9.全校公開処刑
高級リムジンの車内。そこは、この世で最も「酸素濃度が薄い」密室だった。
「さあ、朔ちゃん! あたし特製のプロテイン卵焼き、今度こそ『あーん』してあげるから! ほら、口開けて!」
「断る。というか、そのどす黒い紫色の個体を卵焼きと呼ぶのをやめてくれ。俺の胃袋にはまだ昨日のサラマンダー(ハバネロ)が棲みついているんだ」
俺、月島 朔は、左側に幼なじみの桃瀬 雫乃、右側に銀髪の騎士・三栗屋 翡翠、そして正面に絶対女王・若桜 葵依という、「ラブコメの最終回でもなかなか見られない地獄の布陣」に挟まれていた。
「……朔。無理は良くない。……私の、この無味無臭の『天然水(※翡翠の唾液)』なら、胃に優しい。……はい、あーん」
「貴様ら二人とも、私の前でそんな卑俗な餌を朔に与えようとするなんて。……朔、安心なさい。学校に着いたらすぐに、私の専属シェフが『胃粘膜再生のための究極コンソメスープ』を、このリムジンの屋上でヘリから吊るして運んでくるわ」
「(どんな輸送方法だよ! どんだけ俺の胃をVIP扱いすれば気が済むんだ!!)」
俺は窓の外を眺め、遠くに見える実家の屋根に向かって、心の中で別れを告げた。
両親よ、俺は今、時速80キロで走る豪華な牢獄の中にいる。
学園の正門が見えてきた。
通常、この時間帯は生徒たちが三々五々、眠そうな顔で登校してくる平和な時間のはずだ。
だが、今日の正門前は、まるで「新作スマホの発売日」か「世界的スターの来日」のような騒ぎになっていた。
リムジンが止まる。
ドアが開く前に、外から「ザッ!!」という、一糸乱れぬ靴音が響いた。
「若桜様、および月島様。ご到着です!!」
黒服のSPたちが二列に並び、正門から昇降口まで、眩いばかりの深紅の絨毯を敷き詰めていた。
「……若桜。これ、何だ?」
「何って、あなたのための『道』よ。昨日の英雄的なキックを見せた男が、泥だらけの地面を歩くなんて許されないわ」
「(モブは地面を歩くのが仕事なんだよ! こんなの、目立ちすぎて死ぬ!!)」
俺は意を決して、リムジンから飛び出した。
レッドカーペットなど無視して、横の植え込みを突破して教室へ駆け込もうとした――その瞬間。
ピコーン! ピコーン! ピコピコピコーン!
「(……ッ!! フラグの音が、学園全体から鳴り響いている!?)」
俺の視界に入ってきたのは、レッドカーペットの脇で出迎える女子生徒たちの頭上に咲き乱れる、無数の【憧れの先輩フラグ】や【謎の王子様フラグ】だった。
俺が一歩踏み出すたびに、それらが「シュポッ!」と音を立てて発芽していく。
『(……な、なんだこのプレッシャーは……。歩くだけで、周囲のフラグを強制起動させている……!!)』
「朔ちゃん、待ってよー! 手、繋いで歩こうよ!」
「……朔。私の、歩幅に……合わせて」
左右をヒロインに固められ、正面には女王。
俺は学園中の視線をレーザー照射のように浴びながら、深紅の絨毯の上を、まるで処刑台へと向かう王様のような顔で歩かされる羽目になった。
体育館。
二千人を超える生徒たちが詰めかけ、異様な熱気に包まれていた。
本来なら校長先生の長い話で皆が欠伸をする時間だが、今日のステージ上には、例の女理事長が豪華な椅子に座って不敵な笑みを浮かべていた。
『皆様、ごきげんよう! 昨日のドッジボール大会で見せた、あの魂を揺さぶる一撃……! その体現者を表彰いたしますわ!』
「(やめろ……。今すぐこの空間を爆破してくれ……)」
俺は体育館の最後列、影の薄いモブたちの集団に紛れ込み、極限まで気配を殺していた。
『さあ、ステージへ! 2年B組、月島 朔!!』
名前を呼ばれた瞬間、全校生徒の視線が、サーチライトのように正確に俺を射抜いた。
ミスディレクションも、影の薄さも、理事長の「GPS付き音響システム」の前では無力だった。
俺は重い足取りで、ステージへの階段を上った。
歩き方だけでも「やる気のないモブ」を演じようと、猫背で、あえて不恰好に歩いた。
だが、それが逆に「実力を隠し持つ強者の余裕ある歩み」に見えてしまったらしい。
『見てください、あの足取り! まるで一歩一歩が空間を支配しているようですわ!』
「(解説するな!! 黙って賞状だけ渡して帰らせろ!!)」
ステージ中央。
理事長が、純金製と思われる、巨大な「足の形をしたトロフィー」を掲げて言った。
『月島朔! あなたの放ったあのキック……本学園では今後、【黒き閃】として語り継ぐことにいたしますわ! さあ、感想をどうぞ!』
マイクを向けられる。
俺は、ここで全校生徒から嫌われるような「最悪なコメント」を出し、フラグをすべてへし折ることを決意した。
「……えー。別に、大したことじゃないです。ただ、靴紐を踏んで転んだら、たまたま足がボールに当たっただけなんで。運が良かっただけです、はい。もう帰っていいですか?」
よし。これ以上ないほどの「やる気なし&卑屈発言」だ。
これを聞けば、女子たちの憧れも冷め、男子たちも「なんだよ、運かよ」と呆れるはず――。
「……流石だわ、朔」
最前列に陣取っていた葵依が、感極まったように呟いた。
その声は、なぜかマイクに拾われて館内中に響く。
「自分の神業を『運』と言い切り、決して奢らない。その謙虚さこそが、真の強者の証……。あんなに圧倒的な力を見せつけておいて、自分を『普通』だと言い張るなんて……。なんて、なんて高潔な人なの……!」
「……そうだよ! 朔ちゃんは、いつだって自分の頑張りを隠そうとするんだから!」
「……朔。その、不器用な……嘘……嫌いじゃない」
ピコピコピコピコピコピコピコーン!!!!
体育館中に、もはやパチンコ屋のボーナス確定演出のような爆音が鳴り響いた。
全校生徒の女子の半分以上に、俺に対する【ギャップ萌えフラグ】や【謙虚なヒーローフラグ】が同時多発的に発生し、フラグの光で館内がホワイトアウトする。
「(な、なんでええええええええええええッ!!?)」
俺は絶叫した。心の中で。
何を言っても、何をしても、この学園の「ラブコメ補正」は俺を主人公の座から降ろしてくれないらしい。
表彰式が終わり、俺はフラフラになりながらステージを降りた。
手元には、ずっしりと重い純金製の足首トロフィー。
「お兄ちゃん。……この全校集会のライブ配信拡散してるよ」
いつの間にか、ステージ脇に妹の結が立っていた。
彼女は自分のスマホを俺に見せる。画面には、**「#月島朔」「#謙虚すぎる武神」「#黒閃おめでとう」というハッシュタグが、世界トレンドのトップを独走している様子が映し出されていた。
「……結。俺、もうこの国で普通に暮らすの無理かな」
「そうだね。とりあえず、お母さんには『お兄ちゃんが今日から金メダリストになったよ』って言っておくね。あと、家の前に若桜財閥が『朔専用の凱旋門』を建設し始めてるから、帰る時気をつけて」
「(……凱旋門!?)」
俺は、黄金のトロフィーを抱えたまま、白目を剥いて崩れ落ちた。
恋愛フラグが見える俺の2日目は、まだ1時間目すら始まっていない。
だが、俺の「モブとしての人生」の墓標は、すでに学園の広場に巨大な記念碑として建てられようとしていた。
月島 朔の絶望は、加速し続ける。
次なる地雷は、放課後の「強制部活動勧誘・大戦」へと続いていくのだった。




