九 ラウレンツ・ベルクマン
裏口を入ると、小荷物置き場になっていた。
木の扉を隔てた先が、帳場。ラウレンツがいる可能性がある。
ノエラは、ノクティアに目で確認した。
ノクティアが小さくうなずく。
ノエラが音もなく前に出た。
小荷物置き場の木の扉を調べ、すぐに鍵を開けた。
スッと、木の扉を開ける。
帳場の室内から、脂が焦げる煙たい匂いが漂ってきた。
薄暗い部屋だった。
獣脂蝋燭の頼りない灯の中、男の背中が机の前で丸くなっていた。
白いものが混じった栗色の髪が、指の間で乱れている。
「エリナ……。
マルガ……俺は……どうすればいいんだ」
うん。髪の色、そして「エリナ」「マルガ」。
聞いていたラウレンツと間違いないだろう。
トウマがシェイドリィを見ると、軽く頷いた。
シェイドリィは音もなくスッとラウレンツの前に立った。
ラウレンツは、ふと何かが視界に入ったことに気がつき、顔を上げた。
シェイドリィの葡萄酒色の瞳が妖しく光っている。
ラウレンツはシェイドリィの瞳を見て、口を開けたまま、身体が硬直した。
シェイドリィの影妖族の種族特性・瞳術、《縛目》だ。
相手の動きを一時的に封じることができる。
トウマはゆっくりとラウレンツの前に進み出た。
「声を上げるな」
トウマは言ってから、敬語を使っていないことに気がついた。
ゲーム内では、王様を演じていたので、その癖が出た。
しかし、配下の前で相手にへりくだるわけにもいかない。
「……エリナたちは無事だ。
俺たちが保護している。
まずは、これを」
トウマは懐からエリナの手紙を取り出し、ラウレンツの机の上に置いた。
シェイドリィが目を閉じた。
目を見開いて口を開けたままだったラウレンツの硬直が解けた。
数回、瞬きをするとラウレンツが声を出した。
「あ、あんたたちは……」
トウマはエリナの手紙を読むように、手紙に手を向けた。
ラウレンツはトウマが今は何も話す気が無いことを悟ると、渡された手紙を読み始めた。
震えた手で、手紙を読み、最後まで来ると、トウマを見た。
トウマは、今度はエリナから預かってきた髪飾りを懐から取り出して、ラウレンツの前に置いた。
「……これは、マルガの形見。
エリナが、ずっと大事にしている……」
髪飾りは木製で、表に麦穂と小花の浅彫りがある。
端に小さな榛色のガラス玉が一つついている。
ラウレンツが髪飾りを手に取って、榛色のガラス玉を撫でる。
「……ぅ、……よ、よかった……よかった」
しばらく、震えた手で手紙を繰り返し読みながら、ラウレンツは嗚咽を漏らした。
ラウレンツの強い目がトウマを捉えた。
「本当に、本当に、エリナは無事なんですね?」
「ああ。助けた時は多少、衰弱していたが、大丈夫だ。
エリナをここに連れてこられたらよかったんだが、ここは危険だ。
我々の拠点で保護している」
「ありがとうございます。
本当に、ありがとう」
ラウレンツが深々と頭を下げた。
「しかし、どういう経緯でエリナを?」
トウマは言っていいものか一瞬ためらったが、ラウレンツには正直に話そうと思った。
こうして会って話してみても、今後も付き合っていきたいと思えたからだ。
「我々、神庭は突如、拠点ごと転移した。
原因は不明だ。
転移先はヴァルミリアから近い北西の小山の頂上だった」
「……拠点ごと、転移……?」
ラウレンツが、トウマの言葉に裏があるかどうかを見極めようとしているかのような、探るような目を向けてきた。
トウマは正面から、ジッとラウレンツの目を見つめ返した。
「……そうでしたか」
「近くの砦に盗賊団のアジトがあった。
そこに囚われていた」
「……ヴァルミリアの北の砦ですな。
我々商人も知っています。
国境のリーヴェ川と北への街道を見張り、金目の物を狙っているのです。
あんな所に、エリナが……。
でも、どうやって?」
「拠点に攻撃してきたから、
返り討ちにしたんだ」
「あの砦にはかなりの数の盗賊がいて、手をつけられないと言われているのですが……」
「捕虜から聞いたんだが、奴らは、『黒帆』というのか?」
「はい。ヴァルミリアに根を張る凶悪な盗賊団です。
やはり、五家と繋がりがあったのか……」
「ところで、確認したいことがある」
トウマはラウレンツを見た。
「お前は、なぜ五家に逆らってまで、小麦を輸入しようとしているんだ?」
ラウレンツは、すぐには答えなかった。
俯いた。
膝の上で、拳を握りしめた。
「……妻……マルガを亡くしました」
低い声だった。
「病でした。
薬はあった。
金も用意した。
ですが、どこの薬商も売ってくれなくなりました。
五家が手を回したのです」
ラウレンツは顔を上げた。
「五家の都合で、人が死ぬ。
それが許せないのです。
……マルガと、同じように」
血に濡れた母の姿が、トウマの脳裏をよぎった。
「……わかった」
トウマの声が低くなった。
「もう一つ、確認したい。
本当に『五家』は小麦をため込んでいるのか?」
「きっかけは、猫でした。
私は倉庫業を営んでおります。
倉庫には、穀物があるので鼠が出ます。
そのため猫を飼うのです。
近頃、飼っている猫が死んだので、新しく買おうとしたところ、猫の値が高騰していたのです。
どこの倉庫も小麦不足で猫の需要はあまり高くないはずなのに。
また、もう一つ不審なことがありました。
倉庫業者は小麦を保管している間、小麦反転職人を雇います。
虫やカビ、火事を防ぐために、小麦を薄く広げたり、ひっくり返したりする者たちです。
今は小麦不足です。職人は暇なはずです。
ところが、私が仕事を出せていない職人が、景気よく酒を飲んでいたのです。
聞いてみると、『五家』の仕事で忙しいというのです。
そして、仲間の輸送業のマテオの話です。
五家の倉庫へ運んでいた麻袋の穴から小麦がこぼれているのを、息子が見たというのです」
「……わかった」
「と、ところで、あなた方は、魔族領からの小麦輸入を手伝ってくださると手紙にありました。
エリナがそこまでお伝えしていなかったようで申し訳ないのですが、私たちは小麦輸入で利益を取るつもりはありません。
資金は共同買付金として集めただけなので、利益は配分しないのです。
ですので、ご期待に添えないと……」
「いや、その金は要らない」
「あなた方は、近いとはいえ、ヴァルミリアに住んでいるわけでもない。
なぜ、危険を冒してまで協力して頂けるのですか?
……理由を伺ってもいいですか?」
「理由はいくつかある。
まず、俺は、クズは嫌いなんだ。
黒帆も五家も、クズだからな。
我々は、ここに来たばかりだ。
この地で協力者が必要だ。
仲間は他に三人いるんだったな?
ヨハン、ヴィクトル、マテオ。
人のために動ける者たちだ。
ラウレンツ。俺は、お前たちと手を組みたい。
何を協力するかだが、まず、お前たちを我々で護衛する。
すでに、他の三人の所にも護衛を送ってある。
五家はおそらく妨害してくるだろう。
その妨害からも守る。
その代わり、落ち着いたらこちらの商売を手伝ってほしい。
あと、総督ガイゼルとの接触に力を貸してほしい」
「……なるほど。
商売。
それに、総督様ですか……」
ラウレンツはしばらく黙った。
灰青色の瞳に、商人の計算が戻ってくる。
「それは、五家と争う以上に危うい話になりかねません」
「わかっている。
総督ガイゼルとは協調したい。
話す場を作る手助けをしてほしい。
あと、ラウレンツ、お前には見せておこう」
トウマは被っていたフードを脱いだ。
額の左右から二本の角が生えている。
「角……。
上に伸びている……。
牛人族の角ではない……。
も、もしかして……」
「俺は、鬼人族の一種だ」
「き、鬼人族!
む、昔、王国を滅ぼした時の……。
いや、グラウフェルトの、人喰い……」
ラウレンツが反射的に後ずさった。
足が椅子に当たり、ガタリと音を立てる。
だが、ラウレンツはトウマから目を逸らさなかった。
「俺はそいつとは関係がない。
俺たちはただ、平和に暮らしたいだけだ。
そのために、総督ガイゼルと交渉したい」
「……あなた様は、エリナを救ってくださった。
私たちだけでは、どうにもならないところまで来ているのも事実。
それに……」
ラウレンツがトウマの角に視線を送り、苦笑いをする。
「もうあなた方の手を取らないわけにはいかなくなってしまった……」
ラウレンツは深く息を吸い、長く息を吐いた。
「わかりました。
ベルクマン倉庫商会は、あなた様に協力します」
トウマは手をさしのべた。
「トウマだ」
「ラウレンツ・ベルクマンです」
ラウレンツはトウマの手を強く握った。
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