8.ミッション・インポッシブルな登校路と、朝の三連星
午前4時。
アラームが鳴るより先に、俺、月島 朔の意識は覚醒していた。
いや、覚醒せざるを得なかった。窓の外から聞こえる「ウィィィィン」というドローンの駆動音と、庭から微かに聞こえる「サクサク」という土を掘る不穏な音が、俺の生存本能を無理やり叩き起こしたのだ。
「……ミッション開始だ」
俺はベッドの中で、どこかの伝説的な傭兵のような渋い声で呟いた。
脳内に流れるのは、導火線に火がつくあの有名なスパイ映画のBGM。もちろん、俺にスパイの才能などないし、両親は借金一つない善良な会社員だ。ただ、この絶望的な状況が俺を狂わせているだけだ。
今日の目標はただ一つ。
『誰にも見つからず、誰ともフラグを立てず、全校集会という名の公開処刑(表彰式)が始まる前に学園へ潜入し、どさくさに紛れて欠席届を出すこと』
俺は真っ黒なパーカーのフードを深く被り、部屋の明かりをつけずに着替えた。
窓の外、若桜財閥の監視ドローンが俺の部屋をサーモグラフィーで狙っているのは分かっている。俺は予備の枕と布団を使って、ベッドの中に「偽の朔」を作り上げた。
「(待たせたな……なんて言うつもりは1ミリもない。俺はただ、消えたいんだ)」
俺は二階の自分の部屋の窓を音もなく開けた。
正面玄関には雫乃が掘った「落とし穴」と、彼女のキャンプテントが待ち構えている。ならば、俺が取るべきルートは裏庭の塀を越え、隣の家の犬小屋を経由して脱出する隠密ルートだ。
俺は壁に背を向け、ゆっくりとバルコニーから庭へと降りた。
暗闇の中、どこかの特殊部隊のような身のこなしで(実際には腰が引けているが)、一歩一歩慎重に進む。
「……いたぞ。ターゲット、移動を開始した」
「(……ッ!?)」
どこからともなく、無線機を通したような冷徹な声が聞こえた。
見上げると、隣の家の屋根の上に、銀髪を月光に濡らした三栗屋 翡翠が立っていた。
彼女は萌え袖の手で、耳に当てた「通信機に見えるただのイヤホン」を押さえながら、虚空に向かって報告している。
「朔、逃走ルートBを選択。……予測通り。不器用な騎士様は、裏道がお好き」
「(なんでそこにいるんだよおおおおお! 忍者か! お前は某里の忍びか!)」
俺は全力でダッシュを開始した。
塀を飛び越え、早朝の住宅街を駆け抜ける。
「あ! 朔ちゃん、見ーっけ!」
背後から、元気すぎる声と、ガラガラという「落とし穴から這いずり出た」が響いた。
幼なじみの 雫乃だ。彼女はパジャマの上にジャージを羽織っただけの凄まじい格好で、手に「特製プロテイン(激甘)」のシェイカーを持って追いかけてくる。
「待ってよ朔ちゃん! あたしが掘った落とし穴、なんで避けるの!? せっかく二人で一緒にハマって、密着状態で朝を迎えるっていうあたしの完璧なフラグ管理が!」
「(それをフラグ管理とは呼ばない! ただの監禁未遂だ!)」
「無駄よ、二人とも」
前方の角を曲がった瞬間。
そこには、まるで映画のワンシーンのように、黒塗りの高級車が三台、道を塞ぐように停車していた。
中央の車の後部座席から、ブロンドの髪を扇風機の風(※SPが持っている)でなびかせながら、若桜 葵依が悠然と姿を現した。
「朔、おはよう。……朝のトレーニングにしては少しばかり必死すぎるわね。でも、そんな野生動物のような眼差しも、今の私には最高の御馳走よ」
ピコーン! ピコーン! ピコピコピコーン!
朝の5時前だというのに、静かな住宅街に絶望の電子音が鳴り響く。
三人の頭上には、昨日よりもさらに巨大化した、もはやスカイツリー並みの高さの【朝のエンカウント・フラグ】がそびえ立っていた。
「(……終わった。俺のステルスミッション、開始3分でゲームオーバーだ)」
俺は三人のヒロインに包囲され、路地裏で立ち尽くした。
「さあ、朔ちゃん! あたしが作った朝ごはん(卵焼き・砂糖1キロ投入)食べて、一緒に学校行こ!」
「いいえ、朔。私のリムジンに乗りなさい。車内では最高級のキャビアとシャンパン(※ノンアルコール)を用意させているわ」
「……朔。私の、自転車の後ろ……空いてる。……風に、なろう」
三人が、俺の両腕と腰をガッチリとホールドする。
『(YOU LOSE……!!)』
「頼むから……頼むから普通のトーストを食べさせてくれ……」
*****
朔が連行された後の月島家。
父(普通の会社員)と母(普通のパート)が、リビングの窓から外を眺めていた。
「母さん。……さっきから、うちの庭の『落とし穴』に、黒服の男がハマって抜け出せなくなってるんだが。これはどういう状況なんだ?」
「そうね、お父さん。……あと、屋根の上に銀髪の女の子の忘れ物かしら、『手裏剣型のお弁当箱』が刺さってるわ」
二人は顔を見合わせ、静かに味噌汁を啜った。
「……朔も、大変ね」
「ああ、借金はないが、とんでもない『ツケ』を払わされている気がするな」
一方で、妹の結は自分のスマホを確認していた。
「あ、トレンド1位。『#月島朔、朝の三連星に拉致される』。……お兄ちゃん、もうこれモブに戻るの、100%無理だわ」
結の呟きと共に、画面にはリムジンのサンルーフから身を乗り出して「助けてくれー!」と叫ぶ朔の姿が、ドローンによる高画質4K映像でリアルタイム配信されていた。
月島 朔の絶望の2日目は、まだ始まったばかりである。
この後、学園の全校生徒の前で待ち受けている「伝説の黒閃キック表彰式」という名の公開処刑に向かって、運命のリムジンは加速していくのだった。




