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17/21

十七 鬼と総督

 ガイゼルは、主席副官クラウスを伴って、東の川門近くの高級社交館・銀水館へやってきた。

 白石と濃い木材で作られた三階建て。

 中庭があり、館の中は表通りの喧騒(けんそう)から少し離れている。

 夜になると、水盤が魔晶灯によって照らされ、銀色に揺れた。

 ガイゼルはこの銀水館へ息抜きのために足繁く通っていた。

 なにより、女主人のエレオノーラ・ベルヴェールに会うのが楽しかった。


 ガイゼルとクラウスが長椅子に座っていると、エレオノーラが銀盆を持って入ってきた。

 エレオノーラは銀灰色のドレスを着ていた。

 濃い栗色の髪をうなじの辺りで、銀細工の髪留めでゆるくまとめている。

 ガイゼルを見ると、青緑の瞳を細め、静かに笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ。ガイゼル様、クラウス様。

 今日はお早いのですね」


 エレオノーラはそう言いながら、二人の前に、取っ手のついた白磁の茶杯(ちゃはい)を置いた。


「なんだ、これは?」


「神庭式の茶杯だそうです」


 普段の錫釉陶器(すずゆうとうき)も白い。

 だが、この茶杯の白は全然違う。

 本当の白。

 それに、薄い。

 置かれた時の音も違った。

 気品が漂ってやがる。

 これは、売れる……。


「神庭か……」


 エレオノーラが、白磁の丸い注ぎ器から、透き通った赤褐色の茶を注ぐ。

 それから、茶杯に小さな(さじ)で砂糖を落とす。


「神庭式では、少し甘みを加えるそうです」


 匙が茶杯の中で静かに回る。

 甘く爽やかな香りが、ガイゼルの鼻腔をくすぐった。


「普通の茶じゃねえな……」


「神庭翠香紅茶だそうです」


 ガイゼルは、茶杯の取っ手を持って、赤褐色の茶を口に含んだ。

 すっきりとしていて、甘みと爽やかさがある。

 喉を通ったあと、肩の力が抜けた。


「……うめえ」


「先手を取られましたな」


 クラウスも神庭翠香紅茶を一口飲みながら苦笑した。


「トウマ様が、ぜひ、ガイゼル様にお目にかかりたいと仰っておられます」


 エレオノーラが、小さな布の切れ端を取り出した。

 ガイゼルはその小さな布を手に取った。


 絹だ。

 光沢、手触り。

 普通じゃない。


「いかがいたしましょう」


「……癪だが仕方ねえ、いいぜ」


「ふふ。

 では、お連れいたします」


 エレオノーラが退出した。


「やつらの正体を掴んで、こっちが有利な状態で会うつもりだったんだがな」


「札を連続で切ってきましたね。

 閣下の好みも調査済みのようです」


「次は、俺の番だ」




 トウマは初めての小麦輸入を終えると、ラウレンツの商館兼自宅で息をついていた。

 そこへ、高級社交館・銀水館の女主人エレオノーラから使いがきた。

 総督ガイゼルが、トウマと会うという。


 トウマはシェイドリィを伴って銀水館へ出向いた。


 手は三日前に打ってあった。

 魔族の商人ダルガと初めて会った日のうちに、トウマはラウレンツを通じて仲買人に頼み、エレオノーラへ渡りをつけてもらっていた。

 神庭翠香紅茶、神庭金蜜サブレ、そして神庭絹。

 この三つが効いた。

 エレオノーラはすぐに了承してくれた。


 こんなに早く会えるとは思っていなかった。


 この三日間、ほとんど眠らずに情報を集めた甲斐があった。

 ガイゼルが公の使者を送ってくる前に、少しでも相手を知る必要があった。

 何も知らぬまま交渉の席につくわけにはいかない。

 集めた材料は神庭へ送り、宰相セレスティアたちに分析してもらっていた。

 ガイゼルとの交渉で役に立つはずだ。


 この会談が決裂した場合、ヴァルミリア、ひいてはレスタリア王国と戦争になる。

 諜報網と防衛網を張り巡らせるまでは、戦争は避けたい。

 かといって、弱腰でへりくだれば、相手は増長し、無理難題をふっかけてきて、結局戦争になる。

 組織のトップである自分が、いきなり相手と会うのはリスクが大きい。

 だが、話せるのは自分だけだ。

 これから綱渡りが始まる。


 トウマとシェイドリィは銀水館に到着すると、一室を借りて服を着替えた。

 それからエレオノーラに案内され、ガイゼルの待つ部屋へ向かった。


 ガイゼルの部屋は二階の奥だった。

 階段を上り、廊下を歩くと護衛が二人立っていた。

 護衛がトウマとシェイドリィを見る。

 エレオノーラは、わずかにうなずいた。


 護衛が道を開けた。


 エレオノーラが小さく扉を叩く。


「入れ」


 エレオノーラが、磨かれた黄銅の取っ手に手をかけた。

 厚い木の扉が、音もなく開いた。


「ガイゼル様。

 神庭の主、トウマ様をご案内いたしました」


 エレオノーラは一礼し、半歩横へ退いた。


 トウマは部屋へ入った。


 白い漆喰(しっくい)の壁。濃い木材の腰板。

 壁には厚い織物が掛けられ、部屋の音を吸っている。

 低い卓を挟んで、革張りの長椅子がコの字に置かれていた。

 正面の長椅子に、大柄な男がふんぞり返っていた。

 背もたれに片腕を投げ、顎をわずかに上げている。

 トウマを歓迎する気はないようだった。

 自分が上なのだと、トウマに態度で示していた。

 

 灰色混じりの濃い茶髪。

 日に焼けた顔。

 無精髭。

 くすんだ青灰色の瞳が、面白そうにトウマを見つめている。


 ヴァルミリア総督、ガイゼル・フォン・ラドヴィアだ。


 ガイゼルの隣には、主席副官クラウス・フォン・ベルンハルトが控えていた。

 こちらは無表情に、トウマを見据えている。


 トウマはしばらく何も言わずに、黙ってガイゼルを見た。


 卑屈に見られてはいけない。

 軽く見られてもいけない。

 だが、傲慢に見られて怒らせてもまずい。


 こちらには二百五十人の配下がいる。

 その命を背負って、ここに立っている。


 ここから、ガイゼルに態度を改めさせて「ようこそ」と歓迎させるのが好ましい。

 まず、トウマはガイゼルの攻撃に、沈黙で答えた。


「神庭の礼儀では、顔を隠して挨拶をするのか?」


 さらにガイゼルは、無礼だと咎めてきた。

 無礼だったと詫びると、頭巾(ずきん)を取らなければならない。

 角を見せるのは、切り札に取っておきたい。


 聞かなかったことにし、丁寧に挨拶をするか。

 だが、それはガイゼルの無礼な物言いを認めることに繋がる。

 そのままこちらの格を落として、ガイゼルに有利に事を進められるのはまずい。

 セレスティアの分析では、ガイゼルは気さくな性格で、それほど礼儀を重んじる男ではない。


 ならば――。


「お初にお目にかかる。

 神庭のトウマだ」


 トウマは、ガイゼルの無礼に、無礼で返した。


 室内の空気が凍り付いた。


 ガイゼルが、鋭い眼差しをトウマに向けた。

 クラウスの眉は、わずかに動いた。

 エレオノーラは笑みを消してはいない。


 トウマは、ガイゼルの圧を真正面から受け止めた。


「はっ。

 いい度胸だ。

 俺を敵に回してもいいのか?」


 怒ったか?

 トウマはガイゼルを観察する。

 トウマを睨んではいるが、演技のようにも見える。

 挑発を繰り返して試しているのか?


「……勘違いしているようだな」


「……何をだ?

 お前は、せいぜい二百五十を率いる主だ。

 いくら、石人形や絹を持っていようが、ヴァルミリア総督と対等に話し合えるわけねえだろうが。

 礼儀をわきまえろ」


 ……これは。

 会談が物別れになってもいいという態度だ。

 軍事的な脅威を示せていないからだ。

 謝罪させて、強い要求を呑ませやすくするつもりか。

 ガイゼルの要求が高そうだ。

 仕方がない。

 諸刃(もろは)の剣なのだが――。


「ふふ」


 トウマは頭巾の結び目をゆっくりと外した。


「詫びるのが先だ。

 いまさら、脱いだって遅えぜ……」


 トウマの額の黒曜石のような角の根元が見えた。


 ガイゼルは言葉が詰まった。


 トウマの角が徐々に姿を現してくる。


 トウマはガイゼルとクラウスを観察する。


 トウマの角を恐れている。

 演技ではない。


 ガイゼルとクラウスは三十二年前のグラウフェルトを知っている。

 鬼人を、昔話ではなく、戦場で体験している。


 部屋の外の風の音が聞こえる。


 時が止まったようだった。


 ただ、トウマの手だけが動く。


 頭巾が完全に外された。


 トウマとシェイドリィ以外の者は、身体を硬直させていた。

 息をすれば命がなくなるとでもいうかのように、呼吸も細く、途切れている。


 クラウスは身体を震わせている。

 腰の帯剣の金具が、かちゃ、かちゃ、と硬い音を立てた。


 ――いや、ガイゼルが、息を吸い込んだ。

 トウマを睨みつける。


 ……さすがだ。

 過去に鬼人と遭遇し、捕虜となり、総督として返り咲いた男だけのことはある。


 ここで、相手に押し戻されては、会談は完全に決裂する。

 さらに状況が悪化するかもしれないが、舐められるよりはましか……。


 トウマは、鬼人族の種族特性スキル《鬼威(きい)》を発動させた。


 周囲、または選択した対象を(すく)ませ、恐怖させる威圧系スキルだ。

 ゲームでは、格下の敵の足を止めるために使っていた。


 対象は、ガイゼルとクラウス。


 鬼の圧が、ガイゼルの心胆(しんたん)を圧迫した。


「くっ……」


 ガイゼルの身体が、鋭く震えた。


 《鬼威》の強度は、まだ低い。


 トウマは、ガイゼルを観察する。

 やりすぎれば、危機感が勝つ。

 手を取り合うどころではなくなる。


 ガイゼルの力のこもった目が、徐々に恐怖で歪んでいく。


 ここで押し返されれば、会談は終わる。

 残るのは、戦だ。


 まだ、折れないか。


 トウマは、《鬼威》の力を徐々に強めていく。


 ……あと少し。 


 ガイゼルの指が痙攣(けいれん)するかのように小刻みに震えている。

 だが、ガイゼルの心は折れてはいないようだ。

 青灰色の瞳が油断なく、トウマの全身を捉えていた。

 ガイゼルは開いた口を動かそうとするが、トウマの視線を感じると動きが止まった。

 声を立てれば、その瞬間に終わる。

 そう考えたように見えた。


 ガイゼルの視線がゆっくりと、腰の護身剣に向けられる。


「やめておけ」


 トウマの一言で、ガイゼルは身体をビクリとさせた。


 瞳に恐怖が、はっきりと映っていた。


 ガイゼルは、ゆっくり、ゆっくりとトウマへ視線を戻した。


 ……これぐらいか。


 トウマは、《鬼威》を解除した。

 静かに長椅子に座る。

 シェイドリィがトウマのそばに控えた。


「遅かったか?

 頭巾を外すのが」


「…………」


「エレオノーラ、俺にも紅茶を」


「……かしこまりました」


 エレオノーラがぎこちないながらも部屋の隅の小卓へ歩いた。

 トウマの前に白磁の茶杯を置き、紅茶を注ぐ。

 部屋に爽やかな甘い匂いが漂う。

 エレオノーラは砂糖を入れて、ぎこちなく匙で混ぜた。


「ありがとう」


 トウマは紅茶を飲んだ。


「くつろいだらどうだ?」


 トウマがガイゼルとクラウスに紅茶を勧める。


 無言の時間が過ぎていく。


「……何が目的だ」


 ガイゼルが、ようやく言葉を紡いだ。


「そう、怖がるな。

 友好だ」


「友好だと……」


「そうだ。

 俺は、レスタリア王国と友好的な関係を望んでいる」


「……」


「でなければ、小麦を運んだりするものか。

 違うか?」


「だ、だが……」


「グラウフェルト」


 ガイゼルの目が見開かれる。


「……俺はその時の鬼ではない。

 だが、俺のさしのべた手を払うのであれば……。

 同じことがヴァルミリアでも起こる」


「ヴァルミリアは、グラウフェルトとは違う。

 無様には……」


「試してみるか?」


「王国には、五十万の兵が……」


「試してみるか?」


「……」


 トウマが紅茶を啜る。


「……いいだろう」


「よし。

 ガイゼル、お前は何が望みだ?」


「公に、お前たちを対等な国と認めるわけにはいかない。

 できれば、国王陛下に臣従(しんじゅう)……」


「無理だ」


「……だろうな。

 だが、宰相の野郎どもが黙ってねえ」


「ならば、そうだな……。

 立場は、あやふやにしておこう。

 お互い、都合がいいだろう」


「……なんとか、国王陛下を説得してみよう。

 いつまで持つか……。

 ただし、そのためには……」


「わかっている。

 神庭翠香紅茶、神庭金蜜サブレ。

 それに、神庭絹」


 トウマは、卓上の神庭絹を手に取って見せる。


「これを交易の商品として、売ろうじゃないか。

 お前の協力次第では、他にも品はある。

 そうだな、この茶杯とかな」


 トウマが白磁の茶杯を手に持って見せる。


「その代わり、こちらの要望も聞いてもらうぞ。

 まず、グリューネ家だ。

 好きにさせてもらう」


「……五家の一角をか」


「目障りだからな」


 部屋の空気が、また少し冷えた。


「……どうするつもりだ?」


「すぐわかる。

 お前に面倒ごとを押しつけたりはしないさ。

 あと、もう一つ。

 ヴァシミ砦のある小山も俺が管理する。

 小麦の輸送の安全を期したい。

 名目は交易路警備だ」


「王領を寄こせというのか?」


「俺との交易は第二の魔族領交易となる。

 安いものだろ?」


 トウマは白磁の茶杯を口につけた。


「何なら、ヴァルミリアに卸さず、魔族領に卸してもいい。

 神庭翠香紅茶も、神庭金蜜サブレも、神庭絹も、この白磁もな」


「……脅しか」


「取引だ。

 俺との交易で、お前もかなり儲かるはずだ。

 お前も総督として、国王に大きな土産を持っていける。

 それぐらい、説得しろ」


「……名目はこちらで作る。

 王領をくれてやったことにはさせねえ」


「好きにしろ。

 実際の管理は、俺がする」


「……わかった」


 ガイゼルは、長く息を吐いた。


「条件がある」


「言ってみろ」


「グリューネ家を潰すにしても、街を荒らすな。

 それから、ヴァルミリアの穀物流通まで潰すな。

 俺が困る」


「ああ」


「それだけは守れ」


「わかった」


 ガイゼルは、白磁の茶杯を手に持って紅茶をすする。


「絹、白磁、茶、菓子。

 レスタリア王国中、いや、近隣諸国、皆が争って欲しがるだろうな。

 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだぜ」


「返り討ちにしてやるさ」


「はっ。

 鬼が商売を覚えると厄介だな」


「トウマだ。

 覚えろよ」


 ガイゼルは、トウマを見た。

 フッと笑う。


「わかったよ」



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