1582 デューク・サリバンの苦悩
デューク・サリバンの左アッパーで顎を打ちぬかれたフェリックスは、顎を割られ脳が揺さぶられて、意識が朦朧としていた。
・・・う・・・ぐ・・・こ、この・・・僕が・・・・・
早く立ち上がらなければ、そう思っても力が入らず体が動かない。
目に見える景色も揺れて焦点が定まらず、自分の体がどこにあるのか分からなくなるような感覚だった。
ここまで一方的にやられた事は初めてだった。
騎士の頂点であるゴールド騎士の称号を得て、自分がクインズベリー最強の一角になった自信もあった。
だがその自信もプライドも、今粉々に打ち砕かれた。
「ぐ・・・うぅ・・・・・」
「ほぅ・・・まだ意識があったか。さすがはゴールド騎士という事か、だがもう立てまい、今楽にしてやろう」
呻き声を漏らすと、デュークは少しだけ驚いたように目を開いた。意識を刈り取るには十分な一撃だった。顎を砕いた手応えもあった。それほどの一撃だったのに、まだ意識が残っているとは思わなかった。
だが、だからと言って、何が変わるわけではない。もうフェリックスに戦う力が残っていない事は明白だ。あとは止めを刺して終わり、それだけである。
一歩一歩砂を踏みながら近づいて行く。
見下ろしたゴールド騎士は、息も絶え絶えだった。吐き散らした血で顔は赤く染まり、虚ろな目は何を映しているのかも分からない。短く浅い呼吸はいつ止まってもおかしくない。
「・・・倒れている者に拳を打つのは、何度やっても慣れないものだな」
誰に言うでもない。ただ自分の心の中に、しこりのようにいつまでも残っている拘りのようなものが、それを口にさせていた。
ダウンした相手への攻撃はできない。
それがボクシングのルールだ。今でも躊躇いはある。だが、それでもやるしかない。
デューク・サリバンは右の拳を固く握ると、ゆっくりと頭上に振り上げた。
これを顔面に打ち下ろせば終わりである。
「う・・・ぐ、はぁ・・・はぁ・・・」
「・・・死ね」
スッと目を細め、デュークが拳に殺気を込めたその時だった。
「なッ!?」
突然背後から放たれた黒い炎が、デューク・サリバンに襲いかかった!
「フェリックス様は殺させない!」
闇の巫女ルナである。
後方でフェリックスの戦いを見守っていたルナだったが、フェリックスの窮地にいても立ってもいられず、飛び出したのだ。
ルナは黒魔法使いだが、他の黒魔法使いとは違い、四属性全ての魔法を使う事はできない。
使える魔法この黒炎だけである。しかしこの黒炎は、上級魔法と遜色の無い威力を秘めている。
「ぐ、ぬおぉぉぉぉぉーーーーーーッ!」
黒炎がデューク・サリバンの体を覆う!そして黒炎は、辺り一帯を焼き滅ぼさん勢いで燃え上がる!
周囲で戦闘を繰り広げていた両軍の兵達も、凄まじい熱波を放つ黒い炎の脅威に下がり始めた。
「フェリックス様!」
「う・・・ぐ、はぁ・・・はぁ・・・」
駆け寄ったルナが呼びかけても返事は無い。非常に危険な状態だった。
「ひ、ひどい・・・フェリックス様、すぐに私が!」
私が治します!
ルナがフェリックスの胸に手を当てると、黒い炎がフェリックスの体を包み込んだ。
ルナの黒炎には、敵を焼く攻撃の力とは別に、もう一つの能力がある。
それは・・・
黒炎よ、フェリックス様の傷を癒して!
「フェリックス様・・・」
なぜこの黒い炎に癒しの力があるのかは分からない。
この黒い炎を持って生まれた事で、辛い思いも悲しい思いもした。それは決して消える事はない。
しかし今、ルナは感謝していた。
この黒い炎を持って生まれたから、自分はフェリックスを助ける事ができると。
「私が助ける!」
ルナの魔力が高まり、黒い炎がより強く燃え上がったその時だった。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!」
ルナの背後で怒声が上がった。
「ッ!」
振り返ったルナの目に映ったのは、吹き飛ばされた黒炎、そしてその体から真っ暗な闇のオーラを立ち昇らせながら、こちらを睨みつける男の姿だった。
「・・・ふぅ・・・大したものだ。この黒い炎、並みの魔法使いでは太刀打ちできん威力だ。この俺に闇の力まで使わせるとは」
「そ、んな・・・」
多少の火傷は負っている。だがそれだけだ。ルナの黒炎はデューク・サリバンを焼き滅ぼす事はできなかった。その理由としてあげられるのが、第一にデュークが身に付けている深紅の鎧である。
火の精霊の加護を受けている深紅の鎧は、当然ながら火魔法に対する耐性が強い。不意をつかれ、黒い炎の直撃を受けたが、深紅の鎧がダメージを軽減させていた。
第二にデュークの持つ闇の力である。深紅の鎧が黒い炎のダメージを軽減させたと言っても、轟々と燃え盛る黒い炎から脱出できるわけではない。そこでデューク・サリバンは闇の力を使い、黒い炎を吹き飛ばしたのだ。
見方を変えれば、闇の力を使わざるをえなくなる程、追い込まれたとも言える。それだけルナの黒い炎は凄まじい威力だったのだ。しかしこれで、デューク・サリバンを本気にさせてしまった。
「確か、闇の巫女ルナだったな?城で何度か見た事があるぞ」
デューク・サリバンは圧倒的だった。
見下ろされているだけで汗が噴き出し、息が詰まる。デュークにとっては、魔法使いの女一人を潰す事など、赤子の手を捻るようなものだ。黒い炎が通用しない以上、ルナの命は目の前のこの男に掴まれているも同然である。
全身の震えが止まらない。今ここで自分は死ぬのだろう。そうルナは覚悟し目を瞑った。
だが・・・・・
「その男を、ずいぶん大事に想っているようだな?」
予想もしなかった言葉をかけられ、ルナは目を開いた。
「・・・・・フェリックス様は、私の恩人ですから」
「そうか・・・黒い炎には癒しの力もあると聞いている。必死なその姿をみると、それ以上の感情があるように見えるが、本当にそれだけか?」
ルナは困惑した。今この状況で、自分は何を聞かれているんだ?
まったく理解できない。
「い、いったい何を・・・」
言葉に詰まるルナだったが、デュークはルナの返答を待たず、話しを続けた。
「俺は護れなかった・・・あの時俺は、本当に大事な存在を護れなかった。無力だった、自惚れていた。ボクシングで世界を狙えるとまで言われた俺が、何もできずに・・・・・弥生・・・・・」
「あ、あなた、いったい何を言ってるの?」
帝国にいたルナは、目の前の男デューク・サリバンを知っている。
常に冷静沈着で怖い印象もあるけれど、皇帝の最側近で第七師団長という、高い評価を得ている人物だった。
だが、今自分の目に映るこの男はなんだ?言っている事が理解できない。
どこか不安定なのではないか?
「・・・お前は助けられるんだな、羨ましいよ。だが、その男が死ぬ結末は変わらない。先に逝って待ってろ、すぐにその男も送ってやる」
デューク・サリバンは右の拳を握ると、ルナの頭に狙いを付けて構えた。
大きな力は必要ない、かるく小突く程度で、ルナの頭は砕けるだろう。
ルナを見据えるデュークの目には、深い悲しみが浮かんで見える。
だがルナには、それがいったいどこから来るものなのか、何に向けられた感情なのか分からなかった。
ただ一つ、一瞬の後に自分は死ぬ。それだけは理解できた。
だが、デュークの拳がルナの頭を砕く事はなかった。
なぜなら・・・
「なッ、ぐがぁッ!」
ルナの後ろから放たれた虹色の波動が、デューク・サリバンを吹きとばしたからだ。
「えっ・・・」
振り返ったルナの黒い瞳には、上半身を起こして真っ直ぐに剣を向けるフェリックスが映った。
「ルナに、何すんだよ」
黄金の騎士が立ち上がった。




