三 先手を打つ
燈真はセレスティアと共に景色を眺めていた。
そのとき、背後にかすかな気配を感じた。
この感じ。
足音を聞いたわけではない。
空間に違和感がある。
見ていないのに、存在を感じる。
羅刹鬼人族・神血種という種族は、こんな風に気配を感じるのか。
ゲーム《エーテルガルド ~神の庭~》では、環境音に混じるごく小さな違和感として表現されていた。
だが今は、自然と身体で空間を感じる。
この気配を燈真は知っていた。
この悪戯好きは――。
「シェイドリィ」
燈真は小さく笑って振り向いた。
「トウマ様!」
身体に沿った黒い軽装姿の女性が、片手を胸元に添えて、上品に礼をしていた。
月白色の肌と、胸元に添えられた人族より長い指が、影妖族であることを物語っていた。
影務局長シェイドリィ・ヴァン・ノクターン。
斥候、潜入、暗殺、情報収集を担う影の専門家である。
外見は二〇代半ばで、黒銀の髪のどこか艶っぽい女性だ。
「……ご無事で何よりでございます」
シェイドリィが優雅に頭を下げた。
「心配をかけたな」
シェイドリィが顔を持ち上げると、葡萄色の潤んだ瞳が、光に照らされてかすかに揺れた。
「本当は私が宰相殿の代わりに膝枕をして差し上げたかったのですが、宰相殿が駄々をこねられましたので仕方なく……」
「シェ、シェイドリィ、何を言っているのかしら。
貴女にはするべき仕事があったでしょう?」
セレスティアの頬が、かすかに赤らいだ。
「ところでトウマ様、まだお身体が万全ではないかもしれません。
影妖族に伝わる秘術を試してみませんか?」
「秘術?」
「添い寝、と申しまして……」
「……シェイドリィ」
セレスティアの声が、低くなった。
「トウマ様にご報告があるのではなくて?」
「はい」
その一言で、空気が変わった。
「神庭の北東、小さな谷を挟んだ小山の頂上に古い砦がございます。
現在、盗賊どもがそこを根城にしております。
その砦近くまで近づいて調査したところ、百前後の盗賊を確認しました。
砦内にもう少しいるかもしれません。
見張り台から、神庭を観察していることを確認しました」
「距離は?」
「直線で八百メルほど。道なりに進めば二千メル弱でございます」
一メルは、一メートル相当だったはずだ。
二千メートル。
「……近いな」
「はい。近くに潜ませた者の報告では、こちらを見て、ひどく品のない笑みを浮かべていたとのこと。
言語が分からないため、会話の内容が分かりません。
おそらく、服装から判断して、女がいる、襲えると思ったのでしょう。
神庭は非戦闘員が半数以上で、しかも城壁がありません。
服装や建物から、富や物資が豊富にあるとも見えたはずです。
夜襲で多くの金品や女を奪えると考えた可能性が高いかと。
すでに盗賊どもは、武具・縄・荷車・麻袋・松明・油壺などを、神庭方面へ続く道の入り口へ運んでいます」
「ふふ、愚かなことを。
夜襲をかければ、神庭を略奪できるとでも思っているのね」
「断定はできませんが、ただの偵察とは考えにくいかと」
「武具はどんなものだった?」
「武器は短弓、槍、斧、片手剣など。
防具は革の胸当てや兜、木盾程度。
いずれも粗悪品です。
おそらく盗品か安物の寄せ集めでしょう。
正規兵の装備ではございません」
「強者はいたか?」
「少なくとも、目を引く強者は確認できておりません。
指揮官らしき者は確認しております。
痩せぎすで、片耳の欠けた男です。
部下に命じて、武具や荷車などを運ばせておりました」
貧弱な武装の盗賊。
数は百。
強者なし。
……戦力としては問題ないはずだ。
「……」
セレスティアとシェイドリィがじっと燈真を見つめる。
どうする?
もし盗賊ではなく、傭兵集団だったら?
もし攻撃準備ではなく、別の場所へ運んでいるだけだったら?
間違って人を殺すことになる。
敵が攻撃してくるのを待てば、相手に悪意があるのかどうか、確実にわかる。
だが、その時はもう遅いかもしれない。
建物が焼かれるかもしれない。
畑や果樹園が荒らされるかもしれない。
非戦闘員にまで死傷者が出るかもしれない。
それだけは絶対に駄目だ。
様子見はできない。
俺が母さんを守れなかったのも、決断を先延ばしにしたせいだ。
なんとか穏便に済まそうとして、クズに何もしなかったからだ。
同じことはしない。
俺は、仲間たちを守る。
もう、燈真はやめる。
俺は、トウマだ。
「先手を打つ。
盗賊を叩くぞ!」
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