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十 交易の構想

 トウマとラウレンツは夜通し、小麦輸入計画を練った。

 護衛統括役(ごえいとうかつやく)のノクティアには、ヨハン、ヴィクトル、マテオとの手紙を持って往復してもらった。ヨハンたちとどこかで会って話をするのは危険なので、手紙でやりとりした。


 小さな窓の外はようやく白み始めていた。

 外から、鳥の羽ばたく音と共に、朝の一つ目の鐘の音が聞こえてくる。


「トウマ様、粗末なものですが、どうぞお召し上がりください」


 ラウレンツがトウマとシェイドリィとノエラに朝食を勧めてくれた。

 トウマたちの前に、ラウレンツの下女が置いてくれたのは、大麦の粥、黒パン、豆の煮込みスープだ。スープには塩漬け肉の切れ端と、キャベツの外葉と玉ねぎが少し入っている。


「白パンがあればよかったのですが……。

 このような粗い黒パンでさえ、なかなか手に入りません」


 ラウレンツが悔しそうに、召し上がってくださいとトウマたちに勧めた。


「ありがとう。

 では、遠慮なく頂こう」


 トウマは、ラウレンツが黒パンをスープに浸して食べるのを真似て、それに倣った。

 シェイドリィが、ラウレンツに向かって口を開いた。


「ありがとう」


 シェイドリィが、トウマの「ありがとう」を真似て発音した。


 上手い!


 どうやら、シェイドリィは会話を聞いただけで、言葉の意味と発音を掴んだらしい。


 ……すごいな。


 シェイドリィは《言語習得》がある。

 斥候系なので、多くの言語を話す必要があるため習得したのだろう。


 ノエラが尊敬の眼差しをシェイドリィに向けている。


「シェイドリィとノエラは、ここの言葉が分からない。

 この二人だけじゃなく、俺の配下は皆わからないんだ」


「そうでしたか。

 では、トウマ様はなぜこちらの言葉を話すことができるのですか?」


「……そうだな。

 まあ、そういう能力があるってことかな」


「……そ、そうですか」


「誰か、ここの言葉を教えてくれる人はいないか?

 エリナに教えてもらうことはできないか?」


「エリナですか?」


「ああ。ちょうど、神庭で療養しているし、信用できる」


「……エリナの体調と、本人の気持ちを確かめてからでもよろしいでしょうか」


「もちろんだ。

 考えておいてほしい。

 給料は、はずむつもりだ。

 ああ、そうだ。これを……」


 トウマが懐から、漆黒の小さな木箱と筒を出した。


「おおぉ……。

 なんと美しい……。

 ……吸いこまれるようだ。

 黒い……宝石だ」


 ラウレンツは、木箱と筒を見て感動している。


「木材に、黒漆(くろうるし)という非常に希少な塗料を何度も塗り重ねて仕上げている。

 漆器(しっき)と言うんだ」


「少し、木箱を触ってもよろしいですか?」


「ああ」


 ラウレンツは木箱をおそるおそる手に取って、横に、斜めに眺め、底を覗く。


「素晴らしい……こんなに美しいものがあるのですね」


「中に焼き菓子が入ってるんだ。

 開けてみてくれ」


「で、では」


 ラウレンツがそっと蓋を開ける。


 バターの甘い香りが、木箱からふんわりと漂ってきた。

 中には、カミラが交易商品候補としてあげていた焼き菓子が入っている。


「いい匂いだ……。

 これは……焼き菓子……なのですか?」


 ラウレンツは驚いた顔で、焼き菓子を見つめている。


「ああ。

 食べてみてくれ。

 エリナにも食べてもらった。

 かなり喜んでいた」


 日本でよく食べたような、外がサクッとして、中がほろほろのバター風味のクッキーだ。

 食べてみたが、文句なくおいしかった。


 しかし、ラウレンツの反応は、食べる前から妙に大きい。


 ……大のクッキー好きなんだろうか。


「……見たことがない焼き菓子ですね。

 ……綺麗な黄金色だ。

 それに、バターのいい香り。

 では、頂きます」


 ラウレンツは木箱から、慎重に焼き菓子を摘まんで口元へ持っていき、少しかじった。


「こ、これはっ!」


 ゆっくりと噛みしめる。


「美味い……。

 なんだ、この食感は。

 外はサックリ……中はほろっと。

 バターの風味がいい。

 甘い。美味しい……。

 砂糖がふんだんに使われていますね。

 なんと贅沢な……」


 ラウレンツの目に涙が浮かんでいるような……。


 ノエラがうんうんとうなずいている。

 口を閉じてはいるが、「すごいでしょう、神庭の焼き菓子は」と内心、自慢しているように見えた。


「……気に入ってもらえたみたいだな。

 神庭金蜜(しんていきんみつ)サブレっていうんだ」


「あ、あの、も、もう一つ、頂いてもよろしいですか?」


「あ、ああ。もちろんだ」


 ラウレンツが二つ目を食べ終わると、トウマはもう一つの商品の反応を確かめることにした。


「そっちの筒も蓋を開けてみてくれ」


「はい。

 では……」


「おぉ。スッと開きますね」


「ふふ。

 じゃあ、そのまま、蓋を置いたままにしてみてくれ」


「おぉ、これはすごい!

 ひとりでにゆっくりと閉まっていく。

 ……素晴らしい技術ですね」


「ふふ。

 じゃあ、蓋を開けてくれ。

 二重蓋になってるから、それも開けて」


 ラウレンツが二つ目の蓋を外した。


 木筒から、爽やかな香りが漂う。


「いい香りだ……。

 薬草とは違う、爽やかで花のような甘さがありますね。

 乾燥させたものでしょうか?

 これは?」


「紅茶。

 神庭翠香紅茶しんていすいこうこうちゃという名前だ。茶の一種だ。

 本当は飲んでもらいたいんだが、()れる道具がいるんだ。

 今日はこの香りだけでも楽しんでもらいたい。

 この国の人は、紅茶は飲んでいるか?」


「紅茶……。

 私は、知りませんね。

 茶は聞いたことはあります。

 国王様など、高貴な方々がお飲みになっているとか……。

 それに、大商人なども」


「そうか。

 ……なるほど。

 あともう一つ」


 トウマがまた懐から、小さな布の切れ端を取り出した。


「こ、これは!

 ひょっとして、絹でしょうか?

 この光沢!」


「ああ。

 神庭絹(しんていぎぬ)という」


 トウマが神庭絹をラウレンツの前に置く。

 ラウレンツが触りたそうにしながら、両手を途中で止めて眺めている。


「どうぞ。触ってみてくれ」


「よ、よろしいのですか?

 ありがとうございます!」


 ラウレンツは手を服で慌てて拭いてから、慎重に神庭絹を手に取った。


「おおぉ……。

 なんて、滑らかなっ!

 いつまでも触っていたくなる……。


 私のような中堅の倉庫業者は、絹に触れたことはないのです。

 高級サロンで、絹をまとった高貴な方々を目にしたことがあるぐらいです」


 ノエラが、にやけそうになるのをこらえながら、また大きくうなずいた。

 「わかるわかる。ずっと触っていたいよね」とでも言いたそうだった。

 トウマはシェイドリィをチラリと見ると、ノエラに何か言いたそうではあるが、シェイドリィの口元もにやつきを堪えているように見えた。


 ……お前もか。


「普通の絹よりも、高品質なんだ。

 光沢、肌触り、どれも優れている」


「なっ!

 それほどの!」


 ラウレンツはそれまでも恐る恐る触っていたが、怖くなったのか、トウマに神庭絹を返してきた。


「紅茶と茶、焼き菓子。

 あと、神庭絹。

 まずは、この辺りを王国で売り出そうかと考えている」


「こんな美味しい焼き菓子は、王国にはありません。

 紅茶というものはわかりませんが、茶であれば貴族や大商人に需要があると思います。

 焼き菓子と合わせて、きっと高貴な方々も興味を示されるでしょう。


 ……その神庭絹は、おそらく金に糸目をつけない方が多くおられると思います。

 そして、危険でもあります。誰に売るかを誤れば、手に入れられなかった者の怒りを買います。

 絹は、身分を示す品ですので。


 ……どのように売ろうと考えておられるのですか?」


「どういうことだ?」


「高級品ですので、近隣の農家が野菜を市内に持ち込むようにはいきません。

 市内の店先で売るなら、ギルドに所属した親方でなければなりません。


 焼き菓子は菓子職人ギルド。

 紅茶と茶は、おそらく香料商(こうりょうしょう)ギルド……もしくは薬種商(やくしゅしょう)ギルドの扱いになるでしょう。


 まず、親方としてギルドに認可を受けなくてはなりません。

 ですが、今はどのギルドも親方株(おやかたかぶ)がほとんど空いていません。

 親方のもとで働く職人たちが、空きを待っている状態です。


 商品は、ギルドに安全・品質を検査してもらい、認可を得なければ売ることはできません。

 ギルドが、製造方法、原材料、価格、販売方法を規約で定めているからです。

 さらに、新商品として認可する代わりに、製法や材料をギルドに開示し、共有することを強要されるかもしれません。

 新商品を扱える親方と扱えない親方の間で、不平等が生じるからです。

 ……共有された技術を使って、親方たちが新商品を作り始める可能性があります」


「……ギルドか。面倒だな」


「はい。

 もちろん、ギルドはただ邪魔をしているわけでもありません。

 粗悪品の流入を防ぎ、商品の質を保つことにギルドは責任を負っています。

 そのために、抜き打ち検査を行ったり、技術試験を課したりもします。


 それに、ギルドは親方が怪我をしたり、亡くなった後に、その妻や子供の面倒をみたりもします。

 面倒ではありますが、都市の商売を支えている仕組みでもあるのです」


「しかし、製法の開示は厳しいな」


「ヴァルミリア市内に店を出すのは難しいかもしれません。

 市内で売るのなら、もう一つ方法があります。


 ……外国勢力、あるいは外国商会として、ヴァルミリアの諸国商館区(しょこくしょうかんく)に商館を持つことです。

 その諸国商館区の商館にも二種類あります。

 一つは、国の窓口を兼ねる公館商館(こうかんしょうかん)

 小さな独立国のような所で、本国の法と裁判権などが認められ、外交上の窓口にもなります」


「……王国が神庭を国と認める必要があるということか。

 難しいな」


「はい。

 もう一つは、外国商会の営業拠点としての外国商会商館がいこくしょうかいしょうかんです。

 こちらは王国法に従わなければなりません」


「神庭は王国領内にある。

 王国が、神庭の商館を外国商会商館として扱うとしても、王国領内に外国勢力の存在を認めることに繋がる。

 ……一つ目とあまり変わらないな。

 王国の主権に触れる。


 ……逆に、俺の拠点に商人を呼ぶのはどうだ?」


「……なるほど。

 ヴァルミリアの商人が神庭へ出向き、買い付けるということですね。

 それならギルドの問題は関係なくなります。

 ……王国の主権に触れる問題もなんとか回避できますね。


 神庭で買い付けた商人は、ヴァルミリアに持ち帰った品を城門の税関所で申告し、税を納める。

 そうすることで、市外で仕入れた高級品として扱われますね」


 トウマは、ヴァルミリア商人たちが神庭の小山を上り、門をくぐってやって来る様を想像した。

 焼き菓子、紅茶、神庭絹を前に、多くの商談が交わされる。


 うん、悪くない。


「だが、そのためには、商人たちに商品を知ってもらう必要がある。

 ……『欲しがる者』を作りたい」


「知ってもらえさえすれば、いくらでもいるでしょう。

 ふふ、ただ、ヴァルミリアは騒がしくなるでしょうな。

 どこのどいつだ、商売の邪魔をしやがってってね」


「伝統を守るのはいい。

 だが、守るだけでは、他の国に負けることだってある。


 で、商品を知ってもらういい所はないか?」


「……大商人が集まる高級サロンなどへ持ち込むのも手かもしれません」


「うん、なるほど。

 紹介してもらえないか?」


「私は、連れて行ってもらう程度なので……。

 ……知り合いの仲買人に頼めば、なんとかなるかもしれません。

 総督様のお耳に入るところまでは、道をつけられるかと」


「頼む。紹介してくれないか?」


「わかりました」


「話が長くなってしまってすまなかった。

 しかし、心配なのは、魔族領の商人――」


「ダルガ・ロウゼン殿です。

 先ほど申し上げたゼルバ侯国ロウゼン商会の商人です。


 ダルガ殿が、私たちと同じように五家から圧力を受けていなければよいのですが……」


 ラウレンツの眉間にしわが寄り、表情が曇った。


「五家からエリナを連れ去られた日に、ダルガ殿に十日間だけ、小麦の出庫を待ってほしいと頼んだのです。

 詳しい事情は話せないが、どうか待ってほしい、と。


 あの日から、今日で五日目です。

 期日までにはまだ間があります。

 ですが、五家からなんらかの脅しを受けていないとも限りません……」


「そうだな。

 その時は、他の商人を当たるしかない。


 そろそろ行くか、魔族商館(まぞくしょうかん)へ」



お読みいただき、ありがとうございます。


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