、妬み、嫉みは避けられず、松永久秀の名は後世でかなり悪く伝わってしまう。
奈良大仏殿の焼き討ちという不名誉な烙印を押され、三好長慶の弟の十河一存の暗殺疑惑や嫡男である三好義興の暗殺疑惑なども被され、最後には将軍足利義輝の襲撃の実行犯にまでされてしまった。
「御屋形様、筑前守殿のご嫡子については…」
「まだその時ではなかろう。三好の後継者も定まらず、今あの子を表に出したとて、命を狙われるだけだ」
かねてより探らせていた三好筑前守義興の嫡子だが、三雲家率いる甲賀衆によって発見され、保護している。実際、筑前守が死んだ後、三好日向守長逸が入城する前に側女が嫡子と一緒に脱出したらしい。
三好義興の子は、正確には嫡子ではなく、庶子であったようで、正室の子ではなかったのだろう。子供と城を脱出した側女との間に出来た子であるため、入城する日向守長逸に諸共殺されるのではないかと考えたようだ。何人かの郎党と共に脱出した一行を甲賀衆が保護したという流れだ。
この側女はもしかすると武家の出ではないのかもしれない。もし武家の出でも、有力な家の者ではないだろう。よくよく考えれば、三好義興の子であれば殺される事などないのだ。ましてや有力な後ろ盾もない、側女との間の子供となれば、後見として実権を握りやすく、傀儡とし易い。粗略な扱いをされる事はなかっただろう。
だが、逃げ出し、六角の手にあると分かれば、邪魔以外の何物でもない。三好義興との間の子だという事実を認める事なく、あわよくば命を取ろうとするだろう。俺にとっては幸いだったが、彼女達にとっては悪手でしかない。
もしかすると、義興は正室との間に子がおらず、男の子を産んだ側女を側室に上げ、嫡子にしようとしていた為、この側女は正室からかなりの扱いをされていたのかもしれず、後ろ盾であった義興の死によって、自分も殺されるのではと考えたのかもしれない。
「御屋形様」
「山城守か、如何した?」
休憩を終え、陣立てをもう一度立てようとした頃、進藤山城守が三雲対馬守の部下と共に側に寄って来た。進藤家は今や本貫である粟田群の木浜城に重臣を城代に入れ、自身は坂本城を本拠として活動している。今回も坂本城から出陣していた。
「先ほど、対馬守殿の甲賀衆より某も報告を受けましてございます。叡山に動きありとの事」
「…糞坊主共が」
今、高島郡に関しては、空の状態に近い。船木城の平井壱岐守高明、坂本城の進藤山城守賢盛という六角の重臣が出陣しており、それまで高島郡に睨みを聞かせてくれていた田屋石見守は現在若狭へ転封されたばかり。
比叡山延暦寺の僧達は、以前の真野城付近での戦以降は大人しくしていた。『六角弼頼はいざとなれば仏を恐れぬ』という事を理解したのか、行動に移すことはなかった筈。栗見での襲撃後に襲撃に加わった僧兵崩れの首桶を延暦寺に送り付けたのも効いていたのだろう。
それにも拘わらず、動いたという事は後ろで糸を引く者がいるのか、それとも叡山内で内部分裂をし、強硬派を抑える事が出来なかったか。
「対馬守、今すぐ叡山を問い詰めよ! 如何なる理由あっての事かと! 場合によっては叡山ごと燃やし尽くす!」
「はっ、すぐに人を送ります」
坊主を殺し、寺を焼く事などしたくはなかった。だからこそ、前回は叡山をそこまで追い詰める事をしなかったのだ。にも拘らず、それを良い事にまだ武家との争いを望むのであれば、それは武家同士の戦いと同じだ。滅亡を視野に入れての行動なのだろう。何の覚悟もなくその行動をしたというのであれば、この時代の武家がどれほどに恐ろしい者達の集まりなのかを知らしめなければならない。
「山城守、壱岐守と共に高島群へ戻れ! ここは俺がいる故、自領を守れ! 対馬守、瀬田城の山岡、青地城の青地に援軍を出させよ!」
「承知」
織田信長の気持ちが解る。腸が煮えくり返るようだ。夏の夜の蚊よりも鬱陶しく、夏の外での食事に群がる蠅よりも煩わしい。
比叡山延暦寺。寺には本当に信仰を大事にしている僧達もいるかもしれない。だが、もうこうなってはその割合は二割もいないと思わざるを得ない。二八の法則という黄金比があるが、最早延暦寺内ではその黄金比さえも崩れているのだろう。
「これより、内裏へ急ぐ。主上の保護を優先し、お目通りを願う!」
六角弼頼の官位である『右衛門督』は従四位下。殿上人と呼ばれ、天皇のいる内裏に参内出来る者の官位は五位以上である為、俺は参内が可能な官位となる。
主上、公家衆の安全の確認及び、今回の比叡山延暦寺の暴挙の報告及び、討伐の許可を願い出る。現在の比叡山延暦寺の座主は主上である正親町天皇の弟である覚恕法親王であり、延暦寺を焼き討ちにするならば、流石にその身柄の安全は保障しなければならない。避難を要請するか、それとも六角で保護するかのどちらかだろう。
「…歴史が動くか」
堅田の一向門徒は根絶した。坂本にあった僧兵集団の住坊の殆どは破却し、坂本城下町を中心に商人や農民、そして淡海の漁師達の町へと変化している。既に延暦寺は本来の僧としての活動以外は出来なくなりつつあるのだ。
これを機に本当の寺と仏教に立ち戻るか、それとも天台宗の聖地を失うか。織田信長に焼き討ちにあって以降、本能寺の変によって信長が死去するまで十年以上再興も許されなかった史実がある。それほどまでに信長の中で延暦寺への怒りは強かったのだろう。
もし、今回の僧兵の蜂起によって、高島郡の民が苦しみ、坂本が蹂躙されたなどすれば、俺も同様の仕置きをするだろうし、再興など許す事はない筈だ。
「御屋形様、二条御所が落ちた模様にございます」
「そうか。もし二条御所より落ち延びた者がおれば、首に縄をつけて俺の前に引き摺って来い」
行軍する六角軍の北西の空に煙が立ち上っていた。二条御所が燃えたのか、打ち壊された事による砂煙なのか。どちらにせよ、二条御所を三好軍が落とした事に間違いはないだろう。中に籠っていた幕臣共がどうなったのかは解らないが、もし落ち延びようと逃げ出していれば、それは流石に捨て置けない。征夷大将軍を見捨てた責はしっかりと取って貰わなければなるまい。
「三好軍と事を構えるぞ! 皆の者、気を引き締めよ!」
「おおぉぉ」
山城国の京と呼ばれた中心に六角家の鬨の声が響く。進藤家、平井家の軍が抜けたとはいえ、総数で一万二千近い人数の鬨の声だ。大地を揺らし、内裏にまで届く雄叫びは、二条御所の攻城戦で疲労する三好軍へも届いただろう。
末端の兵士達は立て続けになるだろう戦に辟易し、将達はその兵士の統率に苦心する。戦う前から六角有利の状況は出来上がっているのだ。




