追放された事実を正直に話したら、なぜか『大賢者様』として崇められた件
「あ、あの……っ! そろそろ、その……手を緩めていただけないでしょうか……っ!」
巨竜が完全に飛び去った後も、私は男の胸の中で真っ赤になって固まっていた。
60センチ四方の空間。
呼吸をするたびに、彼の胸板と私の体がピタリと触れ合う。
私の声に、男は「あ、わりぃ」と少しだけ腕の力を緩めてくれた……のだが、枠から出られない以上、ゼロ距離で抱き合っている状態は何も変わらなかった。
「ふぅ……助かった。俺はナギ。あんたは?」
「わ、私は……王都騎士団所属、ミュラと申します。この度は命を救っていただき、なんと御礼を申し上げればよいか……」
私は密着したまま、至近距離にある彼の顔を恐る恐る見上げた。
近くで見れば見るほど、どこにでもいそうな普通の青年に見える。
だが、私は知っている。
この御方が、中ボス級の巨竜のブレスを鼻先で無効化し、私の致命傷を一瞬で完治させたことを。
(間違いなく、伝説に聞く『大賢者様』だわ……!)私はゴクリと唾を飲み込み、震える声で尋ねた。
「あの……ナギ様。貴方様のような偉大な御方が、なぜこのような猛毒の死地に一人でいらっしゃるのですか?」
「え? いや、偉大も何も……俺は国から『お前は弱すぎて使えない』って追放されてさ。
転移の呪文で適当にポイって飛ばされた先が、たまたまここだっただけだよ」
ナギ様は、なんでもないことのようにポリポリと頬を掻いた。
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に電撃が走った。
(な、なんですって……!? これほどの神域を展開できる規格外の力を持ちながら、その国はナギ様の真の力を見抜けずに追放したというの!? なんという愚かな……!)
しかも、それほどの仕打ちを受けながら、ナギ様は国を恨む素振りすら見せず「たまたまだよ」と笑っていらっしゃる。
なんという器の大きさ。
まさに、真の強者だけが持つ余裕……!
「な、ナギ様……! 貴方様という御方は、どこまで深く、慈悲深いのでしょうか……っ!」
「えっ? いや、俺はただ運が良かっただけで……」
「ご謙遜なさらないでください! 私にはすべて分かっております……!」
私が感激のあまり瞳を潤ませていると、ナギ様は「なんだこれ……」と少し引きつったような笑みを浮かべた。
私は改めて、自分たちを包む淡い『光の枠』を見回した。
傷や毒が消えただけじゃない。
先ほどまで極限の戦いで泥のように重かったはずの体が今は羽のように軽く、あろうことか、砕け散ったはずの銀の甲冑やヒビ割れた愛剣まで、新品同様に修復されているのだ。
「あの、ナギ様。この光の結界の中にいると、傷や武具が元通りになるだけでなく、空腹や……その、疲労や眠気までもがスッと消えていくような感覚があるのですが……」
「あぁ、それ俺もさっき気づいた。なんかここにいると、腹も減らないし全然疲れなくなるみたいなんだよね。外に出たら即死だけど、中にいる限りは超快適だよ」
(やはり……! 生命維持に必要なすべてを魔力で完全に補い、物質すらも修復する究極の『絶対聖域』……! そんな神業を維持しながら『超快適だよ』の一言で済ませてしまうなんて……!)
私のナギ様に対する畏敬の念は、もはや天を衝くほどに高まっていた。
「ですが、ナギ様。このままでは、いくら空腹や疲労を感じないとはいえ、ずっとこの体勢のまま動くことができません」
「まあ、そうだな……。俺は一歩でも出たらこの毒ですぐ死ぬから、ここから動けないし」
ナギ様は困ったように苦笑いを浮かべた。
しかし、私にはその言葉の『本当の意味』が痛いほど理解できた。
(ナギ様は、この荒野の瘴気を浄化するために、ご自身の身をこの60センチの結界に縛り付けていらっしゃるのだわ……!)なんて尊い自己犠牲なのだろうか。
ならば、代々続く誇り高き『戦士の家系』に生まれたエリート騎士として、私がなすべきことは一つしかない。
「ナギ様。私に一つ、ご提案がございます」
「ん? なんだ?」
「私がこの枠の外へ出て、周囲の魔物を討伐し、安全を確保してまいります」
「そして傷つき、毒に侵された時は……またこの場所に帰還し、ナギ様の結界で回復させていただくのです」
そう。この無敵の空間を、私の『前線基地』――すなわち【回復拠点】とするのだ。
「えっ、お前、またあの毒の中に出て行く気か!? さっき死にかけてたばっかりだろ、無茶するなよ!」
「ご安心ください! これでも私は名門の血を引く騎士……何度だって立ち向かえます! それに……万が一の時は、またナギ様がそのお手で、私をここへ引きずり込んでくださいますよね?」
私が少しだけ頬を染めながら上目遣いで尋ねると、ナギ様は「あ、あぁ……まあ、手が届く範囲ならな。すぐ戻ってこいよ?」と、呆れたように、でも優しく頷いてくださった。
私が新たな決意に胸を熱くし、ナギ様の胸板の温もりをもう一度だけ噛み締めていた――まさに、その時だった。
◇
荒野を見下ろす、切り立った岩山の頂。
そこから、紫色の瘴気の向こうで淡く輝く『60センチの光の枠』を、冷酷な目で見つめる二つの影があった。
「おい、見たか今の……。あの女騎士、竜の攻撃を受けて死にかけていたのに、あの光に入った瞬間に傷が完治しやがったぞ」
「あぁ、間違いない。あれは古代遺物か、あるいは極上の『回復結界』だ」黒ずくめの外套を羽織った男たちが、下卑た笑みを浮かべて舌なめずりをする。
この荒野で魔物の素材や遭難者の装備を漁る、悪名高き『屍食らい』の盗賊団だった。
「中にいる男はどう見てもただの雑魚だ。女騎士が外に出た隙に、あの男を枠から蹴り出して殺せば……あの無敵の結界は俺たちのものになる」
「ククク、いいぞ。この死地で無敵の拠点を手に入れれば、俺たちは大金持ちだ……!」
巨大な悪意が、60センチの聖域へと静かに忍び寄っていた。そんなこととは露知らず、ナギとミュラはまだ、狭い空間の中で互いの体温にドギマギしているのだった。
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