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男爵家のタウンハウスは、王都の端にあった。地図を広げて見たわけではないから、これはそこに行くまでの馬車の中で、マリィが男爵から教えてもらった情報だ。
普段そこは使っていなかったらしく、マリィが男爵に連れられて行ったときも、使用人の一人すら居なかった。
「社交シーズンだけ、寄り親の公爵家にメイドを手配してもらうんだ。普段は使わないから少し埃っぽいけど、直ぐに掃除をしてもらうから少しだけ我慢して」
申し訳なさそうに目尻を下げる男爵は、その姿もセクシーに見えるなんて、どれだけ顔がいいのだと、マリィは自分の父親ながら、こりゃあ何人の女が泣いたんだろうと、フムフムと父親を観察する。
「手伝おうか?」
と言ってから、しまった!とマリィは思ったがもう遅い。男爵はマリィのその言葉に、額に手を当てて上を見上げている。
これはよく漫画で出ていた、“嘆かわしい”とか“呆れた”とかの表現だと気付いて、自分の言動のせいだとマリィは直ぐに自覚出来た。
「どうしたんだいマリィ。記憶がなくなると言葉も平民みたいになってしまうのか?お前は将来を期待された王宮侍女だったのに⋯」
マリィの両肩に手を置いて、その美しい顔でマリィの目を見つめながら話す男爵は、とにかくそんな姿も美しかった。嘆かれているのにマリィはその顔にポーッとなって頬を染めた。
父親と話しているという実感がまだ沸かなくて、男爵を父ではなく前世のテレビで見ていた、イケメン俳優の様にしかマリィには思えない。
ポーッとしたままのマリィを前に、講師を手配しなければとかブツブツ言ってる男爵の言葉は、マリィの耳には入らなかった。
それから取り敢えずということで、怪我をしているマリィを男爵は部屋に連れていき、ベッドに寝るように言うと、男爵自らベッドメイキングを始めた。その姿に唖然としていると、昔従者をしていた事があって、その時に覚えたのだと照れたように男爵は言った。
従者ってそんなことまでするんだったかな?とマリィは考えたけれど、手際の良い男爵はあっという間に整えて、マリィに着替えて寝るようにと言って、部屋を出て行った。
部屋に一人になったマリィは、漸く息をつけると、部屋にあった椅子の埃よけのシーツを外してそれに腰掛けた。
怪我をした頭にはガーゼが付けられているけれど、この世界では女性の髪を剃る行為は、よっぽどのことがないとしないらしく、テープが外れかかってガーゼが頭の上で浮いているように見える。
どうして座った途端そんな事を考えたかというと、座った真正面に姿見が置いてあったからだ。鏡には埃よけのシーツは掛けられていなかった。
ぼんやりと頭に浮かぶガーゼを見るマリィ。
その頭のしたには、自分とは思えないほど綺麗な顔がある。
手で頬を触ると鏡の人も同じ動作をしている。
間違いなく真理子はマリィなのだと実感して、異世界に転生したのだとその事も重ねて実感した。
「⋯ママ」
死んで生まれ変わったら異世界だったと理解したマリィは、前世の母を思い出す。真理子が2歳のときに離婚して、それから一人で真理子を育てた母⋯というと聞こえはいいが、現実はそんなに感動的ではない。
真理子の母は、とても勝手な親だった。それでも“毒親”なんて物騒な輩でもない。程よく自分勝手なそこそこ自由な女というのが、ピッタリな表現かもしれない。最後のお使いだって、スナックで働く母が、昼に営業メールを客に送って、同伴は叶わなかったけれど来店してくれると返信されていたからだった。真理子に忘れたと言って持って来させたピアスはその客のプレゼントだった。そんなの、お水歴十数年の母ならいくらでも誤魔化せたはずなのに⋯。そのせいであなたの娘は、あの時間あそこを通って跳ねられたのだから、少しは反省するがいい!と説教でもしたいけれど、それはもう叶わないのだと「フッ」と乾いた笑いが溢れた。
そんな母に育てられた真理子は、幼い頃から妄想癖があった。自分ではない誰かになる事で幸せを感じる。現実逃避だけが真理子の楽しみだった。
それが現実ではあり得ない事だと、ちゃんと理解していて、間違っても混同なんてしないし夢なんて見ない。あくまでも妄想は妄想で、楽しむ為の物だった。
夢見る夢子ちゃんではいられないのだ。
そんな真理子に、漫画や小説は妄想癖を刺激するお宝だった。特に現代ファンタジーよりも異世界の方が、ありえない世界なだけに刺激的で、好んでよく読んでいた。
さてと考える。
今の所は情報が少ない為、どの小説か漫画なのかは分かっていない。
自分の立ち位置が何なのかも分からない。
今一番肝心なのは、知らぬ間に断罪されちゃったりする事だ。対策は万全にしなければならない。
何か書くものが欲しい。
マリィはそう思って部屋を見渡す。
立ち上がりマリィの学習机と思われる物に近付いて、そちらのシーツも取り抽斗を開けてみた。
期待したものは⋯入っていなかった、というより何も入っていなかった。
がっくりと肩を落として、何かないかなともう一度部屋を見渡す。
そして気付いたのは、この部屋には16歳の娘らしい物が殆ど無い。生活感の無い部屋で、本当にこの部屋をマリィが使っていたのかが怪しくなってきた。
走馬灯を思い出す。
そして父が記憶をなくしたマリィを気遣って、嘘を吐いている事に気付いた。




