五 飢えた街の影
トウマは砦へ向かった。
ロルフの部下に盗賊の指揮官を縛らせ、後ろから連行させた。
砦はかなり古いようだ。石造りで基礎は堅牢に見えるが、所々崩れている。
砦の入り口まで来ても敵の抵抗はなかった。
だが、油断はできない。まだ中に閉じこもっている可能性がある。
「トウマ様、中を調べて参ります」
ロルフがトウマの前に進み出て進言した。
「頼む」
ロルフが近衛兵を率いて、入り口の扉を開けようとすると、独りでに扉が開いた。
ロルフ以下が身構える。
砦の内側の暗がりから、一つの影が音もなく現れた。
シェイドリィだった。
「お見事でしたわ、トウマ様。
ちゃんと心臓も動いているようで、何よりでございます」
シェイドリィが自然な仕草でトウマの胸にそっと手を当てた。
「ん……ああ。心配をかけたようだな。
中は?」
「抵抗といえるほどのものは、さしてありませんでしたわ。
すでに捕らえております。
なお、一人、砦から逃げ出した者もおりましたが、そちらも捕縛済みです。
――連絡役かもしれません。
それと……奥の部屋に、囚われた者たちがいます」
「人攫い、人質、そんなところか。
案内してくれ」
砦の中は、ひどい有様だった。
古い石壁はカビと煤がこびりついていた。
床には食い散らかした食べ物が散らばり、酒瓶、木皿、大きな木杯も転がっていた。
部屋の一角には、比較的状態の良い木箱が積まれている。
その横には、焼き印の消された樽。
中身のない巾着袋。
トウマはそれらを一瞥し、シェイドリィの案内で、奥へ進んだ。
やがて、頑丈な木の扉の前でシェイドリィが足を止めた。
「こちらです」
扉には小さな格子があって、中が少し見えた。
人影が数人いるように見えた。
扉には外側から閂がかけられていた。
ロルフが閂を外し、慎重に扉を開く。
狭い部屋だった。
窓は小さく、空気が淀んでいる。
床には汚れた藁がバラバラと散乱していた。
部屋の奥では、若い女性二人と中年の女性が、壁際で身を寄せ合って震えている。
一人は栗色の髪をハーフアップにして木製の髪飾りでまとめている、線の細い女性だ。
赤みを帯びた飴色の髪飾りには榛色のガラス玉があった。
もう一人は淡い金茶の髪を一本の三つ編みにした、小柄な女性だった。
中年の女性は焦げ茶色の髪を後ろでまとめ、汚れた袖で口元を押さえている。
その隣には、麦藁色の髪をした青年が、膝を抱えて座り込んでいた。
皆、薄汚れ、憔悴していた。
トウマが入っていくと、皆が一斉に視線を逸らし、身体をよじった。
トウマは、クズに脅された時の母を思い出した。
「もう大丈夫だ」
笑顔を作って、できるだけ優しく言う。
おそらく全言語理解の能力で、言葉は通じるはずだ。
無言で本当なのかと、皆が、恐る恐るトウマの顔に視線を向けた。
視線がトウマの角に移った。
「ひっ、お、鬼っ!」と怯え、後ずさった。
栗色の髪の女性が頭を抱えるようにして髪飾りに手をやった。
「大丈夫だ。
悪い奴は倒した」
皆が目を見開いた。
……一応、言葉は通じているようだ。
しかし、すぐには信じられないのだろう。
疑うような視線をトウマに向ける。
トウマは後ろを振り返り、縛り上げた盗賊の指揮官を連れてこさせた。
憔悴して青ざめた盗賊の指揮官は、ロルフの部下に膝をつかされ、頭を床へ押さえつけられた。
「な?
こいつはもう何もできない。
もう安心していいんだ」
「……本当?」
栗色の髪の若い女性が恐る恐る小さな声で言った。
「ああ」
トウマは大きくうなずいた。
「君たちは、もう自由だ」
その瞬間、人質たちは張りつめていたものが切れたように、「うっ」と声を漏らして泣き出した。
「俺の角を見て怯えたようだが……理由を聞いてもいいか?」
「……む、昔、王国を滅ぼした魔族の軍勢に、二本の角を持つ鬼がいたと聞きます。
大きな身体で城を砕き、人を引き裂き、喰らったと……」
この世界には、俺と同じ羅刹鬼人族・神血種、もしくはヴァルガリオと同じ戦鬼が存在するのか?
だとすると、かなりの強者のはずだ。
……しかし、「喰らった」は、さすがに盛りすぎじゃないか。
「ごほん。安心してくれ。
俺は君たちに何もしない」
「あ、あの、父は……父は無事ですか?」
栗色の髪の女性はまだ身体を硬くしていた。
それでも必死に言葉を絞り出した。
「君は?」
「エリナ・ベルクマンといいます。
倉庫商人ラウレンツ・ベルクマンの娘です。
父は脅されているんです。
私はそのために攫われました。
ここにいる人はみんな、そうなんです」
「……事情を聞かせてくれないか?」
「みんなパンが食べられなくて……」
「すまない。
俺はこの辺りの人間ではないんだ。
詳しく教えてくれないか?」
「はい。
この数年、この辺りでは小麦が不作なんです。
冷害と魔物被害のせいだって言われてます。
小麦が高騰してパンの値段が六倍になりました。
市の命令で、どんどん小さくなるし、買える数まで決められて……。
今では、小麦より雑穀や皮くずの方が多いようなパンです。
そんなものでも買えない人が大勢います」
エリナは唇を震わせた。
「たくさんの人が死んでしまっているんです。
私も何度も見ました。
通りで力尽きて、そのまま動かなくなった人を。
でも、父は……『五家』が小麦を倉庫に大量に隠しているに違いないって」
膝を抱えていた青年が悔しそうに拳を握った。
「俺は見たっ!
運んでいた麻袋からこぼれてたのは、小麦だった!」
「父ラウレンツは仲間と相談して、自分たちで小麦を買うことにしたんです。
王国内の穀物は五家に押さえられています。
そこで、父たちは魔族領からの小麦輸入を考えました。
……でも、その計画を知られてしまいました」
エリナの声が、かすれた。
「私たちは攫われました。
小麦の値段を下げさせないために」
部屋の空気が重く沈んだ。
トウマは、しばらく何も言えなかった。
飢えて死ぬ人間がいる。
それでも金儲けのために、小麦を隠す。
弱い者から奪い、逆らう者を折る。
それは、燈真がよく知っている種類の人間だった。
「……『五家』とは?」
「都市ヴァルミリアを牛耳っている五つの家です。
役人も、商人も、みんな五家の顔色をうかがっています。
誰も逆らえません」
「……クズだな」
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