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十三 夜明け前

 魔族商館でのダルガとの面談から三日経った。

 小麦輸入作戦を明け方に控えた深夜、ラウレンツの商館兼自宅の二階の一室で、トウマはシェイドリィの報告を受けていた。


「小麦の流れを止められる部署は押さえました。

 荷揚げ場(にあげば)港湾監督官(こうわんかんとくかん)、検査所、川門(かわもん)、税関所、指定関税倉庫(していかんぜいそうこ)

 それに、製粉関係です。

 主要な責任者は、すべて説得済みです。


 我々に刃向かうことはないと思われます」


「よくやった」


 ダルガは、三日後にヴァルミリア対岸、リーヴェ川の魔族領側へ、小麦を運ぶと約束した。

 その三日間で、ラウレンツたちは表の手続きを進めた。

 契約書、検査申請、税の手続き、総督府指定関税倉庫への搬入申請、出資者への小麦の割り当て、荷車、人足の手配などやることは山ほどあった。

 もちろん、ラウレンツたちには護衛をつけてある。


 一方、トウマとシェイドリィは、小麦輸入時に不当な嫌がらせを受けないための対策を取ることにした。

 穀物を輸入する際に関わる役所の責任者は、五家のグリューネ家の影響下にあるらしい。

 神庭からシェイドリィの配下を追加で呼び寄せて、それらの役人の説得にあたらせた。

 各役所の責任者の特定、居住場所の特定、給金の把握。

 シェイドリィの配下たちは、必要な王国語の単語や数字をエリナたちから教わって学習していた。


 シェイドリィはトウマが満足そうにうなずくのを見て、頬を紅潮させた。


「お役に立てて光栄に存じます。

 まだ、明け方の小麦輸送まで時間があります。

 お身体を休められては」


「そうだな。

 転移してから、まともに寝ていないからな」


 この三日間、夜ごと、トウマとシェイドリィとその配下は、役人の説得以外でも、方々で潜入調査を行っていた。

 この調査が神庭の将来を左右するかと思うと、寝ている暇はなかった。


 トウマが寝台に身体を横たえると、シェイドリィが近づいてきた。


「我が一族に伝わる揉みほぐしがあるのです」


 シェイドリィがトウマの腕を取って揉み始めた。


「凝っていますね」


 シェイドリィが嬉しそうに目を細める。

 シェイドリィの指先は、ゆっくりと絶妙な力加減で、トウマの腕を撫でる。


「いいって。お前も疲れてるだろ」


「では、私を揉みほぐしていただけますか?」


 シェイドリィが悪戯っぽく笑い、後ろで束ねた髪を左肩越しに胸元へ流した。

 後ろを向いて、首を傾ける。

 黒銀の髪が流れて、月白色の細いうなじが見えた。

 トウマの心臓が強く跳ねた。


「……」


 トウマが黙っていると、シェイドリィがトウマを見つめて口元を緩めた。


「やはり、私がいたします」


 静かに時間が過ぎていく。


 こんな風に女性に身体をマッサージしてもらうのは、トウマは初めてだ。

 初めは、ドキドキしたが、徐々に、気持ちよくなってきた。


 母と自分が殺されて転移してからずっと気が休まる時がなかった。

 今でも夢ではないのかとも思う。

 だが、こうして腕から伝わる人のやさしさは本物だ。

 二百五十人の命を預かる重圧は常に感じる。

 だが、日本時代とは違って仲間がいる。

 仲間と共に共通の目標を持って働く。

 そのことに、確かな充実感があった。


 シェイドリィの手が、トウマの指から腕、肩へと何度も往復する。


 ……気持ちいい。


 トウマが寝息を立て始めた。


「ふふ。

 寝ておられる。

 ……初めてお会いした時にはこのようなことになるなんて、想像もつかなかったわ」


 シェイドリィはトウマの毛布をかけ直した。

 じっとトウマの寝顔を見つめる。


 シェイドリィの頬は、自然と緩んでいた。




 夜明けより少し前、ラウレンツはノエラに守られながら、リーヴェ川沿いの指定地点へと向かっていた。

 ヴァルミリアの北門を出て、北東へ進む。


 横を歩くノエラを、ラウレンツはちらりと見る。


 この方たちは本当に一体、何者なんだろうか。


 つい四日前の深夜までは、絶望していた。

 妻が亡くなり、娘のエリナが攫われ、小麦輸入計画は挫折し、おそらく商売も畳まねばならなかった。


 そこへ、深夜に突然、自宅に現れた男。


 獣脂蝋燭(じゅうしろうそく)の薄暗がりの中、身体の自由を奪われてパニックになった。

 五家はとうとう自分を殺しに来たのだと思った。


 しかし、目の前に立った若い男は、非常に落ち着いていた。


 あの時の言葉。


「……エリナたちは無事だ。

 俺たちが保護している」


 静かな、威厳。そして、自信。


 フードの奥の赤い金色の瞳に、そう感じた。


 そして、フードを脱いだ後に見えた、あの天に向かって立つ黒曜石(こくようせき)のような角。


 伝説にある国を滅ぼした鬼人。

 数十年前に城を破壊した鬼人。


 恐ろしいものが、いるものだと思っていた。


 だが、トウマ様は恐ろしいというだけではない。

 畏怖せざるを得ない雰囲気の中に優しさがあった。


 小山の上にある拠点ごと転移してきたとおっしゃっていたが……。


 圧倒的な存在感。

 凄まじい戦力。

 豊富な資金。

 非常に高度な技術力。

 

 ヴァルミリア警備隊も持て余していた、盗賊団黒帆の砦の一団を壊滅させてエリナたちを救出してくださった。

 そればかりか、気に入らないというような理由で、ヴァルミリアを支配していると言っても過言ではない五家を敵に回して、手助けしてくださる。

 協力者や商売のために協力すると言ってくださったが、自分の力など、トウマ様の前ではちっぽけなものだ。

 おそらく本音は、弱い者を助け、悪い者を討つおつもりなのだ。




 神庭のある小山からリーヴェ川へ向かって、低い土地が伸びている。

 すぐ近くには湿地帯(しっちたい)が広がっていた。

 夜明け前の薄闇の中、(あし)の暗い影が風で揺れている。

 水鳥が、淡紅色に染まる水面から飛び立っていく。


 ラウレンツとノエラが湿地帯のそばを四半刻ほど歩いていくと、やがて、道の先にはリーヴェ川が見えてきた。川幅は五百メルほどある。


 ラウレンツは五家にエリナを(さら)われた後、五家から船の手配でも圧力を受けていた。

 誰も船での小麦の輸送を引き受けてくれなくなったのだ。

 そのため、今回の小麦輸入作戦には、トウマが用意してくれる輸送手段が必要不可欠だった。


 そのリーヴェ川の水面に、巨大な荷台が浮かんでいた。

 ラウレンツには、想像もできないものだった。


 一台につき十タルム。

 それが作戦前に聞いていた積載量だ。

 実物は、それを無理なく積めそうな大きさだった。


 船の形ではない。

 帆柱も、船倉もない。

 見たことのない形だった。

 いくつかの大きな浮き箱の上に、平たい甲板が載っている。

 甲板は水面より一メルほど高い位置にあるように見えた。

 それが三台、川岸に並んでいた。


「……これならば、小麦を運べる。

 娘を攫われ、五家に水運を押さえられて潰えかけた計画が、再び動き出す」


 しかしいったい、これほどのものを小山からここまでどうやって運んできたのか。


 さらに、ラウレンツは近づくまで分からなかったが、川岸には石人形が十二体並んでいた。

 人の背丈を大きく超えている。幅も倍はある。


「これは、一体……」


「作業用ゴーレムだ」


 ラウレンツが驚いていると、横からトウマとシェイドリィが現れた。


「ゴーレム……えっと……昔話に出てくる石人形ですか?

 城門を守り、敵兵を踏み潰すという……。

 石でできた人形が、人の命令を聞いて動く、あれですか?」


「昔話?

 エリナもそんな風に言っていたな。

 まあ、登録してある人間の命令を聞くやつだ。

 神庭では、様々なゴーレムが作業を行っている。

 収穫を手伝ったりな」


「収穫……」


「今回は、この作業用ゴーレムに分解した神庭式兵站浮台しんていしきへいたんふだいをここまで運ばせた。

 小麦の積み込み、荷下ろし、護衛もやる。

 まあ、今回は外交も兼ねてはいるがな」


 ラウレンツは、さりげない最後の一言が引っかかった。

 だが、それよりもこのゴーレムの方が気になった。

 昔話の石人形が小麦や野菜を収穫している姿が思い浮かぶ。

 さらに、小山から列をなして、巨大な兵站浮台の部品を運ぶ姿も。


「…………」


 ラウレンツは改めて、作業用ゴーレムを見上げる。

 巨石がいくつも積み重なって身体ができている。

 顔に口はない。

 だが、目はある。人の目に当たる部分に細い窪みがあり、青白い光が灯っていた。

 手には指が三本ついている。この分厚い石の指で麻袋をつかむのだろう。


 しかし、ラウレンツには、本当にこんなものが動くとは想像もつかなかった。



お読みいただき、ありがとうございます。


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